第20話 「記憶の図書館」
「兄ィ、ぼくサルノスケきらい。」
2Bの鉛筆でイカの頭の尖った部分を描きながら、唇を尖らせチビが言った。
日本海の幸に恵まれた山陰のとある港の町役場が、観光誘致のため行ったゆるキャラデザイン募集に応募しようと2人で考えていた時のことだ。港の名産のイカをモチーフにキャラクターを作ろうとこだわった。軟体動物なんてあんまり可愛くないから採用率を下げるようなもんだと何度忠告しても、言い出したら聞かないのは”同じ僕”だからよくわかる。この偏狭的なこだわりは他に役に立てればいいのに。
とにかく作業に集中してたから、”サルノスケきらい”という聞き慣れない言葉が唐突に出てきても、僕の耳がついていけなかった。どうやら、今描いてるゆるキャラの話ではないらしい。
「何がきらいだって?なんのスケ?」
「サルノスケ。あいつ、やなヤツ」今度はイカの10本脚を描いていく。
「誰が?チビのクラスにいるの?」
「違うよ。兄ィの学校」
「僕の学校?大学に?」
「小学校だよ」
「なに言ってんの?」
「サルノスケだよ。サルノスケ」
「サルノスケ?...」いたっけ、そんなやつ。
「やなヤツ。兄ィの消しゴムとった」
…あれ、そういえば…昔、そんな名前のやついたっけかな。
ああ、猿之介だ。ぼくにちょっかいを出したがるやつだった。小学一年生の頃だからすっかり忘れていた。大掃除で昔なくしたオモチャを見つけたような懐かしい感覚。
「なんで知ってんの?サルノスケの話したっけ?」
「ううん、会ったの」
おかしい。15年前の話だぞ。
「会ったって、いつ?」
「昨日。」
「昨日?なんでよ。どこで?」
「夢で。」
夢?そんな夢見てないぞ。
クローンの特性で僕ら本人同士の夢がシンクロするとは聞いたが、そもそも僕が見ていない夢をチビが見るはずがない。
「見たよ。兄ィの小学生のときの夢。」
昨日の夢…たしか小学校は出てきたかもしれないけど、
「猿之介なんて出てこなかったぞ」
「いたよ。消しゴムとった。」
どういうことだ?
僕が忘れていた友だちを?
「あとね、アゲハちゃんも知ってるよ。」
僕の初恋の女の子だ。
「おお懐かしい…、てか、なんで名前知ってんの?」
「ときどき遊ぶから。」
え?そんなこと知らないぞ。
チビが僕の夢で勝手に15年前の初恋の子と遊んでいる?教えてもいない名前を知ってる?いくら好みが同じだからって…そんなことある?
どういうこと?どうしてこんなことが?
「こういうことかもしれません。」
猫ちゃんの声が勢い良すぎて、図書館の大理石の天井にぶつかって響いた。
係員がチラリと見たので、僕と猫ちゃんは声を落として本棚の陰にそそくさと隠れる。
大学の図書館に通うようになったのは、チビの疑問に答えるためだ。
今日の質問は「なんでヒコーキは飛べるの?」というこれまた難問。ググったら何かしら出てくるが、「翼の上下面の空気の圧力差を利用して…」とか航空力学を説明してもわかるわけない。チビの頭でも納得できるちょうどいい答えが見つからなかった。
そうこうするうち、猫ちゃんが約束の午後3時にやってきた。
サルノスケの一件があまりに腑に落ちない僕に、研究所の分析の結果を教えてくれるという。
棚に身を寄せた猫ちゃんは、新たな発見に興奮気味で、
「こういうことかもしれません。おチビちゃんはユタカさんの記憶を覗いたのかも。」
「どういうことです?」
「ユタカさんとおチビちゃんは夢がシンクロする。そこまではいいですね」
先生のような口調。図書館だと雰囲気が出るから、つい生徒みたく答えてしまう。
「はい。毎晩一緒に同じ夢を見るようになりました。」
「寝ている間の脳波を調べたら、記憶がメモリーされる部分、大脳皮質が2人とも活発になっていたんです。」
「それがなにか問題でも?」
「問題ではないです。むしろすごいことが起こってたんです。実は、ユタカさんの夢が入口となって記憶の奥底まで、おチビちゃんがたどり着いたのかもしれません。」
なんすか、それ。もしかして、
「チビが僕の頭の中をのぞいてる?」
「はい。のぞける可能性があります。」
「えー、気持ち悪い」
「ユタカさんも、おチビちゃんの頭の中を…」
「のぞける?」
「はい。お互いに。」
「プライバシー的に問題ないですか。」
「変な事、考えなければいいんです。」とニコリ。
「考えません。」
でも、変だ。なんで僕が覚えていないことをチビは知ることができたのか?
「僕、忘れていたんですよ。サルノスケのこと。」
「おチビちゃんは、ユタカさんの脳の中、記憶の奥底にまで深くダイブしたんでしょう。」
「どーゆーことですか?」
「聞きます?」
「また難しい説明?」
「ぼちぼち」
「うーーん。やさしくお願いします」
おどけると、猫ちゃんは笑った。そんな軽い冗談を言い合える関係に戻れて嬉しかった。係員がまたギロリ。二人して肩をすくめ、人差し指を唇に当てる。
「例えるなら…脳には、巨大な記憶の図書館のようなものがあります。」両手を広げて歩き出し、「ここみたいに。」くるりと回る。
「おっ、そーゆーの分かりやすいですね」後を追う。
「脳の図書館には、すぐ取り出せる新しい記憶と…」
手前にあるマガジンラックの雑誌をするりと手にとって、先へ進む。
「それから、奥の倉庫に収納されて取り出しにくい記憶があるんです。」
ずらりと並ぶ棚を指す。膨大な本がぎっしり詰め込まれていた。
「すごい量だなぁ」
「人生で体験したことはすべて、記憶の棚に入っているんです。」本を一冊ずつ手に取って次々僕の胸に渡す。「これが生まれたとき。これが初めて歩いたとき、それからこれが…」
「いやいや、さすがにそんなに覚えてらんないでしょ。」
「それが覚えてるんです。”人は脳の10%しか使っていない”、とかよく言いますよね。まあ、都市伝説的なもので正確にはちょっと違うんですけど。本当は脳をもっと使っているのに、ただ気づいていないだけ。」
「もっと使ってる?誰でも?」
「聞いたことありませんか?例えば、サバン症候群の方が、目で見た風景を写真のように細部まで記憶したり、膨大な数字を一瞬で覚えたり、特殊な記憶力があるって。」
「特別な人だけでしょ。」
「誰でも、脳にはすべて記憶されているんです。」
「僕覚えてないですよ。全部なんて。」
「全部思い出せないのは、取り出せないだけ。脳の安全装置です。
辛いことをすべて覚えていたら大変でしょう?いじめられたり、つらい失恋をしたり、病気の苦しみ、大きな怪我の痛みなど…、全部覚えていたらストレスで耐えられないかもしれませんよね。ユタカさんも9年前の自動車事故の痛み、覚えていたら…?」ポンと渡してくれた医学書には、人体の臓器の生々しい写真がどーんとあった。
「死んじゃいます。」
「ね、都合よく忘れるのは、人間の防衛本能みたいなものです。」と棚に戻す。
「確かに、忘れないと先に進めないことってあるもんな。」
「でしょ。人間の安全のために、記憶の大部分は、図書館のロッカーの奥にあって取り出せないようになっている。」
係員の座る貸出カウンターの奥に、厳重なロッカーが立ち並ぶ。
「記憶力がすごい人は、棚が整理されていて、記憶を選んで取り出すのが上手い人なんでしょう。」
不思議そうな顔で僕らをうかがう貸出係。こんな係員が探してくれるのかもね。
「それと僕たちの夢と、どんな関係があるんです?」
「『夢』は、記憶のロッカーを開ける鍵のようなものかも。」
「夢が鍵?」
「『夢』を見ている『レム催眠』の状態。熟睡でもなく目覚めでもない。浅い眠りの間に思考の電気信号が活発にやり取りされている…だから記憶を遡るのに適しているんじゃないかと。そう研究所は考えています。」
「じゃあ、僕の夢にチビが入ってきて、埋もれたサルノスケを偶然見つけた?」
僕は、棚の裏側の見えない所から絵本を引っこ抜いて見せた。いたずらな子ザルが騒動を起こす話だ。
「記憶の奥底から、サルノスケ君を見つけ出したんでしょうね。同い年くらいの子だから、気になったんでしょう」
「でも、夢って起きたら忘れるもんでしょう?覚えてましたよ、チビ。」
「きっと、チビちゃん自身の脳に持って帰って棚に入れた…」
僕は想像してみた。
チビの姿が陽炎のように現れ、棚をウロウロ、何かを探しているようだ。
ふと僕の手元を見つけて、嬉しそうに子ザルの絵本をとり、胸に抱えてはしゃぎながら出口の方へ走っていった。
「僕の記憶がチビの記憶になったってこと?」
「ええ。一緒に暮らすだけで。特に夢の中では、記憶や経験までもよりコピーされやすいってことでしょうね。」
「記憶がコピーされる…。」
「昔、お父さまの汐妻教授が犬のクローンを作った時、オリジナル犬とクローン犬を一緒に研究所で飼っていたことがありました。するとなぜか、オリジナル犬しか知らないはずの芸を、突然クローン犬が始めたそうです。」
「教えてもいないのに?」
「ええ。知らないはずの元飼い主になついたり、行ったことのない家までひとりで帰ったり。」
「犬も一緒に暮らして、記憶がコピーされた…」
「同じ夢を見たのか?どうしてなのか?解明されなかったんですが…これは、とんでもなく大きな発見かもしれませんね。」
なんだか知らないがすごいな。
少し喜んでいたら、猫ちゃんは嬉しそうではなかった。
「でも…」
「でも?」
「全部の記憶を取り出せるということは、とても危険なんです。とてつもなく悲しく辛い記憶を取り出してしまうかもしれないんです。」
「悲しく辛い記憶…」
「それが引き金になってロッカーがあふれ出し、人生すべての激痛や苦悩が洪水になって押し寄せてしまう」
「そうなると?」
「そうなると…ユタカさんと、おチビちゃんは…」
「2人は…?」
「人間の体じゃ耐えきれなくて、脳神経が崩壊するかもしれません。」
眼の前の棚がすべてドミノのように倒れ、本が散乱し、大理石の天井が崩れて行くような気がした。
「……」
「……」
「やっぱコワイじゃん‥‥。猫ちゃん、やめて、その怖い感じ。」
猫ちゃんは笑った。
(つづく)
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