第31話 「涙の大晦日」
暮れも押し迫った、大晦日の午後。
おせちに入れ忘れた栗きんとんを買うため、ばあちゃんのお使いでスーパーに行った帰り道。
鼻歌で歩く僕とチビの横に、黒塗りのセダンが音もなく止まった。
「ちょっとお話、いいですか。」
下がったウインドウから顔を出した男は、”議員秘書”だと名乗った。
ドアが開いて、綺麗な白いシートの助手席が現れた。つい身を滑り込ませようとしたら、
「知らない人の車に乗っちゃダメなんじゃないの?」口を尖らせたチビにたしなめられた。犬巻や世間にすべてぶちまけてしまったこないだの一件が、僕を少し大胆にさせてしまったのかもしれない。
「そうだよね。ごめん。」
僕は周りを見渡した。公園がある。そうだ…、
「あの…、あそこでなら…。」
巨大なタコの形をした滑り台遊具。
横腹から人が入れる土管状の穴がある。
その中で、秘書と僕とチビ3人で並んで膝を抱えて座った。窮屈そうに足を折る秘書。
「なんか、すみません。」
「いえ。人目に触れないので。」
生まれて初めて秘書と言う人種を見た。手を触れたら切れてしまいそうなくらい真っ直ぐプレスされたズボン。話を聞きながらも頭の中では、”よく事件で「秘書がやった」と擦り付けられる気の毒な職業の人なんだよな…”、なんてくだらない事を考えたりしていたら、
「年明けすぐに通常国会があります。参考人招致に来てもらえませんか。」
と内々に打診された。「与党政府が主導するクローン実験に巻き込まれた経緯を洗いざらい喋ってほしい。」というのだ。そうか、犬巻たち政府とは敵対する野党政党だから。
「つきましては打ち合わせの段取りですが…」
さくさく先に進もうとするので僕はチビの顔をチラリと見た。大人の話なんて興味もなくて、秘書が持ってきた土産の仕掛け絵本に興奮してページをめくる無垢な横顔。
…確かに僕が死んじゃった後、こいつを守るためには法整備なども必要なことなのかもしれない。だけど、チビをまた好奇の目に晒すことにもなる。
来年には、野党の目論見通り、政権はひっくり返るかもしれない。しかし、犬巻の言ったことが本当なら、新しい政権も、クローン実験の誘惑には勝てないだろう。きっと同じことを秘密裏に繰り返すかもしれない。またチビが利用されるのは勘弁してほしい。
「少し、考えさせてください。」
丁重にそうお願いすると、
「せっかくのいいお話なんですけどね…お心が定まったらこちらへ。」
と名刺一枚置いて、残念そうにテールランプを光らせ走り去って行った。
だけど…、どうでもよかった。
みんな外野がいろいろ言って惑わせるけど、そんな騒ぎなんて僕にはもうどうでも良かった。
僕の気持ちは全く別のところにあった。
大事なことがあるのだ。
残されたわずかの時間は、チビと最後の思い出づくりに費やさなければ。
「あと一週間くらいならシンクロ度合いもそんなに進まないから大丈夫です。しっかり思い出を作ってください。」
猫ちゃんが言ってくれたので、年末年始で線を引くことにした。
そこまでは楽しもう…。これが済んだら、お別れだ。
そう自分に言い聞かせていた。
夜…。
最後こそは、とてもあたりまえに過ごそう。
派手ではないけど穏やかな、何気ないごく普通の生活をしよう。
だから、皆で紅白を観た。ベタなことがしたかった。とてもあたりまえに。
チビとばあちゃんと、それから猫ちゃん。
すきま風に背中を凍えながら、コタツに皆で足を並べ暖をとる。ばあちゃんが作った年越しの”にしんそば”をすすり、家族らしい行事を楽しめる幸せを噛み締めた。
幸せは、甘い出汁の味がした。
近ごろ増えた頭痛に、こめかみを指の腹でさすっていると、
「だいじょうぶですか?」
猫ちゃんがのぞいた。
照れ臭さと心配かけたくない思いが入り混じって、ごまかしの質問を返した。
「犬巻さんたち、これからどうなってしまうんですか?」
「…わかりません。でも、ちょっとやそっとではへこたれない方たちですから。」
と優しく笑う。
「ですね。」それにしても、「猫ちゃん、大晦日なのに付き合ってもらってすみません。いいんですか?お休み。」
「身寄りもないので。」
「あ、すみません。」
「いいんです。」と笑顔で僕を安心させ「それに…」チビやばあちゃんを眺めながら、
「なんか本当の家族みたいで居心地良くて…」
ごーん、とかすかに除夜の鐘。
自分がほめられたわけじゃないけど、照れくさかった。
やがて新年を迎えるカウントダウン。
「5…4…3…2…1…ゼロ…」
皆でささやかに新年を迎える。
たった1秒違うだけで西暦がひとつ変わる感激に、どこかで若者たちがおどけてはしゃぐ声が、夜の街角のアスファルトにはね返って遠く響いている。
「あけましておめでとうさんでございます。旧年中はほんにお世話になりました。本年もどうぞよろしゅうお願いいたします。」
午前0時過ぎの新年の挨拶は毎年恒例の神聖な儀式だ。ばあちゃんに倣って、僕たちもあらたまって畳に三つ指をついてつつましやかに行われる。
いつもは9時に寝るチビも、夜更かしの甘い背徳感と、特別な日だから許されるという解放感が手伝ってか、大いにはしゃいだ。
猫ちゃんの耳元でささやいていたので、
「何話してるの?」と聞いても、
「ひ・み・つ」と言って2人笑った。楽しそうで良かった。
「なに?」
いたずら心で食い下がってみる。
「なんでもないよ」
「だって今、コソコソ隠し事みたいに。」
と僕が突っ込むと、チビが、
「隠されて困ることでもあるの?」と笑った。
近ごろ、少し大人びたセリフを言うことが増えた。僕の話し方だ。かなり知識がシンクロしはじめている。やばい。もう時間がない。
チビに人並みの思い出だけは作ってやりたい。それさえできれば、この生活ももうすぐで終わり。僕がこの家から去る時だ。ばあちゃんとチビが一緒に暮せば寂しくなかろう。
今夜は興奮してつかれてしまったようだ。やがてチビは電池が切れたようにこてんと寝てしまった。
二階の布団に寝かせたあと、猫ちゃんは、何かを察してか、
「まだ人いっぱい歩いてますね。大晦日は電車ありますから。」
と寒空の下、ダウンを羽織って帰っていった。
ばあちゃんに全部話そう。
コタツで少し寒そうに背中を丸めたばあちゃんは、お茶を飲んでいた。
時計の振り子の音がカッチカッチ響く。
チビが起きてこないよう気を配りながら、全部つまびらかに話した。反応をうかがいながら、丁寧に言葉を選んで話し続けた。ばあちゃんは、表情一つ変えずに最後まで聞いてくれた。
時計の歯車が小さくカチリと動き、ボーンとひとつ鳴った。
「知っとったよ。」
ばあちゃんが、ぽつりと言った。
「難しいことはわからへんけどな…」
僕の命についても、チビの存在についても、ばあちゃんは知っていた。父がいなくなるとき聞かされていたそうだ。ずっと黙って僕と暮らしていたという。
「春におチビのゆーちゃんが現れたときは、ほんに肝がつぶれるかと思うたわ。生き写しとは正にこのことやわ。」
「…チビのことお願いしていい?」
「いつこの日が来るか、と思うとった。就職とかでいつか出ていくやろて。なーんも心配せんでええ。」
昭和の京女は気丈に振る舞う。
「ばあちゃん。今までありがとう。」
「身体に気ぃつけて。生水飲んだらあかんよ。腸、弱いさかい。」
「わかってる。」
「ばあちゃんより先に死んだら、ばあちゃん許さへん。許さへん。絶対に許さへん。化けて出るさかいに。」
「頑張るよ。その場合、化けて出るのは僕なんだけど。」
と僕はおどけて見せた。
「悪い冗談を。ババ不幸もん。」
とばあちゃんは小さな頬でふくれた。そして、「もう、先ぃ寝よし。ばあちゃんは、もう少しお茶を飲んでいくさかい。」と後ろ手で僕を「シッシッ」と追い払った。
「ごめんごめん。わかったよ。」
「はい、行きない、行きない。」
「じゃ、お先に。」
「はいはい。おやすみやす。」
「おやすみ。」
僕は階段に足をかけた。
その時、
コタツ布団に深く体を埋め、見えないように肩を震わせ泣いているばあちゃんの背中に気づいたが、
僕はまともに見ることができなくて段を駆け上がった。
(つづく) あと3話…
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