一之二

 ぐずぐずといつまでも逡巡していては、娘に子種を植えつけられかねない。

 げんに、大鬼は欲情をまったく抑えることなどせず、娘の着物をはだけさせた。白くやわらかそうな肌がむきだしになった。

 そうして、よだれを滝のようにたれ流しながら口を開き、豚が鳴くような喘ぎ声を出し、唾液のたっぷりと絡みついた長い舌をだして、娘の胸を舐めはじめた。

 娘の、小柄な背丈に似合わない豊満な胸が、舌が這いずるたびに弾むように大きく揺れた。

 仔蜘蛛鬼たちが、なにか好奇心をそそるものでもあるのか、その大鬼の周りへ集まりはじめた。

 碧は、心の中で舌打ちをひとつした。

 隅にいる大鬼は柱にもたれかかって眠っている様子だったし、仔鬼たちは、縁側の鬼の行為を、興味津々、眼を輝かせるようにして見入っていた。

 今しかないだろうと思いを固め、窓から家の中へと上半身をつっこんだ。

 彼女は五尺二寸(百五十六センチ)の均整のとれた身体つきをしていたが、窓は思っていたよりも小さく、枠にお尻をこすりつけながら、家の中にすべりこんだ。

 床へと飛び降りた。

 気配をまったく殺し、針が落ちるほどのわずかな音さえもたてず。

 そのつもりだった――。

 ふと、寝ていたはずの大鬼がこちらに顔を向けた。

 碧と視線がからんだ。

 彼女の額に、冷や汗が滲む。

 大鬼が立ち上がった。

 大きい。

 縁側にいる大鬼よりも、さらにひと回り大きく、天井の高い造りのこの家の、その天井板に頭をこすりつけて、こちらに歩いてくる。

 その口の端から、餌の臭いを嗅ぎつけた犬のように、涎を湧き出させ、床に垂らし、白濁した染みを転々と描きながら、それでも警戒はしているのか、ゆっくり慎重そうに近づいてくる。

 碧は、忍者刀を構えた。

 無銘の、一尺八寸という脇差のような短い直刀であったが、鋭利な切れ味をもっていて、数えきれない妖鬼を葬ってきた刀だった。

 鬼は獲物を威嚇するように首をこちらに向けて突き出した。

 碧は跳ねた。

 大鬼には、突然獲物が消えたとしか見えなかったに違いない。

 天井間際で身体を回転させた碧は、板を蹴って、少しかがんだ姿勢になっていた大鬼の直上から、刀を振りおろした。

 しかし、鬼は凄まじい反射神経でそれを察し、顔を振り上げるとともに碧の右手をつかんだ。

 あっと思った時にはすでに放り投げられていて、入ってきた窓のある壁に背中をしたたかに打ちつけた。

 激痛が全身を駆け巡る。

 数瞬、息がとまった。

 大鬼が近づく。

 向こうでは、こちらの騒動などおかまいなしに、もう一匹の大鬼が女を舐めまわしている。飴をしゃぶる童のように、嬉々とした表情でうまそうに、一心不乱に。

 その碧の視線の中に、一迅の青い疾風が吹き込んできた。

 紺色の忍装束に身を包んだこれもまだ年若い娘であった。

 娘――伊賀崎嵐いがさき らんは、間近にいた数匹の仔鬼の、一匹の頭を踏んでつぶし、一匹はこぶしで脳味噌を四散させ、さらにもう一匹を蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた蜘蛛鬼の仔は、壁にぶつかってはじけ飛んだ。

 彼女の、両腕の黒い籠手が、外から差し込む光を反射して、きらりと光った。

 直後、天井近くまで飛躍して、碧に向かってくる大鬼の延髄に回し蹴りを叩き込んだ。

 彼女は、伊賀流柔術の達者で、たいがいの妖鬼なら、素手で倒してしまえる戦闘力を持っていた。

 碧の籠手や臑当は、鉄の篠金物しのがなもの(細い板)を布に張りつけたものだが、嵐の防具は、手首や臑の形状にあわせて叩き出した鉄板を使ったもので、重くて強度の高い、もはや防具というより武器に近いものだった。

 そんな岩をも砕きそうなほどの硬い臑当で蹴りつけられたのだから、剛力屈強を誇るさしもの大鬼もたまったものではない。

 と思われた。

 しかし、大鬼は、まるで肩を叩かれでもしたくらいの様子で、ちょっと後ろを振り向いただけだった。

 着地した嵐は、続いて敵の膝裏を蹴った。

 今度はさすがに、重心をくずして大鬼はよろけたが、よろけつつも身体を回転させて、嵐の頭上高くから、拳を突き落とした。

 嵐は後ろに飛び退しさってかわす。

 鬼の拳は床板に大穴をあけた。

 その隙に、碧は部屋をまわりこんで縁側へと向かった。

 嵐も後に続く。

 大鬼に舐められている娘の横を走りすぎながら、碧は、

つぐみっ」

 怒気をふくませて、大呼した。

「いつまで寝てるのっ!」

 今まで眠った様子で大鬼の舌になぶられていた娘が、ぱっと目を開けた。

 と同時に、身体を滑らせて鬼の腹下からするりとすべり出、くるりと大鬼の背中に身体を乗せた。

 その手にはすでにもう懐から取り出した短刀が握られていて、柄頭つかがしらから分銅のついた鋼糸はがねいとを引きだすと、鬼の首に巻き付けた。

 柄にしこまれていたその鋼糸は、鋼線を特殊な工法でよりあわせたもので、麻糸の三倍ていどの太さしかないのに、そんじょそこらのなまくら刃物では切断できないほどの硬度があった。

 大鬼が、鋼糸をひきちぎろうと、首をかきむしるのだが、肉にくいこんだ糸に指が通るはずもなく、ただ、うめきながらもがくだけだった。

「鬼にべろべろ舐めまわされて、気持ちよがってるんじゃねえぞっ」

 嵐が縁側から飛び降りつつ厭味を云う。

「冗談じゃないわ、こいつの涎、臭くてたまらないんだからっ」

 城戸鶫きど つぐみは、はだけた胸を隠そうともせずに、云い返すのだった。

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