秋
第19話 「インストール」
気がつくと、さらさらした心地よい風の季節になっていた。
キンモクセイの甘い香りが頬をすべり鼻をくすぐると、ちょっぴり寂し気な秋が顔を出した。
そうそう、この感じ。結構好きなのだ。
「インストールしよう。」
そう決めて以来、”小さな僕”ともっと一緒に過ごすことにした。話もした。なんでも教えた。
僕が知る限りの知識、生き方、考え方…
好きな音楽、感動した本、忘れられない絵、影響を受けた映画、テレビ、
逆上がりのコツ、サッカーの上手くなる方法、
過去にした失敗、どんな人生を送ったか。
伝えられることはなんでも”インストール”しよう。
放っておいたら、同じようなつまらない人生を送ってしまいそうな僕の分身に。
説教めいた "人生にとって大切なこと" を教えたいけど、僕なんて聖人でもないし、そんなのわからない。
たとえくだらないこと、ささいなことでもいい、知ってることはなんでも教えてみた。
『いじめられっ子は助けてあげて。やられちゃったら、いじめられた子の友だちになって。』
『いつかクラスで好きな子ができる。気を引こうと、ちょっかいを出しすぎては逆効果。』
『中2は人生で大切な時。最もこじらすけど、最も感覚が研ぎ澄まされる魔法の時間。その時に感じたことは、一生忘れない。』
『嫌いなトマトとマヨネーズ、大人になったら好きになるよ』
『太陽を直接見たときと、苦いチョコを食べたときは、クシャミが出るよ。』
『タートルネックのセーターを着ると首がチクチクするよ。』
もはや、どーでもいいことだっていい、何でも教えた。同じ"本人"である僕しか教えられないことを。
今までの人生で学んだことをあらためて思い返していると、人生の終わりに向けてゆったり静かにアルバムを整理しているような、そんな安堵感を味わえた。
「空はどうして青いの?」
「パンダはなんで白黒なの?」
そう聞かれる度、図書館に通って調べまくった。
チビが納得してくれる回答を見つけるため、棚から棚まであらゆる本を引っ張り出して読みあさった。
ググったら何かしら出てくるが、「光に含まれる青色の波長が短く大気の散乱で…」などと説明したってわかるはずもない。幼いチビでも納得できるような、噛み砕いた答えはなかなか見つからない。ちょうどいい答えを探して深夜まで勉強した。
幼いけど純粋なその探究心を大切にしてやりたかった。疑問をもつ心を持ち続けてほしかった。
一番やっかいだったのは、「お空のむこうには何があるの?」だ。
これには困った。
「お空のむこうにはなにがあるの?」
「宇宙だよ。星がいっぱいある。」と、答えてみる。
「うちゅうのむこうにはなにがあるの?」
「向こうは…ん、えーっと…んーーー」
「ねえ、なにがあるの?かべ?」
「んんんーーーーーーーーーーーーーーー」
ごめん、宿題にさせて。人類にとっても宿題だから。
もちろん勉強も教えた。
近頃の小学生の勉強は難しい。教えられるほど自分が理解できていないことに気づいた。
だから、もう一度小学一年生の教科書から勉強をしなおした。先の五年、六年生までも、今後の流れを掴むため全部勉強しなおした。
思い出したら、ちょっと勉強が面白くなってきた。気がついたらチビより勉強してるかも。僕が子どもの頃こうだったらな。神童って呼ばれてたかもな。
あまりに宿題をやらないから、うるさく言った。
僕自身が子どものころに勉強しなかったくせに、堂々と「やれ」と言うのは、どうも気が引ける。どこの親もそうなのか。気乗りしない態度を隠しながらしつこく言わなければいけない。自分の心の後ろめたさの不協和音が伝わったのだろうか、余計にチビは嫌がった。
「なんで勉強しなきゃいけないの」と逆ギレ。
「子どもは勉強が仕事なの!」
「大人になって役に立ってるの?」
うーん、そりゃそうだよな。
傍で雑巾がけしていたばあちゃんが諭すようにポツリとチビにささやいた。
「昔の人が苦労して見つけてくれはったことを、簡単に教えてもらえるんやから、もうけもんやろ。」
もうけもん…
なるほど。そう。そうだよ、チビ。そういうことだよ。
ばあちゃんがくれたヒント。僕なりに時間をかけて図書館へ通って再構築してみた。
「チビ、ここに座りな、いいか…」
例えばだ。
もしも石器時代に行ったら、現代人の君は、火を起こし、食物の種を植える術を披露できるだろう。
江戸時代に行ったら、ペストにかからないように熱湯で茶碗を煮沸するかもしれない。
それってなんでできるか、わかるかい?
誰かが見つけたことを教えてもらったからだ。
九九や三角の面積の求め方だって。誰か天才が人生をかけて発見した人類の宝。
勉強は、それを簡単に教えてくれる。
次の世代に伝えたから、子供たちはその上のレベルを知ることができる。伝え忘れたら、人類はそのレベルで足踏みをしていただろう。人類の進化はそうやってきたのかもよ。
「だから勉強は必要なんだよ。」
「う、うーん…。」
チビはうなった。
おっ、これイケるかな。
「…うーん。でもやだ」
鉛筆をポイと投げてゲームをイジり始めた。
なかなか難しい。8歳だしな。
自分だって勉強きらいだったしな。押し付けるのだけは気をつけなきゃ。ぼくの経験や知識をチビに押し付けて、自己満足で自分のコピーを作るのは避けよう。
ご機嫌取りに、チビの好きな工作を一緒に作った。絵も描いた。
面白半分にイラストアプリの使い方をチビに教えてみたら、すごい勢いで食いついた。ずっといじったりしている。すぐに僕なんかより上手になりそうだ。
そりゃそうだよな。チビには素養があるはず。その芽を活かしきれなかった失敗者が言うのだから、間違いない。
恥ずかしい事を告白するよ。
僕は本当は芸術系の学校に行ってみたかった。デザイナーとか、モノを創る仕事がしてみたかった。
でも高校や大学受験の時には、そんなことを口にすることさえはばかられた。
そうだ。自信がなかったのだ。学校の先生にこう言われるのがオチだ。
「食べていけるのは一握り。もっと潰しの利く道にしなさい」
抗う勇気もなく、常識に流されて普通の大学を選んだ。どちらの道が正解だったかは今でもわからない。
僕がそうだったということは、チビもいつか同じ気持ちになる日が来るだろう。将来、進路に迷う時が訪れる運命だろう。
夢を押し付けるつもりはない。どんな夢を選んでもいい。自信をもって堂々とやりたいことを”やりたい”と胸を張って言える、そんな人間になって欲しいだけだ。後悔はしてほしくない。
いい機会だから、2人で絵を書いてみようと思った。
せっかくなので、公募サイトに載っているデザイン募集に、なんでもかんでも応募してみた。地方の小さな町役場のロゴマークから、物産展イベントのシンボルマーク。かまぼこメーカーのかまぼこ板アートコンクールまで。
チビとチラシの裏にアイデアをシコシコと描きためては、アプリでちゃんとしたデザインに起こして送った。
これって合作っていうのかな。それとも同じ人間だから一人で考えたってことか?いずれにしても名前は同じだから、一人ってことになる。
毎回、当選者発表の日までは2人密かな楽しみができた。優秀作に選ばれた時のありがとうコメントを勝手に妄想するだけで幸せだった。
だけど、山のように応募したのに、残念ながらホームページで僕たちの名前を見つけることは、結局一度もなかったけど。
僕がいなくなってからの先のことも考えた。
塾に通わせるべきかな。
学資保険とかよくわかんないけどやっとかなきゃいけないかな。
お金はどれくらい残してやればいいのかな。
僕が死んでしまっても暮らせるお金は残しておこう。
シンプルだけど、ごはんを腹一杯食べさせてやりたいと思うようになった。
ある時、チビがお腹を壊して「痛い痛い」とトイレで泣いていた。
苦しみから救ってやりたいという感情が自然と沸き起こり、気がつくと手を伸ばしていた。汗でびっしょり濡れたTシャツのお腹を、手のひらで優しくさすってやる。「大丈夫、だんだん痛くなくなる、痛くなくなる…」
そう、いつかの思い出。父ちゃんが僕にしてくれた事だ。父は、どんな気持ちだったんだろう。思いをはせながら、チビに対する僕自身の感情を見直してみた。
親は子供に対して見返りを求めない。無償の愛情を持つというが、父はこういう感情だったのだろうか。
甘ったれた大学生の僕には、親というものの本質なんて、もちろんわかるはずもない。
でも、ほんの少し、ほんのさわりだけでも、
”家族”という気持ちを、一日一日、チビに教えてもらっている気がする。
いろいろ教えてやっているつもりだったのにな。
おあいこだな。
(つづく)
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