三之三

「あの、姫様、われわれを徳川がたであると看破されたのには、感服いたします」

 碧は、少しでも相手の疑念を払拭するために、精一杯の笑顔と優しさをもって云った。

「しかし、私たちには、けっして害意はございません。むしろ、姫様やご家族にご危難が迫りつつあることをお報せに参ったしだいです」

「徳川の手の者が?なぜ?危難を報せる?その前になぜ名乗らん?名乗らんのは間者である証ではないか?どうだ、違うか?」

 やたらに疑問調の語尾と、無駄に言葉数の多いのに辟易しながらも、碧は頭をさげた。

「申し遅れまして、まことにあいすみません。私は、伊賀の藤林家の者で、碧と申します。こちらは朋輩の嵐と鶫です」

「伊賀の?しのびか?」

「はい、ご推察のとおりで」

「ふむ、面白い。うちにも出来の悪い忍者がおったが……。まあよい、話だけでも聞いてやろう。申せ」

「は、いまここで?」

「自ら忍と正体をあかしたのは感心じゃが、徳川の手の者とわかっておりながら、どうぞいらっしゃいませと屋敷に招きあげるほど、お人よしではないぞ、私は」

「これは、汗顔の至り」

 碧は、これまでのできごとを、かいつまんで、あぐり姫に伝えたのだった。花神恭之介という男が不可思議な妖術を身に付け、我らの恩師を殺害し、里を抜け、理由はさだかではないが、魂魄石という霊力を秘めた石を狙っている。いま九度山の屋敷に保管されているという、信玄公よりくだされた兜にもその魂魄石がつけられており、花神がそれを狙って現れる可能性がある。

「ふむ、雲鶴うんかくをのう。確かに、あれには、額のところに黄色い宝石が埋め込んであった」姫は過去を思い起こすように、眼を空に向けて云った。その眼をさっと元に戻し、「あ、いや、父上の眼を盗んで、勝手に見たわけではないぞ、そんなはしたない真似を私のような高貴なる女が、そのようなたわけたことをするわけがなかろうが」

 別に誰も責めているわけでもないのに、あたふたと、勝手にいいわけを始めるのだった。

 あぐりが雲鶴と云ったのは、おそらく兜につけられた名前であろう。

「ううむ、一度母上に相談してみるしかなさそうじゃな。よかろう、屋敷に来るといい」

「は、よろしいので?」

「うん、おぬしらが刺客や間者なら、妖術だの里抜けだのという絵空事をわざわざ作り上げて、私を騙すような真似をする必要はなかろう。そんな回りくどいことをせずとも、すでに私を捕らえるか斬るかしておるはずじゃからな。おぬしらを信じよう」

「は、ありがとうございます」

 この姫はとんきょうにみえて、じつは利発なのかもしれない、と碧は低頭しつつ、思うのだった。

 すると、そこへ、

「なりませんぞ、姫様っ!」

 頭上の銀杏の枝から、落葉とともに男の声が降ってきて、さらに、その声を追うようにひとつの影が地上へと飛び降りてきた。

「な!?佐助ではないか、何をしておるのじゃ!?」

「いえなに、殿の仰せで、奥方様と姫様のご様子をうかがいにまいったまでで。すると街道で、そこな怪しい三人の女を見かけたものですから、しばらく後をつけておったのですよ」

 あぐりに佐助と呼ばれたその男は、見たところは碧たちと同じくらいの年齢で、癖のある髪をつむじのあたりで縛って、日に焼けていかにも若い肌の張りをして、あどけなさの残る口もとを挑戦的にゆがめ、しかし、二重の大きな眼は鋭く碧たちを見据えていたのだった。

「いけません。こんな胡乱な女どもを屋敷にあげるなどもってのほか」

「やかましい、忍ふぜいが、私に指図するでないわ」

「忍ふぜい、とは、情けなきおっしゃりよう。これでも十勇士のいちにんと殿が認めてくださっているほど、充分研鑽はつんでいるのですよ」

「ふん、先代の猿飛は忍術の達人であったと聞くが、お前はまだ半人前じゃろう。父上が認めても、私はみとめんぞ。ついこの間も犬に尻をかまれてべそをかいておったくせに」

「なっ、何年前の話ですか。いいですよ、そんな昔話を持ち出すなら、姫が十のころまでおねしょをしていたことを、みんなに言いふらしますよ」

「かあっ!もう云っておるではないか!」

「こりゃしっけい」

 存在を無視するように漫談を始めたふたりに、碧たちはあきれたように、ただ黙ってなりゆきを見守るしかなかったのであった。

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