三之五

 九度山の真田屋敷は、もと大名が住んでいたとはまるで思えない、田舎のどこにでもある、郷士の家宅と云ったていどの雰囲気の、さびれたたたずまいをしていた。十四年間の、様々な人々が暮らした垢や埃や匂いと云ったものが、壁板や柱のなかにまで染み込んでいるようであった。またそれは、この場所で生まれて育ったあぐりのような人たちの、泣いたり笑ったり怒ったり、思いや魂の具現であるのかもしれない。

 門をくぐって、佐助に野菜籠を台所まで運ぶように命じると、あぐりは庭を横切って、縁側からあがって奥の一室へと脚を向けた。

「母上、ただいまもどりました」

 今までのとげとげしさすら感じさせる物いいとは打って変わって、ほがらかに、唐紙越しに声をかけるのであった。

「お帰りなさい。今日はずいぶん遅かったのね」

 障子があけられると、そこには真田幸村の正妻竹林院が、寝衣姿で寝床の上に上半身を起こしていて、帰宅した娘を眼を細めて迎えていた。

 病と云うにはさほど重病そうではなく、顔の血色もいいし、別段痩せ細っているようでもない。丸顔に人の好さそうな笑みを浮かべ、娘と会話している。

 ちなみに、彼女が竹林院という院号をいつから名乗っていたのかはさだかではなく、死後の諡のようでもあるが、大谷吉継の娘ということ以外本名が伝わっていないので、ここでは院号で呼びたいと思う。

「マサ坊のところの平吉おじいさんに、里芋をずいぶんいただきました。先日採ったという銀杏ももらえましたよ。先日もらった松茸もまだ残っていますし、今夜の夕餉は豪勢にできますね」

 と微笑んでいうやんちゃ姫も、ここでは病母をいたわる健気な娘でしかない。

「平吉さんには、よくしていただくばかりで、お礼もろくにできませんのに」

「おらあ、そんなもんのためにやってんじゃねえ、っていつもいってますよ。遠慮せずにいただけるものはいただきましょう。精のつくものばかりですし、きっとご快癒もはやまりますよ」

「ふふふ、そうですね」と竹林院は、笑って、ふと庭にかしこまる碧たちに気が付いたようで、「おや、お客様ですか」

「はい、帰りに面白い者たちに出会いました。伊賀の忍者らしいです」

「伊賀の忍者?」

 竹林院がこちらをみて尋ねるように云ったのを潮に、碧が口を開いた。

「はい、ご病臥の折に突然まかりこしまして、誠に申し訳ございません」

「いえ、病臥というほど病んでもいませんが……。そこでは話しづらいですね。お上がりください」

「はい」

 そう云われたものの、碧は、それでも遠慮をして縁側に膝をついたのだが、

「中にお入りください」

 と竹林院が云うので、沓脱石に草鞋を素早く脱いで、部屋に入ろうとすると、

「そこまで!敷居をまたぐな!」

 廊下のかどから佐助が飛び出し、疾風のような勢いで走ってき、自分が敷居際に膝まづくのだった。

「佐助、そう怒鳴っては私の身体にさわります。だいいちお客様に失礼でしょう」

「奥方、お言葉ですが、このような胡乱なものども、信用なさってはなりません。徳川の刺客かもしれません。充分お注意ください」

「伊賀の忍者とわざわざ名乗る刺客もないでしょう。なにかわけがおありのご様子。ぜひお訊かせください」

 佐助はしぶしぶと云った表情で顎をしゃくって、入れと云う。

 碧はそれを横目に頭をさげて入室して、またすぐに膝をつくのだった。

 そうして、すっと深くお辞儀をしてから、先ほどあぐりに述べたことを、ふたたび語った。

「なるほど、話はわかりますが……、さすがに兜を差し上げるわけには参りません。それは云わずともご推察なさっていたでしょう」

「はい、ですが」

「確かに、あれは、左衛門佐が魔性の気がするから持って行きたくないとおいていった、禍難かなん災殃さいおうの悪因のような一品。しかし、それを狙うものがあると云われると……、さてさて、困りましたね」

 とまさに困惑気に竹林院は、天井の隅を見つめて考え込む様子で……、

「その花神という賊徒は、すぐにやって参りましょうか」

「いえ、こちらに魂魄石があるという情報は、我が家の手の者がつかんだものでして、花神がそれに気づいているかは不明です。ですが反対に、もうとうに所在を突きとめ、なんらかの策を講じている可能性もございます」

「なるほど」

 と考え深そうにうなづいた竹林院であったが、

「あなたたち、今日の宿はもう決まっているのですか?」

 唐突に話を変じた。

「いえ、まだですが」

「でしたらここにお泊りなさい、どうせ人もいなくなって、部屋も空きすぎるほどに空いていますし」

「しかし、それではさすがに……」

「さすがに、お人がよすぎます!」

 佐助が障子の端から首をだしてたしなめるのだった。

「あら、そうかしら」と竹林院はとぼけたような顔で、「もし賊徒が押し入ってきたら、佐助、あなた一人で対処しきれませんでしょう。それに、もし万が一この方たちが刺客だとすれば、近くにおいたほうが、あなたも監視しやすいでしょう」

「はあ、まあ、それはそうですが……」

「佐助」と今度はあぐりが口をひらいた。「おぬしは黙っておれ。私の眼にくるいはない。この者たちは、善人じゃ。間違いない」

「とおっしゃって、この前は浅野のお目付け役を盗賊と決めつけて物干し竿をふりまわしていたではないですか」

「かあっ!何年前の話じゃ!?」

 おほほと竹林院は笑った。

「では、決まりですね。どうせ二人や三人では食べきれないほどの野菜が台所につまれていますし。あなた方も食べてくださいね」

「はあ、ではお言葉に甘えまして」

 碧はまったく調子が狂わされた気分であった。

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