第四章 迷宮彷徨

四之一

 伏見港からそのまま真っすぐ北上すると、ランドマークとしてそびえる東寺の五重塔がほどなく視界に入り、灰色がかった蒼天を背景として確固たる存在感を誇示していた。

 つぐみは、厳然と屹立するその容姿のなかに、どこか華麗な、どこか優雅なものを感じ、心の深淵がときめくのをおさえられなかった。

 着物もいつもよりも華やかな町娘のような、黄色の洒落た風合いのものを身に付けていたし、どこか地に足がついていないような、ふわふわした足取りであった。

 京、と云えば、八百年の長きにわたる都としての威厳が、この土地そのものにしみついていて、その街の色合いは地の都市をはるかに凌駕していた。

 田舎の狭隘な風土しかしらぬうら若き娘が、その閑暇かんかたる日常から抜け出して、煌びやかな都会で華やいだ暮らしを送りたいと望むのは、今も昔も変わりはしない。

 鶫も、そこは同年代の娘たちとなんら変わることのない、少女としての夢想を胸中に秘めており、いつか忍などという陰気な商売は抜け出して、容姿端麗な、商家の息子やできれば公家の一端に在する子息の目にとまり……、などとはかない妄想だとは思いつつも、つい優雅な未来を想像するのがなんだか楽しくもあり、一度その妄想に取りつかれると、坂を転がる雪玉のようにどんどん大きく膨らんでゆき、なかなかやめられなくなったりもするのだった。

 幼少のころは、伊賀藤林の里の、任務で京へ行った者からの土産話を聞くたびに、様々な想像を巡らして、京の御所はきっと塀自体が輝いているんだろうとか、町全体が宝石を練り込んだ漆喰で固められてでもいるような、きらきらと煌めく街並みを思い描いていたりしたものだ。

 さすがに、十代も半ばをすぎると、そんな現実を幾数里もかけ離れた幻想はいだかなくなったものの、都会そのものに対する羨望も、そこに住む人々に対する憧憬も、心の中から消えることはなかったのだった。

「しかし、こんなものか……」

 東寺の塀を横目に見ながら、周囲の古びた街並みを目の当たりに、かつて幼心に思い描いていたような、楽園のような都市はやはり存在しないのだと、痛切に思い知るのだった。

 すれ違う商人も、厳めしく胸をそらして歩く武家も、伊賀で生活する人々と別段なんら変わりのない、よく見かけるごく普通の人間たちであったし、京で任務をこなすことに、ずいぶん肩ひじをはっていた自分が、どこか滑稽にさえ思えてくるのだった。

 大宮通りをそのまま北へ、ずんずんと歩いていくと、今度は西本願寺の西側に至る。

 その長い長い漆喰塀が途切れたころ、

 ――さて、この辺りのはずだけど……。

 北のほうから、十一月の、肌に刺さるような冷たい風が通りを駆け抜け、彼女の耳の後ろでふたつに束ねた髪をなびかせた。

 京の喧騒にはまだ遠い、寺社や雑木林や田畑の混在する風景のなか、立ちどまった鶫は左右を見回して目的の屋敷を探した。

 ちなみに、このままさらに北上を続けると、やがて二条城の南面につきあたる。現在、そこには大御所徳川家康が入城していて、大坂攻めの最終戦略を詰めていた。

 大坂城は、すでに徳川勢の包囲が着々と進行していて、諸大名の軍勢が全国各地から陸続と参集してい、ひしめき合い、それこそ猫の子一匹這い出る隙間もないほどの、高密度の包囲陣が完成しつつあった。

 大坂方の出方しだいでは、今日にでも明日にでも開戦しかねない状態で、そこに集う人々の緊張感が折り重なり、城を包む空気が、今にでも爆発しかねない風船のようにぱんぱんに張り詰めていた。

 戦々恐々としているのは、戦に参加する侍足軽ばかりではない。

 京、大坂、奈良といった戦の火の粉が飛んで来かねない近隣の都市の住民たちは、いつ開戦の火蓋が切って落とされるか、まさに固唾かたずを飲むようにして、注視していたのだった。

「あの、すみません」

 鶫は、北から歩いてきた、商人風の中年の男に声をかけた。

 男は、面倒そうに立ち止まり、怪訝そうな顔つきで、彼女の豊満な胸や腰を舐めるように見るのであった。

「この辺りに、幸徳井こうとくい様のお屋敷があるとうかがってきたのですが、ご存じではないでしょうか?」

 男は、あきらかに京の人間ではない言葉のイントネーションで喋る少女を、ずいぶんな高所から見おろすようにして、

「さあ、聞いたこともありまへんな」

 吹きつける北風のごとく冷たく云って、男は南へ歩き去っていった。

 そのあと、数人の、今度はこの辺りの住人であろう人に狙いをつけて聞き込みをしたが、誰からも最初の商人と異口同音の反応しか返ってこなかった。

「聞きしに勝る冷ややかさだわ」

 都会の人間特有の冷淡さに溜め息をつく思いであった。

 そうして途方に暮れていると、

「どないしたんですか?」

 ひとりの、恰幅の良い中年の女性が赤子を抱いてあやしながら、困惑してたたずむ鶫をみかねたように声をかけてきた。

「へえ、幸徳井さん?ああ、しょもじ・・・・祥馬しょうまはんですか?」

 とその商家のおかみさんとみえる女はにこやかに笑った。

「幸徳井なんて聞いても誰も祥馬はんのこととは思わへんでしょうね。そんなお公家はんみたいなご立派な苗字のお人やなんて、とても見えやしませんから」

 と針で刺すような嫌味を愛想良く云ってから、幸徳井家の場所を教えてくれたのだった。

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