一之三

 あおいらんは、庭の中ほどまで来ると、ふりかえった。

 ちょうど、つぐみを肩に乗せた大鬼が、縁側からまろびでるところだった。

 大鬼は、まるで酩酊したかのごとく、右に左によろけるように往復しながら、肩の異物を払い落とそうと、身体をしきりに揺さぶっていた。

 だが、揺さぶれば揺さぶるほど、巻きついた鋼糸が首にくいこんでいき、文字通り自分で自分の首を絞めている様相だった。

 それでも鶫は、とどめを刺せない。大鬼が暴れるせいで、ふりおとされまいと、鋼糸をつかんだ手を放せない。左手には鋼糸をあやつるための皮手袋をしていたが、その中の指が、すでに鬱血しているようだった。

 その後ろでは、部屋の奥から、もう一匹の大鬼が顔をだした。

「さきにこっちのヤツを始末しちまうか」

 嵐が意気揚々、自信満々、鼻息も荒く、指を鳴らす。

「そうね」

 うなずいて碧は、鶫を背負った大鬼に向かって駆けだした。

 同時に嵐も走り出す。

 大鬼の股下にすべりこんで後ろにまわった碧が、両足のかかとの腱を斬った。

 膝を屈して倒れこむ大鬼。

 跳躍した嵐が、倒れつつある巨体のみぞおちに、拳を叩き込んだ。

 ぐしゃり、臓物がつぶれる嫌な音がする。

 それらの攻撃に同調するように、鶫が鬼の脳天に短刀を突き刺した。

 砂塵を舞い上げながら、絶命した大鬼が倒れ伏した。

 庭に出たもう一匹の大鬼が、咆哮した。

 それは倒れた相棒を悼んだ叫びなのだろうか――。

 蜘蛛鬼のような低級の妖鬼に仲間意識があるとは思えないが、その咆哮はどこか物悲しく、しかし、人のかんを不快に刺激する抑揚を持っていた。

 その、図体のわりには異様に甲高い叫声を合図にするように、三人のくノ一が散開した。

 碧が鬼の正面に、嵐と鶫が左右に位置して、とりかこんだ。

 鶫は着物を脱ぎ去り、その下に着込んでいた山吹色の忍装束の姿になっていた。はだけていた大きな胸も、窮屈そうにしっかりと包み込んでいる。

 そして、彼女は、手にしていた十字手裏剣を、続けざまに三つ投げつけた。

 三つともが、大鬼の左腕に、綺麗に並んで突き刺さった。

 苦痛の悲鳴をあげて、大鬼が振り向く。

 振り向いた背後から、嵐が脇腹に鉄臑当の蹴りを見舞った。

 大鬼は、また身をよじって嵐に向く。

 そこへ、碧が飛び込んだ。

 鬼の頭部ほどの高さまで躍り上がり、その肩を飛び越えつつ、首を切り裂いた。

 ――浅いかっ!?

 薄皮一枚切っただけだった。

 碧は歯噛みして、着地した。

 大鬼が、ふたたび、耳に突き刺さるような高音の咆哮をあげる。

 そして、地に倒れこんだ。

 と見えたが、両腕、両足を広げ、その蜘蛛鬼の名の通りの蜘蛛のような這った姿勢になって、しかも今までよりも数段跳ね上がった速力をもって、走り出した。

 凄まじい重量を持った巨大蜘蛛鬼が、凄まじい速さで庭のなかを疾走する。

 三人は、飛んだり転がったりしてその戦車のような猛進を躱したが、鬼は、植木も馬小屋も、自分の子供であるはずの仔鬼たちすらも踏みつぶして、庭を数周まわりつづけたのだった。

 やがて、疲れたのか気が済んだのか、ふと立ち止まって、三人に振り向く。

 母屋を背に立つくノ一たちは、身構える。

 蜘蛛鬼は、豚のようなうめきをひとつすると、一直線に碧たちに突進してくる。

 三人は飛びのいて躱す。

 蜘蛛鬼は、進撃をやめず、母屋の中へと突っ込んだ。

 そうして、中で暴れまわっているのか、柱や壁が折れ割れる音が外にまで聞こえてくる。

 母屋が、ぐらりと、かしいだ。

 刹那、茅葺き屋根を突き抜けて、蜘蛛鬼が姿を現した。

 碧たちが、ぎょっとした瞬間、鬼は跳躍した。

 妖気で黒く濁った空を背景に、青白い巨体が飛ぶ。

 大質量の物体が、落下エネルギーを加えて、地面に激突した。

 大地に大穴が穿うがたれ、砂塵がもうもうと舞い上がる。

 思わぬ行動に、虚を突かれたが、すんでのところで、三人はかわしていた。

 だが、三人とも、倒れたり、尻もちをついたりした格好になっていた。

 濡れ縁に手をかけて即座に立ち上がろうとする碧の、無防備になったところへ、蜘蛛鬼が襲い掛かった。

 勢いもつけずに、上空へと飛び上がった蜘蛛鬼は、弧を描いて碧の上へと迫ってくる。

 上半身だけ起こした姿勢から、無理に跳ねて、碧は崩れかけた母屋に飛び込んだ。

 鬼は軒を崩しながら、縁側を砕いて着地した。

 刹那、鶫が素早く前に回り込んで、両目を狙って手裏剣を放った。

 片目と額に手裏剣が突き刺さる。

 その頭部の左側面に、嵐が飛び膝蹴りを入れる。

 蜘蛛鬼は首を捻じ曲げながら部屋の奥へと吹っ飛び、柱を折って止まった。

 家が、崩れ始めた。

 鬼が、二本の脚で立ち上がる。

 嵐と鶫は、庭の中ほどまで退避する。

 鬼はよろけるように、外へ出てくる。

 出たと同時に、家が、崩れ落ちた。

 瞬間。

 紅い閃光が屋内から飛び出し、鬼の頭上を飛び越す。

 きらりと忍者刀が閃いた。

 碧が、着地する。

 鬼はたったまま、すべての動きをとめた。

 母屋の崩れる振動が、大鬼に伝わり、巨体が小刻みに震えた。

 その首が、ぐらりと揺れ、前にすべり、地に落ちる。

 首の切断面から大量の青黒い血が噴出し、周囲を血煙でつつみ、巨大な胴体があおむけに倒れこんだ。

 百姓家を包んでいた妖気がしだいに薄らいでいき、青い空が現れ、まぶしく輝く陽射しが碧たちに降りそそいでいった。

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