第二章 心魂流露

序之一

 イツマデ。

 イツマデ。

 人面の怪鳥が鳴いている。

 以津真天いつまでん――。

 人の顔、蛇の胴、毒々しいほどあざやかな翼を持った妖美な怪鳥は、樹木の枝に農家の屋根にとまり、カン高い声、低音の声、野太い声、個々様々な音程で鳴くのだ。

 大きさも色もまちまちで、三尺ほどのものもあれば、五寸程度のものもいて、赤いのも黄色いのも、虹のように何色もの彩りのものもあった。

 イツマデ。

 イツマデ。

 イツマデ。

 その声に、疎ましそうに振り向いた老人が、かっ、と一声渇すると、怪鳥はびくりと驚いたように口を閉じる。

 しかし、それも寸時……。

 イツマデ。

 イツマデ。

 イツマデ。

 イツマデ。

 イツマデ。

 またもとのように、数十羽で耳障りな合唱を奏ではじめる。

 老人は溜め息をひとつ。

 そうしてあきれたように首をふりふり、歩き始めるのだった。

 その老人の異相。

 白髪白髯はくはつはくぜん、そのぼさぼさの髪はもう何年も刈っていないように背に長くごわごわと垂れ下がり、その髯も伸ばし放題で、みぞおち辺りで先端が揺れている。

 一見するとまるで仙人。

 もしくは、隠者と云うべきか。

 世間を嫌って隠遁のうちにあった世捨て人が、昨今の騒々しい人界を、暇に飽かせて見物に、深山幽谷からひょっこり出てきたような風姿であった。

 灰色に小汚くくすんで元の色さえもわからない綻びだらけの着物を着て、あかざの杖をついて、ゆったりと、人気ひとけのない、怪鳥ばかりの跋扈する村を西へ西へと歩いていくのだった。

 もう逢魔が刻の、はんぶんが滅紫に塗り込められた空に、西だけが異様に赤く――、赤銅色に燃えている。

 燃えているのは落日か。

 いや、実際燃えているのだ。

 佐和山の城や町が、徳川方の軍勢に蹂躙じゅうりんされ、燃えあがっているのだ。

 二里ほど先の、小高い山の向こうで、劫火ごうかが町も人もすべてを燃やし尽くしているのだ。

その炎が妖雲のたなびく夕空を赫耀かくやくと染めているのだ。

 この山間の村にも、百鬼夜行が通り過ぎたような、陰惨な風景が広がっている。

 首を斬り落とされた男の死体、一糸まとわぬ女の死体、衣の引き裂かれた少女の死体……。

 男たちはみな撫で斬りにされ血紅に染まり、女はみな口からも股からも血を流し、死んでいる。死んでもなお憎しみのあふれでるまなこを見開き、血涙を滲ませて……。

 それらが西日を受けて、暗く沈んだ地面の上で、不気味なコントラストを描いていた。

 その亡霊の充満した村をやっと抜け出ようという頃、老人の脚がぴたりととまった。

 不快なものから眼をそむけるようにして、うつむき加減だった顔をあげると、なにかを探すように左右に首を動かした。

「はて、たしかに」

 なにか物音を聞いた気がした。

 もう生きた人間など皆無と思われたこの地に、怪鳥の鳴き声を縫うように、畑を耕すような、金属を地面に打ちつけるような、ざくざくという音が聞こえてくるのだった。

 その音のする方向に、誘われるようにして、老人は歩き始めた。

 半町ほども歩くと、比較的大きな、郷士の屋敷と思われる建物の残骸が眼に入った。火をつけられ、もうほとんど炭ばかりになった家屋のあちこちでわずかに炎がくすぶっていた。

 その屋敷の門をくぐると、庭の隅には立派な楠が天高くそびえていて、その根元の土を、鍬で掘っている少年がいた。

 この屋敷の子であろう、十二、三歳くらいで、顔を灰と埃と土で真っ黒にし、どれだけ一人で穴を掘っていたのか、もう手は擦り剝けて血が滲んでいた。

 そのかたわらには、少年の母と見える女と、姉か妹であろう少女の遺体がよりそうようにして、並んで眠っていた。その上には生前彼女達が着ていたのであろう小袖がかけられていたが、風でずれたのか、眼をそむけたくなるような凄惨な動かぬ肉体が見え隠れしている。槍か刀で刺された胸はもちろん、やはり村人同様に股の間にも乾いた血がこびりついていた。

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