一之十六

「禍々しい妖気を放つものかな」

 又左衛門の口から、恐怖と戦慄の言葉が漏れ出た。まったく無意識に。

 反対側に位置する長門も、口には出さなかったが、同様の心持ちであった。

 宝刀暁星丸は長門ではその能力を引き出せない。

 ――さて、どうする。

 又左衛門には刀を置いてきたことを叱られたが、長年の習慣から、左腕に棒手裏剣を収納できる革の腕輪をつけていたのが幸いだった。しかし、手裏剣はもうあと二本しか残っていない。

 先ほど宝刀と一緒に受け取った巾着には、長門が得意とする忍術道具が入っているのは、感触でわかっていたが、だからといって、それが通用する相手か――。

「どうした」

 花神の嘲弄のつぶやきがふたりの耳に届く。

「臆したか?」

 その声を合図にしたように、又左衛門が鈎爪を投げる。

 花神は、跳躍して避けた。しかも、高い。助走もなく五、六間は飛び上がっている。

 落下をはじめた無防備にみえる標的に、長門が残りの棒手裏剣を二本とも投擲した。

 花神は落下しながらもくるりと身を翻して回避する。

 その着地間際を狙って、又左衛門が抜き打ちを放った。

 それを、着地もしていないのに、花神はとんぼ返りを打って躱し、地に降り立つ。

「人間の技ではないな。妖鬼に魅入られたか、悪魔に魂を売ったか?」

 又左衛門が嫌悪するように云った。

 花神は答えずに、ただ薄ら笑いを浮かべただけだった。

 その隙に、長門は巾着の忍具の用意を整えた。花神の視界の外から、又左衛門にそっと目で合図をおくる。

 又左衛門が踏み込んで、刀を振るう。一閃、二閃……、間断なく次々と刀身がひらめく。老人とは思えない、凄まじい速さと剛力の連続攻撃だった。

 花神は、体を開いて躱す、後ろに飛んで躱す、後方に宙返りして躱す。まるで、人知を超えた力を身に付けた己の技能を、ふたりに見せつけているようだった。

 又左衛門の左から右への胴払いを、花神が頭上に跳躍して躱した。同時に腰の刀を抜いて、又左衛門の頭頂部めがけて振り下ろした。

 そこへ、横合いから炎の塊が襲った。

 花神はその三尺大の火球を、又左衛門の頭を踏み台にして、ジャンプして避けるのだった。

 又左衛門は、当然心中おだやかではいられない。噛みつくような眼差しで振り返った。振り返りつつ、刀を袈裟懸けに斬りさげる。

 花神は後ろに飛び退しさる。ところへ、再び火球が襲う。地にしゃがんで躱した。

 長門は、巾着に入っていた陶器の瓶の油を口に含んだ。左の親指とひとさし指には琴を弾く爪のようなものが取り付けられている。その二本の指を口の前に持ってくる。火打ち石の爪をすり合わせると同時に油を噴霧するように息を噴き出す。

 轟と炎の砲弾が放たれた。

 忍法業火弾――、という。

 花神の後ろは土蔵の壁、ついに避けきれないとみたか、片手を前に突き出した。

 炎の弾が彼を包む。

 だが、その炎はその身体を焼かず、ばっと音を立てて四散してしまった。

 むう、と長門がうなる。

 又左衛門は花神に休む暇などは与えず、飛び込んで斬りつける。

 花神は又左衛門を飛び越す。

 そこへ業火弾。着地する。又左衛門が斬り込む。飛んで逃げる。逃げれば業火弾が襲う。

 地におれば剣の猛攻、宙に舞えば炎の弾丸。

 花神は、土蔵の壁を蹴り、母屋の柱を蹴り、次々に襲い来る業火弾をふわりふわりと飛んで避けつつ、社の屋根へ飛び降りた。

 練達の忍者ふたりの嵐のような猛攻に追いつめられているかと思えば、さにあらず。

 その唇には、余裕と嘲弄の笑みがあった。

 ――埒があかぬ。

 長門が焦れた。

 と、花神が攻撃に転じた。

 屋根から飛び降り、その落下速度を乗せて又左衛門に斬りかかる。

 又左衛門は刀で受けた。だが、

「あっ!?」

 刃が、真ん中からまっぷたつに折れ飛んでしまった。

 又左衛門は地に転がって次の攻撃を避けた。

 長門が大きく息を吸った。そして、一気に噴き出した。

 今までとはくらぶべくもないほどの、巨大な火炎が花神を包み込んだ。

 さすがに、これでは魔人と化した花神すら灰にしてしまうだろう。

 しかし、炎を吐き続け吐き終わった直後の長門の眼前に、炎を割るように、黒い影が現れた。

 あっと思う間とてない。

 花神の刀が、真上から一直線に振り降ろされた。

 だが、長門の視界を黒い影が覆う。

 その影が花神の斬撃を身体に受けた。

「又左ぁっ!」

 長門は悲鳴のような叫び声をあげた。

 崩れ落ちる又左衛門を、無慈悲に弾き飛ばして、花神が刀を振った。

 長門は暁星丸で防いだ。だがしかし、宝刀は衝撃とともに宙に舞い、そして、数間後方の大地に突き刺さった。

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