第29話 「父の答え」
チビがヒトカゲに飛びついて、叫んだ。
「父ちゃん!」
そこにいたのは…父だった。
「まさかそんなはず…」
甘えるチビを抱きしめながら、父が僕に微笑みかけた。
「やあ、よくここまで来たね。」
「何?これ、どういうこと?父ちゃんは死んだんじゃ…」
久しぶりに父ちゃんに会って、張り詰めた緊張が切れたように膝をついた。
なんでいなくなったの?
どうして何も僕に教えてくれなかったの?
僕ね…、僕ね…、
淋しかったけど頑張ったよ。
あふれる感情が押し寄せ、子どものように声を上げて泣いた。
でも…。
「ちょっと待って…」
ふと、我に返った。
僕は今、チビの夢の中にいる。
だからこの父は、正確には "チビの記憶に残っている父の姿" ということか。僕の知っている父ちゃんより少しだけ歳をとってる。
肌までリアルだ。よく覚えているな、チビ。
隣の女性は母だ。
僕もチビも写真でしか見たことないので、動くことはないが写真のとおりの笑顔で優しく微笑んでいる。こう見ると綺麗だったんだな。
目の前の父は言う。
「今、ユタカがここにいるということは、2人が出会ったということだね。今の私は、チビの記憶に刷り込んだ私の残像だよ。」
「残像?」
「毎晩、絵本の読み聞かせをする時に、この子の記憶に刷り込んだんだ。録画された映像みたいなものだよ。」
空間に、その様子が浮かび上がった。まるでホログラムのように。
秘密基地の中、毛布にくるまったチビに父が絵本を読み聞かせる姿。
「絵本を読んであげたあと、チビに、ある秘密のお話をたくさんした。」
「秘密のお話って?」
「どうしてクローンを作ったか。」
「え?チビ、なんで言わなかったの?」
チビに問うと、
「ん?なんのこと?よく覚えてない」と秘密基地の毛布から顔を出した。
「なにせ幼い子どもだからね。理解はもちろんしていない。眠りにつきそうなまどろみのとき、私はチビに耳元でささやき続けた。おとぎ話を読むように、何度も何度も。」
寝そうになるチビのそばで、ささやく父の姿が見えた。
「そんなの覚えているわけ…」
「覚えているんだ。人間の脳はすごい可能性を秘めている。チビには意味が理解できなくても、脳細胞にきちんと刻み込まれている。自転車の乗り方や箸の持ち方は一生忘れないだろう?」
「うん…」
「問題はその記憶を取り出せるかどうかだ。」
目の前に大きな図書館の無数の本棚が広がった。
僕とチビの姿も浮かび上がった。
「うわぁ、すごい。ご本がいっぱいある~」
ふわふわとチビは逆さになりそうになりながら喜んでいる。
「巨大な記憶の棚に人生すべての経験が記録されている。そう、君ならチビの記憶に入り込んで捜索ができる。」
「猫ちゃんたちは正しかったんだな。」
「だから思ったんだよ。もしもいつか君たちが出会うことがあったら、こうやってチビの記憶の奥に刻み込んだ私の話を見つけてくれるに違いないと。その時の君なら、父ちゃんの話が理解できると思う。私の命が尽きる前に真実を残しておきたかった。」
見つけたよ。見つけた。
この記憶の残像は、父ちゃんの残した手紙なんだね。
夢の中の”ヒトカゲ” は、僕がチビの脳を占領してしまう前に、父ちゃんがこのことを知らせるため、ずっと様子を窺っていてくれたんだね。
「一緒にいられなくてすまない。見たかったなあ。お前の成長する姿を。
どうだい?大人になるまで、いろんな事があったかい?いろんな事を学んだかい?一生を捧げるやりたい事は見つかったかい?好きな人はできたかい?」
うん、少しだけど大人になったよ。僕一人じゃダメダメな人生だったけど。でも、父ちゃんがチビを残してくれたおかげでね。ほんの少しだけど、父ちゃんの子を想う気持ちがわかった気がするよ。ほんの少しだけどね。
父は静かに微笑んで、
「君の知りたかっただろう秘密。どうしてクローンを誕生させたのか、本当の理由を話すよ。」
確かにずっと聞きたかった。
けど、今となっては、なんか聞くのが怖いような気もしていた。クローン誕生の理由。
父は僕の目を見つめて言った。
「実は…、君たちのお母さんの望みだったんだ。」
「母ちゃんが?クローンを作ることを望んだの!?」
「正しくは、望んだのは”兄弟”。『私たちの子どもには兄弟が欲しいね』彼女はずっと言っていたんだ。2人や3人の子どもたちと一緒に食事ができる温かい家族。それがかけがえのない夢だった。でも…」父は目を伏せ、「お母さんは、自分の病気を知っていた。死期を察していたんだ。叶うことのない夢と分かっていた。」
「それで…」
「そう、子どもには兄弟がほしい。お母さんのせめてもの願いだった。自らの命を犠牲にして赤ん坊の命を残した彼女の願いだ。どうにか叶えてあげたかった。だから、クローンの弟を生み出すことにした。」
そうだったのか…。
「じゃあ、最初生まれた赤ん坊は僕?死んだんじゃなかったの?」
「赤ん坊は…君だよ。元気な赤ちゃんだった。お母さんが命を懸けて元気に生んでくれた。チビは、君が13歳の時に誕生させた。」
「おかしいな。クローンが作られた時期は、僕が生まれた時と同時かも、ってヤギ教授から聞いたけど。」
「いいや。その時は、赤ん坊だった君の細胞をほんの少し採取しただけだよ。」と笑った。
「どういうこと?」
「赤ん坊の細胞が必要だったんだ。いいかい、たったひとつの細胞にもDNAがある。見てごらん。これが君のDNA情報…つまり”設計図”のようなものだ。」
僕の目の前に映像が浮かび上がった。
僕の体のCGのようなものと、それを取り巻くように大量のアルファベットが螺旋状の波のように押し寄せてきた。
「なんだかたくさん出てきたよ」
「ヒトの設計図の情報は32億ほどある。」
「げ、そんなに?気が遠くなる」
「この設計図で、人の体がどんな姿や形になるのかが決まってくる。だけどクローンをつくるには、ただ1つの設計図があればいいってわけじゃない。過去にさかのぼって、生まれたばかりの赤ちゃんの設計図も必要なんだ。」
「そんなに必要なの?」
「実は、人の遺伝情報は変わっちゃうんだ。」
「DNAって、一生変わらないものなんじゃないの?」
「DNA…つまり設計図は変わらなくとも、完成形は変化するよ。ほんのわずかだけどね。成長するなかで、環境や生活習慣の影響を受けて、結果は変わっていくものなんだ。」
「どういうこと?もっと理系を勉強しときゃ良かった。」
「見てごらん。」
今度は、目の前に野球のグラウンドが浮かび上がった。青々とした芝生に選手たちが散らばっている。
振りかぶったピッチャーが投げたボールをバッターが打った…、
そこでストップ。
「ちょっと待って、これと何の関係が?」
「君は外野だとする。で、バッターの打ったボールを捕ろうとする。フライが飛んで来たら、ボールの角度やスピードでキャッチする着地点を予測するだろう?」
ボールの軌道を点線が描いて、落下地点を示される。
「うん…まあ…。」
「でも、時には横風が吹いて球がずれるかもしれない。その横風の情報も必要だよね。」
軌道がずれてボールの落下地点も横に移動する。
「それとおんなじ。赤ちゃんから13歳…毎年いくつものDNA情報から計算して、成長して大人になった時の姿かたちを予測する。その情報を、クローンを培養する時に編集して書き足しておくんだ。オリジナルと全く同じ成長を遂げられるように。」
「はあ…、わかったようなわかんないような…。」
「それが、私の開発したシオツマ法の秘密だよ。他の誰も知らない。」
ここまで聞いたら、もっと知りたくなった。
「じゃあ、じゃあ…、」
聞きづらいけど、ええい、この際いいや。「やっぱりきっかけは交通事故?僕が死んだときのための身代わりでチビを誕生させた?」
「いいや、君の代わりが欲しかったわけじゃない。事故はただのきっかけに過ぎない」
「だとしたらなぜ?」
「チビへの愛情だよ。」
とつぜんチビが小さく小さく縮みはじめた。どんどん、どんどん小さくなる。手のひらに乗りそうになってもまだ縮んでいく…。
ついには、ちっぽけな細胞のカケラになった。
溶液チューブの水槽が現われ、カケラはその液にポチャンと入ってふわふわ浮き始める。
やがて風景は研究室に変わった。テーブルには、あの”木星”のオモチャ。
あの頃の若い父がいる。何をしているんだろう。
チューブに浮く細胞のカケラを、父が眺めている。
出勤した時も、仕事の合間にも、お弁当を食べている時も、毎日毎日…。
楽しそうに笑って何かを話しかけている。その目は、とても愛情にあふれた父親のまなざしだった。
「その時はまだ小さな細胞。君の弟として13年間保存された赤ちゃんの細胞だけど。私は、13年間毎日細胞を見るたび愛しくなった。愛情が芽生えたんだよ。どうしても廃棄できなかった。だって、君と同じく僕の愛する息子、ユタカだからね。クローンだって生まれる権利がある。」
「そうだったんだ…」
「しかし、研究を進めるうち、2人を会わせてはいけないことが分かった。シンクロが進むと、どちらかの意識が相手の脳を占領してしまう副反応の危険性を発見してしまった。」
父が思い悩む姿。
「そんな時だ、交通事故があったのは。君を事故に巻き込んでしまったことを死ぬほど悔やんだ。自分を責めた。
しかし事故は、私が死んだことにして身を隠すには二度と訪れないチャンスだった。チビを育てるために。このクローン技術は間違った使われ方をしてはいけない。すべてを秘密にするべきだと決めた。」
その後、父は身を隠し、かつて僕と父が暮らしたようにチビを育てたそうだ。赤ん坊から小学生という同じ時間を僕と過ごしたように、もう一度過ごすことは至極のひと時だったそうだ。
「なにかと扱いの難しいティーンネイジャーの君も見てみたかったけどね。」
くしゃっと目を細め、父は笑った。
僕の着ていた服や、おもちゃなど日用品はすべて僕の物を持って行って使ったという。
全く違う子供として育てることも考えたが、一生会う事のできない僕との生活を憧憬するがあまり、捨てきれなかったそうだ。
「もうしわけない。私も息子を失いたくなかった。君と別れるときは胸が張り裂ける思いだった。二人の息子を同時に愛することができない宿命への苦悩が、そうさせてしまった。」
結局、僕はオリジナルだった。
でも、もうそんなことはどうでもよくなった。僕は僕、チビもチビ、2人とも本物だから。この世に生を受けたなら、本物なんだ。
僕は思った。
「だったら…、だったら母さんのクローンを作れば良かったのに…」
「考えたさ。でもね、いずれ同じ病気で亡くなる悲しい運命を繰り返させたくなかった。」
「…そうか、そうだよね。」
「それに、赤ちゃんとして生まれ変わった彼女が、私との数十年の歳の差を埋めることはできないからね。」
と寂しく笑った。
それから…
僕たちはレストランで家族4人揃って食事をした。
見たことのない色鮮やかなオードブル、キツネ色に光り輝くホッカホカの七面鳥…。ほっぺが落ちるほど美味しく、なんとも美しいクリスマスディナーだった。
何を話したか覚えていないが、たわいもない話だ。
チビは初めて会う母ちゃんにも抱きついて甘えた。
暖かくて優しくて、とても幸せな時間だった。
チビと僕の長い間の夢が叶った気がした。
この時間を過ごしたくて、チビはここまでやってきたのだ。
やがてテーブルのキャンドルの炎が揺れ始めた。
それを横目で見た父は、食後のコーヒーを飲み干しカップをカチャリと置いた。
「そろそろだな…」
行ってしまうの?
「君たち2人が出会ったのは、本人同士引き寄せ合ったのだろう。
でも、一緒にいては駄目だ。離れて暮らしなさい。チビの頭の中の記憶は、君の記憶の量に押されて、いずれ消えてしまうだろう。とにかくその前に…。」
「分かったよ、父ちゃん。チビのために離れて暮らす。約束するよ。」
「君はチビと会って、かけがえのない経験をしたはずだ。自分が何者か?人生って何か?命とは何か?いろいろ考えられたと思う。」
「イヤというほど考えさせられてるよ。毎日ね。」おどけてみる。
「人生にとって大切なものは、自分が心から安らげることのできる人を見つけることだ。家族でも友だちでもいい、自分のことを犠牲にしても守りたい人。それが一番の幸せだと思う。だから父ちゃんは幸せだったぞ。お母さんがいたし、お母さんがいなくなったあとでも、ユタカと、チビのユタカという2人がいてくれたからな。本当にありがとう。」
僕の方こそ、ありがとう。
チビと一緒に暮らしたことは間違いかもしれないけど、幸せだったよ。
「ユタカ。会えてうれしかったよ。もう1人のユタカを頼んだぞ。」
父は僕とチビの肩をつかんで抱きしめた。
そのぬくもりや感触ははっきり感じられた。チビの脳に鮮明に残されているのだろう。懐かしかった。
「話せてよかった。それじゃ。」
「もう会えないの?」
「そろそろ残像もここまでだよ。」
少しずつ影が薄くなってきた父。
そうだ、聞きたかったことを思い出した。
「最後にひとつ。曲…あの曲、なんていうの?」
「ああ、これだね。」
口笛を吹いてくれた。姿が透けてきた父の奥に、消えそうなキャンドルが揺れている。
クセのある口笛。甘美な調べに涙が出た。
「ホルストの”木星”。クラシックの名曲だよ。」
父の言葉に吹き揺らされるように、キャンドルの炎が消えていく。
立ち上る煙に吸い込まれるように、すうっと父の姿も消えた。
レストランのテーブルにぽつんと残されたチビと僕。
美味しかったごちそうもだんだん薄く消えていく。
「消えちゃったね。」
「消えちゃったね。」
同時につぶやいた。
「父ちゃんは消えたけど、僕はちゃんといるからな。一緒だからな。」
「うん。」
やがて寒さが僕たちの背筋を襲った。なんだろう。体がぞくぞくする。
それにしてもバスに乗っていたときの街の様子がリアルだったな。クリスマスソングも、乾いた街の匂いも、この寒さも…。
「まてよ…寒い感覚だけ妙にリアル…。そうか、今、チビは寒いところにいるんだ。どこだ?どこだ?寒いところ…。」
その時突然、
今日のチビとのやりとりが頭にフラッシュバックした。
”ねえ兄ィ、今度バスでおでかけしようよ。”
”ごめん、忙しい。”
そこで僕は気づいた。やっと気づいたんだ。
「バスだ!」
「ん?」
「もしかして、バスに乗った?」
「うん?一緒に乗ったよ」
「そうじゃなくて、チビが寝る前。現実の世界で。」
「ん?あ…ああ、乗ってたかも。」
「バス?なんでバスなんかに!?乗ってどうしたの?」
「レストランに行けると思って。そしたら父ちゃんや母ちゃんに会えるかもって。」
「どこまで覚えてる?」
「うーん、覚えてない。」
「覚えてない、か…。」
だとしたら、バスに乗りながら途中で眠ってしまったんじゃないのか!?
そうだ!その通りだ!
ということは、今、バスの行き先にいるはず!どこだ?
とにかく、実世界に戻って探そう。
「チビ」
「ん?」
「兄ィは先に起きるね。」
「どこ行くの?」
「チビのいる所。探しに行くよ。」
「うん、見つけてね。」
「わかった!かならず探し出すからな。待ってろよ!」
僕は、夜の闇をゆっくりと見上げる。
よし、鼻の孔から大きく息を吸って…
起きよう。
起きよう。
起きよう。
深い夢の底から、夜の闇を平泳ぎで掻いて、上へ上へ。。。。。
。
。
。
上
へ
。
。
。
。
。。。。。。ふう。
眠い。
なんだかとても疲れたな。
まどろみながら、意識と記憶が混乱している。あれ、何してたっけ。
ここは? 暗い…。車…の中かな。
「目、覚めました?」
猫ちゃんの顔…。
「大丈夫ですか?泣いてましたけど。」
頬が濡れている。
「あ…はい。」袖で拭いた。
「このあたりで脳波計が反応したので、車を止めてみたんですが…。」
「脳波計……?」
あれ、なんだっけ……記憶が混乱してる……
このあたり……チビと会って……バス……
「バスだ!」
ガバッと飛び起き、驚く猫ちゃんに、
「バスの行き先です!家の周辺を走っているバス。それも…そんなに遠くないはず…」
急いでバス会社に問い合わせた。町を走るバスはどこに行きつくのか。
「はぁ…最終の運行は終わってますね。運転手もほとんど帰ってしまって…調べようがぁ…」
電話の声は、なんともやる気のないバス会社の警備担当。業を煮やしていると、猫ちゃんがスマホのMAPを僕に向けた。
「ユタカさん、この近くです!」とスマホを後部座席に放り、素早くギアを入れて、アクセルを踏んだ。
やってきたのは、バスの終点。
急ブレーキで車を横づけにして飛び降りる猫ちゃん。
「ほら、車庫があります!」
走る背中を見ながら、ちょっと頼もしいなんて思ったりする。
同じバスがずらりと並ぶバス駐車場。まるでクローンの大量生産だ。
一つ一つドアを開けてもらって中を確かめた。
乗車口を駆け上がり、座席を全部調べる…。いない。
乗車口を駆け上がり、座席を全部調べる…。いない。
同じことの繰り返しにくたびれてきた17台目。
一番奥の席を覗いたとき、
座席の下の隙間から、縮こまって横たわる見慣れたパーカーを発見した。
逸る気持ちもそのままに、駆け寄ると…、
チビだ!
「チビ!チビがいました!」
動かない。
「おいっ、チビ!大丈夫か?」
体が冷え切っている。
猫ちゃんが手際よく首に指を当て、チビの口元に耳を近づけると……
ニッコリうなずいた。
「良かった…」
優しく揺り起こすと、
やがてチビは「うーん」とうなって目を開き、しばらくキョロキョロ見回してから、僕を見た。
「兄ィ…?」
「バカ、心配かけんなよ。」
「だって…」
「悪い子にはサンタさん来ないぞ。」
「ごめん。」
「寒くないか?」
「寒い。でも…」
「でも?」
「ごちそうおいしかったね。」
「だな。」
僕の上着をかけるフリをして抱きしめた。
「なんでバスなんかに?」
帰りの車に揺られながら、毛布にくるまれたチビに尋ねた。
聞けば、チビは家を飛び出したあと、バスを見かけて思わず心が引き寄せられたらしい。バス停でたくさんの家族連れや子どもたちに紛れて乗り込んだという。
「父ちゃんに会えるかと思って。」
以前、バスの絵本を読み聞かせた夜。夢を見たそうだ。
バスに乗って森のレストランで父と食事をする夢。
バスに乗ったら、その先でもしかしたら父に会えるんじゃないか。
父なら、兄ィの体をなんとかしてくれるのではないかと思ったそうだ。
「お腹すいたね。」
チビが後部座席から身を乗り出して僕と猫ちゃんに言った。
「そうだな、夢であんなにごちそう食べたのに。」
「どんな夢だったんですか?」
ハンドルを握りながら猫ちゃんが聞いた。
僕とチビは目を合わせて、
ひ・み・つ!
ひ・み・つ!
とシンクロで笑った。
「帰ってばあちゃんのご飯食べような。」
「猫ちゃんも一緒に食べるよね。」
バックミラー越しに猫ちゃんはニッコリ笑って、「一緒に食べようね。」
「ウホウホ、みんなでゴハンだ。」
妙な喜び方でおどけてはしゃぐチビ。
「今日は早く寝ないとサンタさん来てくれないぞ。」
「もう眠くないよ。」
「バスで寝すぎちゃったからな。」
「寝られるように、あの口笛、聴かせてね。」
「ああ。」
流れる街の光。
クリスマスイルミネーションが冷たい冬の風に乗って雪のようにキラキラ舞っているようだ。
チビが家を飛び出し、無事見つかった。
けど、僕の命のことは何も解決していない。またゆっくり話してやろう。
チビと暮らす毎日は楽しかった。できることならずっと一緒にいたい。
でも、チビとはもう一緒にはいられない。
” 離れて暮らしなさい "
そう父は言っていた。そばにいたら僕の記憶がチビの脳内を上書きしてしまう。チビの体を乗っ取らないためにも、一緒に暮らすことはもうできない。
年が明けたら、お正月のお節料理やおもちとか家族らしい体験だけさせてやろう。
思い出をつくって、さよならしなければ。
「兄ィ。」
チビが後ろから呼ぶ。
「うん?」
毛布に顔を半分埋めながら、
「メリークリスマスだね。」
「おう、メリークリスマス。」
「兄ィ…、猫ちゃん…、だいすきだよ。」
「お、おう。」
そんなこと言うなよ。
街の灯りがにじんで見えなくなってきた。
僕は窓を眺め続けた。
涙を誰にも気づかれないように。
(つづく) あと5話…
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