一之四

 任務を済ませた碧たち三人は、近くに小川をみつけると、土手を走りおりて、身に付けている衣服を、なにか煩わしいものを捨て去るようにして、すべて脱ぎすて、川の中に駆けていった。

 陽当たりのよい場所とはいえ、もう、水浴びをするには季節はずれの、肌寒い日だったが、彼女たちはまったく平気な顔で、汗と埃と鬼の返り血で汚れた身体を洗うのだった。

 膝したほどの深さの、幅も三間ほどの細い川であったが、土手には竜胆がぽつりぽつりと咲いて、その薄紫の花弁は、もうずいぶん赤みを帯びてきた雑草と樹木だけのなんの色気もない景色に、艶やかな彩りを添えていた。

 降りそそぐ陽光とそれをきらきらと照り返す川面は、彼女たちの佳麗な姿態をまぶしいほど清艶に照らしだす。十七歳の、三人の娘たちの匂いたつような肌は、きめも細やかに、それ自体が光を放っているかのごとく輝いてみえた。

 碧は汗をざっと流して、川の中ほどに頭を出している岩の上に腰かけた。均整の取れた身体で健康的な肌の色をしていて、形の良い胸に、桜色の乳暈にゅううんが鮮やかに色づいていた。

 鶫は鬼の唾液にまみれた身体を、手拭いで必死にこすっていた。首や胸や脇を、乳房を揺らしながら拭き拭き、時々、鼻をしたにむけて胸のあたりの臭いを嗅いで、くさい、まだくさい、などと怨言めいた愚痴を鼻に皺をよせてこぼすのだった。

 彼女は、血管が透けて見えるような白い肌に、五尺(百五十センチ)あるかなしかの小柄な背丈に不釣り合いなほどの豊満な乳房を持ち、顔は身長に比例するかのように幼い顔をしていて、まるくて大きな眼に赤くふっくらとした唇が、どこか男好きするものか男たちはすれ違う時、鶫の顔と胸を見比べながら通り過ぎるのが常であった。

 そうやって、しばらく、みなで清流の心地よさを堪能していると、

「なあ」

 と話しはじめたのは、川面に浅黒い身体を浮かべている嵐であった。仰向けに川面に浮いて、水流に流されないように小刻みに手足を動かして、器用にその場に留まっていた。うなじでまとめている髪だけが、流れにのってゆらゆらと漂う。

 彼女は五尺半(百六十五センチ)という、当時の女性としてはけっこうな背丈があって、鍛え上げ引き締まった頑健な身体つきをしていた。ただ、胸の大きさはさほどではない。

「最近、鬼の出没が妙に多くねえか」

 嵐は、整った顔に、少し吊り上がった眼をしていて、人目を引くようなどこかエキゾチックな顔立ちをした美形であった。気の強さが顔貌に表出してさえいなければ、であるが……。

 その口をへの字に曲げて、うんざりしているようすで云うのだった。

「まったく、こうしょっちゅう出てこられたんじゃ、身が持たないわね」鶫が同意するように云う。

「時世が時世だからな」

 碧が切れ長の眼で川面をみつめ、照り返す光に、まぶしそうに眼を細めて云った。

 今、慶長十九年(一六一四)の九月という時は、方広寺鐘銘事件などと後世で呼ばれることになる例の一件で、徳川と豊臣の間で折衝が慌ただしく重ねられていた。豊臣方では片桐且元などが右に左にと奔走する一方、その裏でせっせと浪人たちを集めて戦力の拡充に余念がなかったし、諸国諸大名は、どう変転するかもわからない情勢に神経をとがらせていたのだった。

 そんな混乱の予覚を感じとっているのは、侍たちだけではなかった。妖鬼たちも暗然とした波乱の気配に引き寄せられるように、人間の生活圏に入り込んでくるのであった。

 これまでは、妖鬼が人前に出没するといっても、例えれば、冬眠から目覚めた熊がうっかり集落に現れたり、餌を探していた猪が山を飛び出して街道を猪突猛進していく、というのと同程度の、ごくささやかな事柄であった。

 碧たち討魔忍とうましのびたちが、あくびをしながらでもこなせる程度の、ごく単純な任務ばかりしかなかった。

 今回のように、妖鬼が人家を襲って住民を喰い尽くすなどというようなことは、この十数年、碧たちが物心ついてこのかた絶えてなかった。

「関ケ原の前後もこうだったってね」碧が溜め息まじりに云った。

「ああ、いやだわ。こう妖鬼あいての任務ばかりじゃ、いつまでたっても縁談が来そうにないわ」鶫が無念そうにつぶやく。

「まったくよ、侍たちもたいがいにしろって云いたいよな。せっかく平穏な世の中が続いてるってのに、なんでわざわざ戦なんぞしたがるのかねえ」嵐があきれたようにこぼした。

「戦をしたくってしかたがない野卑で低俗な連中が、この世にはごまんといるのよ」

 鶫がまだ身体をこすりながら、吐き捨てるように云って、

「それよりも、碧」と唐突に話の矛先を変えた。「今日のあなた、まったくなってなかったわよ」

 碧は返す言葉もなく、ただうつむいて、川面に映る自分と見つめあった。

「いつものあなたなら、最初に仕掛けたあの一撃で大鬼を仕留められたはずよ」と鶫は頬をふくらませ、「おかげで散々、臭いベロで身体をねぶられたんだからね」

 へへへ、といささか下卑た笑い声を、嵐がだした。

「きっと、いとしいあの人のことで頭がいっぱいで、気もそぞろだったんだろうぜ」

 碧が嵐をきっとにらんで、

「馬鹿云わないで、あんな薄情者、なんとも思ってないんだから」

「それはどうかしら」と鶫もからかい始める。「あのお方は、任務任務で東へ西へと走り回っているし、帰ったと思ったらまたすぐにどこかへ行っちゃうし」

「ああ、いかないで、私をおいていかないで」嵐がなぜか自分の両腕を抱きしめ悶えるように云うのだった。

「やめなさい、怒るわよ」

 鶫と嵐がどっと笑った。

 それから彼女たちは他愛もないすずろものがたりを続けたのだった。

 そうしてお喋りに夢中になっている少女たちの姿は(裸であるのを別にすれば)、忍などというどこか陰湿な感すらある生業についているとは微塵もみえず、その辺のどこにでもいるごく普通の乙女たちとなんら変わりはなかった。

 そうして楽しく、笑いあい、お喋りに花を咲かせていると、そこへ、ふとひとつの影が霧のように現れたのだった。

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