三之七
「しかし、こんな兜を持ち歩くなど難儀よのう」
納戸に、他の雑貨と同じように、何気ない様子でしまわれていた、武田信玄から下賜された家宝の兜「雲鶴」を、黒ずんだ桐箱からとりだして眺めながら、あぐり姫が溜め息とともに嘆くのだった。
食事が終わり、自室でしばらく休息していたが、明日のことを考えるとそわそわと、どうも気持ちがはずむようで落ち着かないのであった。それで気をまぎらわすように、納戸に来て、兜を眺めている。
「なにをしているのです!」
「ぎゃあ!?」座った姿勢のまま飛び上がるように驚いて、驚きつつも後ろを振り返って、「なんじゃ佐助ではないか!?」
「なんですか、兜にお別れの挨拶でもしているのですか?」云いながら、佐助はあぐりの横に腰をおろした。
「馬鹿を申すでない。私はそんな夢想家ではないぞ。もっと現実的な不安に頭を悩ませておったのじゃ」
「と云いますと」
「この兜、けっこう重いのじゃ」
「それはそうでしょう、鉄でできていますからね」
「これを高野山まで運ぶのは、難儀じゃと思うてのう」
「姫……」と兜を見つめながら佐助がぽろりと。
「なんじゃ」
「魂魄石だけ取り外してお持ちになればよろしいのでは?」
「うっ!?」あぐりは動揺した。そんな単純な発想もおもいつかなかった自分に。「た、たまには頭が冴えるのう、佐助。褒めてつかわすぞよ」
「はいはい、恐悦至極に存じ上げ奉りまする」
「しかし、取れるかのう」
あぐりは、兜を持ち上げ、横に置いた手燭の灯りにかざして、右に左に裏返しにして魂魄石の取り付けを調べてみる。全体が朱漆で塗られたその兜の形状は、ちょうど今日食べた銀杏の殻のように、真ん中にいくほど尖った形状をしている。分類としては
その黄色い宝石をじっと見つめていると、なにか人の心を波立たせるような、落ち着かないような気分になってきて、たしかに、人の魂魄が結晶化した、霊気を放つ魔石と云われれば、そんな気もしてくるのであった。
あぐりは、次に、宝石を押したり、つまんで取り外そうとしたりしてみたが、どうにもこうにも、宝石は取れそうもない。
「ううん、なにかこう、糊のようなものでしっかりとくっついているようで、まったくはずれんぞ」
「どれ、姫様、かしてください」
佐助はあぐりからひったくるように受け取って、自分でも押したりつまんだり、裏側から撫でてみたりしてみたが、やはり外れない。
「無理のようですな」
「ううむ、ということは、明日は佐助、おぬしこれを
「え、姫様が届けるとおっしゃったんだから、姫様が持つべきでは?」
「なにを云うか。私はか弱い非力な子供じゃぞ。こんないたいけな少女にこのような重たい荷物を背負わせようというのか?」
「ずるいなあ、勝手な時だけか弱い少女になるんだから」
「ふん、私は、ずっとか弱い少女じゃ」
「か弱い少女が、物干し竿を振り回したり、敵の刺客とおぼしき三人づれを
「そんじょそこらの、か弱い少女とはちっとばかし違うだけじゃ」
「意味がわかりません」
「わかれ!」
と云って、あぐりは手燭を持って立ち上がって、
「さて、明朝ははやくに発つぞよ。佐助も明日にそなえてはよう寝よ」
「姫様こそ、いつも夜更かしばかりして寝坊するんですから、早く寝てください」
「やかましい!」
あぐりは、けたたましく納戸を出ていった。自分が散々見ていた兜をしまいもせずに。
佐助は溜め息をつきながら、その兜を桐箱にしまって、それを持って立ち上がった。実は念のために、今夜はこれを枕元に置いて寝ようと考えてここに足を運んだのだった。そうしたらはからずも、姫が兜を取り出して眺めていたのであった。
碧たち三人を完全に信用しきったわけではない。しかし、信用してもいいかな、というくらいの気持ちにはなっていた。この数刻接してみて、そう思えてきたのであったが、兜のありかを探すより、家の者を安心させて取り出させてから奪い取ろうという魂胆でないとは云いきれない。
――それもすべて明日になればわかることだ。
佐助は静かに納戸を出ていくのであった。
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