第30話 「別れます」


「何?悪い話かしら」



犬巻は、僕ん家の玄関戸を後手で閉じながら、いぶかしげに言った。


「まだ記者がうろちょろしてるのね。しつこい。」


確かに今日はいつもよりまして表の人が多い。ご丁寧に市民ボランティアまでもが、可哀そうなチビと僕を人権擁護するためチラシを配っている。




「チビと別れて暮らします。」


朝、そのことを犬巻に告げるために電話したら、一言も聞かず、


「なら私がうかがいます。私一人で。猫塚はダメ。どうも最近あなたたちの味方ばかりするの。」


と愚痴をこぼしながら、古くて汚れた僕たちの家へやってきたのだ。





僕の話を聞いて、犬巻はテーブルに置かれたばあちゃんのお茶も飲まずに激怒した。


「今さらです!」


「すみません…。」


頭を下げるしかできなかった。


「こんなに素晴らしい成果を上げてるのにどうして。」


「成果って、チビの人生を奪うことですよね。父も反対しています。」


「父?反対?なんのこと?」


父との夢の話については教えられない。


「あ…、い、いえ。」


「時間がないの。あなたには申し訳ないけど、命がなくなる前に早く記憶を移して。」


「できません。」


「あなた、死んでしまっていいの?世界で初めて、不老不死を実現させるのよ。重要な役割を担ってるんです。一時の感情でこの大きなプロジェクトを水の泡にしないで。」




その時だ、外でざわざわ声がした。




取材クルーたちの声らしい。なんだろう。


犬巻も気になったのか、外の方をチラッと見たが、なんなのと肩をすくめて気にとめなかった。


「どれだけ投資したと思ってるの。国や実業家の期待を背負ってるの。あなた一人のセンチメンタリズムだけで人類の宝を壊さないでください。」


「そうなんですけど…やっぱりこれって人体実験じゃないですか。」


「実験の何が悪いの?考えてみなさい。薬品、手術…今あるすべての医療行為は、先人たちの臨床実験のおかげよ。世界で最初にパスツールが子どもにウィルスを植える実験をしたから現代にワクチンがある。当時は非難されたけど、今は英雄。誰かが最初にならなきゃ。」


「チビの未来を奪いたくないんです」


「おチビちゃんは、あなた自身なの。あなたの一部。爪とか髪とか、あなたから生えてきた身体のパーツだと思えばいい。元に戻るだけ。気にすることないわ。」


「そんな言い方…」


「なんとか成功させたいの。」


「すみません。本当にすみません。」


「契約書にサインしたでしょ。」




外がざわざわしてきた。


「騒がしいわね」


犬巻が怪訝な顔で外をうかがう。




だが、僕だけが気づいてしまった。



テーブルで向かい合わせに座る犬巻の、その肩ごしに見えるテレビ。


そこに、妙な映像が映っていることに。


それは、さっきまでばあちゃんが観ていたワイドショー。


画面上にLIVEと書いてあり、まさに今、僕と犬巻がテーブル越しに話す姿が映っているではないか。


これって、この部屋の柱に据えられているカメラ…、つまり僕とチビの生活を毎日分析しているいつものカメラ映像…だよね、これ?


試しに頭を掻いてみる。少しの遅れで、テレビ画面の僕も頭を掻いた。


え?テレビに流れてるってこと?表のざわつきの正体はこれだった?


なんでこれが?なんで?


頭はパニック状態。




…だけど




…まあいい。腹が座った。




もしみんなに知られちゃったのなら、それでいい。


聞いてくれ。聞いて考えてほしい。



覚悟に変わった僕の表情に、何も知らない犬巻は「何?」と一瞬たじろいだが、まさか気のせいね、と思い直した様子。


言うべきことを伝えよう。



「犬巻さんには感謝しています。」


「は?」


「このチビと出会えたことは、人生の宝物でした。


僕の命はいつ終わるかわかりません。来月か…明日か…。今夜、晩ごはんのオカズを目の前にして、一口も味わずに事切れるかもしれません。


そんな僕が生きる希望をもらえたんです。このチビのおかげで。チビと一緒に暮らしたおかげでね。死んだあとも、このチビが生きてくれることで、生きる希望が湧きました。”死んだって構わない、この子に未来を託すことができた”、そう思えるようになりました。」




「………。」




犬巻が鬼の形相で僕を睨んでいる。


彼女越しのテレビ画面に映る”ミニ犬巻”の顔もダブルで怖い。




「でも、いいことばかりではありませんでした。一緒に過ごすことで、彼の人生を奪ってしまうことがわかりました。だからもう、一緒には暮らせません。親でもなく、兄弟でもなく、子でもなく、ある意味もっともっと近い存在。究極の家族。なのに、もう一緒には暮らせません。」


「だから気にしなくていいの。」


「僕は、この子を守らなければなりません。一緒にいられないけど、先に死んでしまうけど、でも守り続けます。」


「そんなこと言わな…」




「お願いがあります。」




「は?何を?」


「犬巻さん、あなたは内閣府の方ですよね。国の大切なことを決める人たちなんですよね。」


「ええまあ。それが?」


「どうか、この子を…、そしてこれからも生まれるかもしれない、クローンの子どもたちを守ってください。そんな法律を作ってください。」


「あなたね、そんな簡単じゃ…」犬巻は眉をひそめ、真っ赤な唇はへの字。


「彼らの人権を保証して欲しいんです。誰からも奪われず傷つけられない人権を。クローンはオリジナルの人間の所有物ではありません。オリジナルが着換える新しい服ではありません。

お願いします。お願いします、クローンに人権を!この子に幸せな未来をください!」


「………。」


犬巻は微動だにせず、僕を見つめていた。


表の人々も静まり返っている。




「ん?」




その時、犬巻は気づいてしまった。僕の目線に違和感を感じたのだ。


振り向いて背後のテレビに目をやり、


「なによこれ…!?」


駆け寄って両手でテレビを鷲掴み。そこに映る自分たちを見て、わなわなと震え出した。


「ぬぬぬぬぬぬ…」


振り向いたその顔は鬼の形相。見たことないインパクト。しまった…。


「カメラを切って!」


犬巻はもう一度言った。


「カメラを切りなさい!」


「いや、僕はあの…知ら…」




”プツン”




映像が消えた。漆黒の画面に吸い込まれるように。


消えた?どういうこと?僕の頭は混乱していた。




その瞬間、静寂を破るように、


「うわぁぁぁ」


表で歓声が挙がったのが聞こえた。


記者たちも市民ボランティアも。ちゃんと言葉は聞き取れないが、どうやら僕とチビを応援しているような、そんな優しさにあふれている声だった。




やがて、犬巻が僕の目を睨み続けながら言った。


「もういいわ。猫塚。」


え?


「はい。」


頭上で猫ちゃんの声がした。


ミシミシ古い木がきしみ階段を降りてくる足音。


「え?なに?」


犬塚ごしに現れる白くて細い足。足元を探りながらゆっくりと。


やがて二階から降りてきたその姿は、タブレットを片手にしたまぎれもない猫ちゃん。


いつからいたの?


犬巻は、僕の目を凝視したまま猫ちゃんに向かって、


耳を疑う信じられない言葉を発した。



「これでいいんでしょ。」



「ありがとうございます。」



え?



猫ちゃんは、申し訳なさそうに、


けど安心したような穏やかな表情で犬巻の傍らに立った。




すると鬼の形相がふにゃっとゆるんで、


「あーあ。」


犬巻は一転、あどけない少女のような背伸びをした。


「しょうがないわね。これで私、チョー悪者よ。」




え?え?




「芝居を打つしかなかったわ」肩をすくめて言った。「猫塚もうるさいしね。しつこいったらありゃしない。」


どういうこと?


「映像を流したのは、私の指示よ。」


実は、すべては犬巻自身の意志だった。


猫ちゃんに自宅カメラの映像を、ネットに接続して公開させたのだという。


「ユタカさん、あなた頑固ね。どうしても言うことを聞かないから実験は失敗。私の立場はヤバすぎ。だったら、根底から覆るような大混乱でもなきゃ、ウヤムヤにならないでしょ。」


実験失敗の責任を問われるくらいなら、犬巻はこっちを選んだというわけだ。


テレビでも取り上げられ、世界中にも配信された。クローン計画の是非を世の中がどう判断するか…未来は世論に委ねられた。


「こんなのバレたら懲戒ものだわ。クローンの体を待ち望んでる年老いた投資家たちは怒るでしょうね。ああ、こわいこわい。」


「犬巻さん…」


「私も立場がありますので、実験を意地でも進めようとしているポーズは見せておきました。” 勝手に配信された、あなたの策略にハメられた "、っていう筋書きにしておくから。よろしくね。」


「は、はい。」


「ま、それでも相当立場はあやういかも。ふふふ。」


「それなら先に言ってくれれば…」


「あなた、お芝居ヘタでしょ。」


犬巻は、声を上げて笑った。猫ちゃんを見ると、優しく微笑んでいる。




「言っておきますが…」


犬巻は背を正し、「私は今でもクローン推進派よ。」


ハッキリと念を押した。


「私の責務は、この実験を成功させて、人類の新しい進化をもらたすことなの。私は諦めてはいないわ。お父様の汐妻教授がいなくても、私たち研究チームで一番早く成功させてみせる。あなたたちのクオリティを超えるクローンを作ってみせます。」


僕は猫ちゃんを見た。猫ちゃんは、僕に神妙な顔でうなずいた。犬巻は、指先のホコリをふっと吹き飛ばし、言った。


「たとえ私たちがやらなくても、いつかはどこかの国の研究機関で実現するでしょう。時間の問題。ユタカさん、あなたがどんなに頑張っても、この流れは止められない。人間はね、思いついた事は実現せずにはいられない。そういう生き物なの。」


「でも…」


「だいじょうぶよ。ちゃんと、クローンの人権を守ることは、約束します。本人たちの意思を尊重します。安心なさい。そのかわり、もしもオリジナルとクローンの2人ともが『いい』って言うなら、シンクロ実験することは許してね。本人たち2人が心から望むなら。いいでしょ。」


僕には、答える言葉が見つからなかった。




「とにかく…」


ふぅーっと、深呼吸して犬巻は言った。


「あなたとおチビちゃんの生活をこの数ヶ月ずっと見せてもらいました。そこのカメラでね。最初はただの研究対象だったわ。シンクロが進んでいく様子はとても興味深かった。記憶が移り始めたときは興奮しました。現実に起こるなんて。でも、それとは違う感情で、私自身毎日見るのが楽しみになっていた事に気づきました。あなたとおチビちゃんが、一緒に生活する様子。遊んだり、話したり、ケンカしたり…。やがて互いを思いやるあなたたちを見て、これは1人の人間のコピーなんかじゃない。2人なんだ。家族になったんだ。と思えるようになりました。だから、今回はあきらめます。きれいさっぱり。しょうがないわねえ。」


「ありがとうございます。僕たちのために…本当にすみません。」


「あなたたちのためじゃないわ…、保身のためよ。」


犬巻はいたずらっぽく笑いながら、


「ま、もっとも、今回ダメでもいいの。本来はもう少し優秀な人材で実験したかったから。就活に落ちこぼれた学生なんて、2人も3人も増やしたって価値はないわ…。」


とウインクした。


「ちょいちょい失礼ですって。」


僕も笑った。


猫ちゃんを見ると、笑顔でうなずいた。





玄関に腰掛け、高そうにテカる靴を履きながら、犬巻が背中で言った。


「あなたたちお似合いね。クローンとしてじゃなく…、」


「え?」


よっこいしょと立ち上がり僕の目を見て、



「家族として。」



「…はい!」


嬉しくて頭を下げた。


「じゃ、元気でね。」


玄関扉に、手をかけ、


「さあ、蠅たちをどう追い払おうかしら。」


ガラッと開けた。




またたくフラッシュ。響くシャッターの音。


飛んでくる質問の嵐の中、犬塚は消えていった。





(つづく) あと4話…

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