第32話 「最後の日」


最後の日。




その日は、突然やってきた。


残酷な現実ほど、ドラマチックには訪れない。日常に紛れ、とてもあたりまえのようなすました顔をして、さらりとやって来る。


年の始めの日が最後になるなんて、皮肉な話だ。




その朝は、目が覚めてからずっと悩んでいた。


チビに話さなきゃ。


「もう一緒には暮らせない。」


なんて言えばいいんだろう「お前なんかと一緒に暮らしたくないんだよ。迷惑なんだよ」テレビドラマみたいにわざと突き放すのかな。切ない気持ちを抑えて、心にもないことを言って。チビがあきらめやすいように。


…くそ、頭が痛い。






朝からそんな迷いを懐に忍ばせながら雑煮を食べた。ばあちゃんが作ってくれた、たっぷり鰹節をのせた白味噌のお雑煮。おせちのくわいが、パサパサしていつも以上に喉に引っ掛かった。


チビにお年玉を渡してみた。生まれて初めて人にお年玉をあげた。ポチ袋を買うのも初めて。いくら包めばいいか、分からなくてググったりした。


あーあ、大人になっちゃったな。








お年玉でキックボード用のヘルメットを買おうと、一緒に自転車屋さんに出かけた。キックボードは、行方不明のゴタゴタがあった夜、サンタが慌ててプレゼントしたモノだ。


道すがら、いろんなことを考えてしまった。”チビにどう話せばいいのだろう”、”これから一人で生きていけるかな”、”ばあちゃん大丈夫かな”…、考えれば考えるほど、頭を離れなくなった。


残された今の時間を楽しまなきゃいけないのに。こうしている間も、どんどん砂時計の砂は落ちていく。




「………」




僕は、黙って地面を眺めながら歩いた。




「えいっ。」




チビが塀の上に飛び乗った。僕があっけにとられていると、


「そこは危険だぞ。」チビが僕の足元を指差す。


「は?」


なにもあるわけない。


「そこにはワニがいるんだ。危険だぞ早く登れ!」




いつものやつね。はいはい。


チビのノリに乗っかってみたら、少しくらい気が楽になるかな。


「ほんとだ!隊長、足に噛み付いて離れません!」


「早く!」


「はい隊長!」


塀によじ上った。


「危なかったな。」


「ギリギリでした、隊長。」






作戦変更。僕とチビは、思いに誘われるまま道草を楽しむことにした。


塀の隙間をぬって、裏路地のジャングルを抜けていく。


チビの背中を追いながら、こうして町を探検ごっこできるのも、これが最後かなと噛み締めた。




やがて足が向くままたどり着いたのは、駅前のあの再開発エリア、建設中のショッピングモール。




以前忍び込んで、警備員に追いかけられた思い出の場所だ。


春のグランドオープンに向けてまだ整備中なのだろう、お正月休みで工事も止まっていた。切りそろえられた芝は、やや冬のベージュに染まっていたが、その美しい近未来的な建築や遊歩道の造形はそのままに悠々とそびえていた。


どんよりとした冬の空。影のない風景が寂寥感をかもし出している。




誰もいない静寂。




まるで、”突然すべての人が消え、世界中に我々だけしかいなくなったよう…”


いつもの妄想ごっこが脳裏をよぎる。


” もしかしたら地球人たちは全員誘拐されてしまったのかもしれない。残された人類最後の我々だけが今、ここに立つ。”


…なんて。ワクワクするようなストーリーが頭の中でふくらんできた。


チビと目が合った…同じことを想像している。意識のシンクロだ。


ワクワクがふくらんできた。ふくらんで、ふくらんで…。




「きゃー」


「きゃー」




チビと僕は、同時に奇声を上げて走り出した。


静寂をごまかしたかったわけではない。誰もいないこの地の覇者になったような勇気が噴き出してきたのだ。走って、走って、転がって、また走って。あの曲”木星”をラララと怒鳴るような声で歌いながらはしゃいだ。この興奮、たまらなく楽しい。




いつまでもずっと続けばいいのに…。






「はあ、はあ…、」


2人とも息が切れ、どちらからともなく、枯れてチクチクする芝に腹を見せて寝ころんだ。




「これなに?」


チビが僕の上着のポケットを指す。


「ん?ああ、これね」ねじ込まれていた紙を取り出し、「夢地図だよ。」クリスマスの夜から入ったままだ。


「見せて見せて。」


チビは思いのほか食いついた。そうだよな、見せたことなかったかもね。


折りたたまれた地図をばあっと広げる。


「これはな、今までチビと一緒に見た夢が書いてあるんだ。ほら、ここがセミ捕りした神社でしょ。それからここが学校。これは泥だんご公園だ。」


「そうそうそう。うわぁー、空を飛んだ場所まである。」


目をキラキラさせている。


「夢でも本当の世界でも、いろいろ遊んだな。」


「そうだね。いろんなとこ探検した。」




楽しい思い出が次々蘇ってきた。




「一緒に秘密基地も作ったし、うまい棒も食べたし。」


「水風呂、気持ち良かったね。」


「工作もいっぱい作ったな。」


「勉強はヤだったけど。」


「それはそれで兄ィは楽しかったよ。」


僕が教えたこと。…どうして勉強しなきゃいけないか?…どんな大人になって欲しいか?…友達を裏切っちゃいけないよとか…いろいろあふれてきた。




「学校は楽しい?」


「もういじめられなくなったよ。友達いっぱいできたし。…兄ィに教えてもらった通り、いじめられてる子を助けたよ。」


「…そうか。偉いなぁ。」


少しずつ…少しずつだけど、出会ったときから成長している。


良かった…。




ちょっとした好奇心。男同士だし、猫ちゃんのことも、どう思ってるのか突っついてみた。


「どうなの?」


「大好きだよ!」


ためらいがなさすぎて面食らった。「ぼくと猫ちゃんと兄ィ、3人で結婚するの。」


そうだよな。子どもらしく無邪気に答えるわな。ある意味ずるい。


「兄ィは?」


「え?あの…僕は…あのぅ、あれだ…。大人にはな、いろいろあってな…。」


「わかってるよ。僕、兄ィの頭の中、わかるもん。」


「うるへぇ。」僕は赤面し、頭を小突いた。


「いてっ」とチビは笑う。




そんな戯言をご機嫌で交わすうち、うつ伏せに草を指先でいじるチビの背中を眺めていると、何でも話せる気がした。


だからかもしれない。僕の中であの話題が舞い降りた。




「別れて暮らそう 」という話が。


…そうだ。今、言おう。




「チビ。」




あらたまって呼んでみた。


今から言うよ。小さく息を呑んだその時、




「イヤ。」


先手をとられた。


「まだ何も言って…」


「嫌。」


「ちょっと聞いてよ。」


「イヤイヤイヤ。」


「大事な話なんだよ。」


「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ、いーや!」




チビは飛び起き、いやだいやだと逃げまわった。


広場中を駆けずり回って、植栽にぶつかり、ベンチを蹴とばし、散々逃げわまった。息が切れる。素早いが、動きは読める。なにせ自分自身だから。


やがて僕のそばをすり抜けようとしたその瞬間、左手で足首を捕まえた。




「いやだよ、イヤ!絶対イヤ!」捕まったバッタが手のひらの中を蹴るように、手足をバタバタ暴れさせた。


「ちょっと聞いてよ。」


体中の芝を払いながらなだめるが、


「聞かない。イヤだから。」


「何がイヤ?」




「行かないで!」




「え?」


「行かないで。」


思わず手を離した。


「わかってるの?」


こくりとうなずく。


「一緒にいるの!ずっと!」


「………」


「兄ィ、どこにも行かないで!」




…そりゃそうか。脳のシンクロだ。僕の考えなど悟られてしまう。




「このまま一緒にいると、チビが大変なことになるんだよ。」


「兄ィが僕の頭に入ってくるんでしょ。」


「入るっていうか…。」


「僕とくっついて、一人になるんでしょ。」


「まあ、そんなとこか。」


「わかるけど、よくわかんない。」


そうか。理解力はまだ小学生だもんな。僕の考えが読めたとしても、チビの頭にはちょっと難しいか。


「いいよ。」


「え?」


「兄ィとくっついていいよ。」


「そういうわけにはいかないよ。チビいなくなっちゃうんだぞ。」


「いなくならないよ。くっつくだけだし。」


「そうはいかないんだよ。」


「行かないで。ねえ、絶対行かないで。キックボード一緒にやるって言ったじゃん…。」




チビは拳で僕の胸を叩いた。


「いたっ。」じんとする胸を見た。


チビは、無言でまた叩いた。


叩いて、叩いて、叩いた。何度も何度も。僕の体が倒れそうになるほど揺れた。


チビの息が荒くなり、顔を真っ赤にして、ぼろぼろと涙がこぼれだした。言葉にならず「んっ…、んっっ…」息をこぼしながら、僕を叩き続けた。


小さな拳が僕を突くたび、痛くはないけど心に刺さった。


離れたくない。楽しかったこの日々。一緒に暮らせて本当に幸せだったのに…。




「んっ…、んっっ…」


小さな体は、やがて力なく腕をおろし、ぽつりと言った、




「行かないで…」




思わずチビの小さなシャツを引き寄せ、強く抱きしめた。


チビは、堰を切ったように大声で泣き始めた。


我慢してた感情があふれ、僕も子どものように泣いた。


静寂で満たされていたはずの冬の空に、2人の泣き声が響いた。







その時は突然やってきた。







なにやら頭に変な違和感を感じた。こめかみの奥の方、痛みでもなく、しびれでもなく、鈍い感覚。


残酷な現実ほど、ドラマチックには訪れない。日常に紛れ、とてもあたりまえのようなすました顔をして、さらりとやって来る。しかも僕らの都合などお構いなしに。




胸元のチビが気づいて「?」僕の顔を覗きこむ。


とっさに「なんでもない。」




「兄ィ、アレ、来たの?」


まるで、当然知っていたかのようにささやく。


「わかるか?」


「わかるよ。なんかわかる。お医者さん行こう。」


「つったって、自転車屋さんに…。」


強がったが、景色をぼんやり消すように暗い霧が視界に押し寄せてきた。


「悪い、チビ、ちょっと座るわ。」


腰を下ろそうとしたら、崩れ落ちてしまった。




大声でチビが叫んでいる。




芝がチクチク触れる耳に、誰かが駆け寄る足音。


どんどん近づいてくる。


誰?警備員か?もういいや、叱られても…。




眼の前に現れ、草を踏むスニーカー。


しゃがんで覗き込んだその顔は…、






…猫ちゃん。






どうしてここに?



そのあとは、覚えていない。







(つづく) あと2話…


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