三之六
「私、最前から考えていたのですが、ひとつ名案がございます」
夕餉の席で唐突に話し出したのは、あぐり姫であった。
「また、どうせ突拍子もないことを云い出すのでしょう」
あきれたように言葉を返したのは竹林院である。
なにか、格式張らないのが真田家の家風でもあるのか、配下である佐助も、客である碧たち三人も、いっしょに膳を並べて居間で食事をしていた。
膳の上には松茸の炊き込みご飯に、松茸と銀杏の吸い物、里いもの煮転がしなどなど。食材からの芳醇な香りが部屋全体に満ち、食膳の温かさが部屋にいる皆をなごませているかのようであった。
「母上、少しは娘の聡明さにお気付きくだされてもよろしい頃合いかと。そんなことより、名案です」
云いながら、あぐりは松茸飯をほおばっている。
「早くおっしゃいなさい」
「雲鶴ですが、碧殿に渡すわけには参りませんが、かといって手元に置いておけば、花神なる手合いが強奪に参るかもしれません。とすれば男手が半人前忍者しかおらぬこの屋敷では心もとない。ですので」とあぐりは、しかつめ顔をして、「隠すのです。賊の手の届かない場所に」
「隠すと申して、どこに?まさか平吉さんにあずかってもらうとでも云うのではないでしょうね」
「母上、もう少し娘の知恵の深さをお信じください」と、よりもったいぶったようすで、あぐりは、「それはつまり、高野山にあずけるのです」
「高野山?」
「はい。その悪者らは妖術を使う外道とか。ならば、霊的な結界のはられた高野山ほど、隠し場所として最適な場所もありますまい。しかも、雲鶴事態に魔性の気があるのなら、なおさらでしょう」
「それはたしかに名案ですね」
と竹林院が考え深げにうなずいた。
碧も、なるほど高野山かと思った。貰うわけにもいかない、壊すわけにもいかない、ならば、隠してしまえばいい、といういわば中間案が採用された形になったわけである。
「多宝塔にでもしまって貰えれば、おいそれとは手出しできますまい」
「あぐり、多宝塔は多くの宝と書きますが、別段宝をたくさんしまっておく塔というわけではないのですよ」
「う!?」
「そういえば、宝物庫でもないのに、なぜ多宝塔と云うのでしょうね」
「由来は多宝如来からと聞いたことがございます」博学を披露したのは、鶫であった。
「なるほど、多宝如来」竹林院は喉のつかえがとれたように微笑む。
「ま、まあ、どこで護持してもらうかは、お坊さんがたにおまかせいたしましょう。と、とにかく、こちらとしては必要になったらまた返してもらえばいいだけのこと。高野山のお坊さんなら信頼もできますし、申し分なかろうでしょう」
「しかし、誰がお山まで持っていくのです」
「それは当然、私自身が」
「またあなたは……。どうせよい退屈しのぎをみつけたぐらいに思っているのでしょう」
「なにをおっしゃいますやら。私はけっして遊び半分で申しておるのではございません。使命感をもってやり遂げる所存にて」
「はいわかりました。言ってもきく気はないのでしょう。佐助、すみませんがお守りをお願いします」
「かしこまりました」
「碧殿たちも、よろしくお願いいたします」
「必ず、姫様にご危害の及ばぬよう、あいつとめます」碧が真剣な目つきで頭をさげた。
「よしなに」竹林院は静かに微笑む。
「俺ひとりでも充分ですけどね」佐助は不満顔だ。
「あなたを信頼していないわけではないのですよ。ただ、賊徒が襲ってきたら、あなたひとりで、あぐりも雲鶴も、というわけにはいきませんでしょう」
「はあ、まあ」
「では、決まりですね。明日一日身体を休めて、明後日の朝に出発していただくことにいたしましょうか」
「いえ、奥方様。明日でも別段かまいませんよ」と不敵な笑みで云ったのは嵐である。「うちら……、私たちは身体を鍛えていますので」
「ほほほ、それは頼もしいですね」
竹林院の笑い声は周囲のものを和ませる、ある意味での魔力を秘めているようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます