第15話 「命の宣告」

猫ちゃんからLIMEが来た。


『今日、お時間あります?』




『ありますよ。午後なら』


『何時ごろですか?』


『3時すぎには。小学校の保護者面談が終われば。』


『その時、おチビちゃんいます?』


『いた方がいいですか?』


『いない方がいいかもです』


なんだかいつもと違う。


『なにかありました?』


質問には答えず、


『3時、うかがいます』




なんだろ。チビがいない方がいい。あれ、もしかして、二人で会いたかったりして。なーんて。


そんな浮ついた邪念を手のひらで転がしながら、猫ちゃんが家に来るのを待った。






「保護者面談はどうでした?」


おっと、そんな当たり障りない会話から始めるのね、冷たい麦茶に手もつけず。はいはい。


ばあちゃんは買い物。家には僕ら2人。


「成績はそんなに良くはないですね。僕に似て。」


「ああ、そうなんですね。」猫ちゃんは乾いた返事だった。




向かい合うテーブルは、まるで卓球台。本題に入るまで、さながら牽制のラリー。


「友だちもできたみたいです。」


「お友だち?」


「それなりに仲良くしてるようですよ。」


「よかったですね。」


「そうなんです。羊太君と言って…」


「ようたくん。」


「ええ、おとなしめの子らしいです。」


「気が合いそうですね。」


「僕の小学生のときの親友にどことなくタイプが似てましてね。そんなとこまで同じなのぉって。ははは……は…」


誘い笑いを向けてみたが、いつもの屈託のないケラケラは返ってこなかった。


もう一球、返してみよう。


「成績はそんなでもないんですが、図工はクラスで一番得意だそうです。」




「…あの、ユタカさん…」いきなり空気を変える球。


「はい。」


「あの…なんていうか…よく聞いてください。」自分からラリーを断ち切ったのに、モジモジしている。


「聞いてますよ。」


「あ、やっぱ、いいです。」メガネを外して、拭き始める。


「ちょっと、話しかけてやめるのは反則ですよ。」


もしかしてだけど告白ぅ?…ああ、僕は馬鹿です。


「そうですよね…」とあきらめたように「はぁ」と息を吐き、意を決して、


「あの、ユタカさん!」


「はい」きた!


「そんなに…」


「そんなに?」


「そんなに長く…ないかも…」


「へ?」


長く…ない…?期待していたワードじゃないから入ってこない。「長くないって、何が?」


「ユタカさんが」


「僕が?僕の何が?」


「この…先…」


「この先って…?」


「……」




どんなに僕がバカでもさすがに察する。


「え?…いや…でも、え?」聞きたいような聞きたくないような。「ちゃんと言って。医師免許持ってるんでしょ。まさか…」


答えを引き出そうと訴えると、彼女はとても言いにくそうに、




(…はい)




と唇だけ動かした。




「いやいやいやいや」さすがに何を言いたいのか、理解はできた。でも、そんなことを言われる理由がわからない。


「なんでですか?救急車で運ばれたのと関係あります?」




(はい)




とても良くない話っぽい。逆に詳しく知りたい。


「倒れたのと関係あるんですよね?」


覚悟を決めるようにメガネを戻した猫ちゃんは、


「詳しいこと、お話していいですか。」


「はい。」


「嫌だと思ったら言ってください。やめます。」


「嫌です。」


「えっ」


「でも、聞きます。」




椅子の上で互いに姿勢を正す。




「ユタカさんは…」


「はい。」


「脳に爆弾を抱えています」


「爆弾?」


「9年前の事故を覚えてますよね」




中1のことだ。あの朝、寝坊した僕を父が車で送ってくれた。


なかなか起きなかったのは僕のくせに、なんで起こさなかったと父を助手席で責めたてた。日頃慎重な運転だった父も、焦りと、交差点で小さな子供が飛び出してきたことに動転して、一瞬ハンドルを切った。






父が亡くなった事を知らされたのは、病院で目を覚ましてからだった。事故から何日も経っていた。僕は長い長い手術のあと、眠り続けたらしい。




猫ちゃんから聞かされたのは、その後の、僕が知らなかった新しい事実だった。




車が突っ込んだのは、よく立ち寄っていた雑貨店。怪我口から、細かいガラスの破片が血管にたくさん侵入しており、ほとんどは手術で取り除いたが、血管をギリギリ通る0.5mm程度の欠片はたくさん残ってしまった。それらは何年も体中を循環しているのだという。




しかも、1年ほど前から数個が脳内に留まっていることが分かった。メスを入れられない場所。もし血管を突き破って脳内で出血したり、詰まって脳梗塞を起こしたら、命の保証はない。今回倒れたのは、久しぶりに破片が動いて、ついに脳内の血管壁に刺さってしまったのだ。その影響によって公園でめまいを起こしたらしい。




今も血液の流れに揺れている状態。もし血管が破れたら?何かの拍子で抜けたとき穴は?


脳内にいつ爆発するかわからない爆弾を抱えている。それは数か月後なのか?明日なのか?わからない。




9年前の事故。9年前…、


チビが生まれたのも、その年だ。


合点がいった。




「僕は死ぬんですか?」


「……」


「その代わりにチビを作ったんですか?」


「……」


医師免許を持ってるくらいだから、こんな告知なんてわけもないはず。だけど猫ちゃんは、テーブルの縁を触りながら返事をしなかった。猫ちゃんの気遣いは、今の僕にとってはムダだった。




いつ死んでもおかしくない僕のバックアップとして、チビは作られた?


そう思うと、父や皆に対して失望に似た怒りの感情が込み上げた。


「…なんだよ。」


「……」


「実験用のモルモットじゃん、僕の人生。父ちゃんが選んだのは僕じゃなかったんだ。死にかけの僕は捨てたんだよな。壊れてない新品を選ぶよね、そりゃ。そんな無責任な。なんで隠していたんですか。ひどすぎる。」


「それは違うと思います…」


取り繕ってくれても、僕には救いにならなかった。


「じゃあ、どうしてチビをつくったって言うんですか?」


「それだけはどうしてもわからないんです。」




猫ちゃんがひとつひとつ慎重に言葉を選ぶのを感じる。気を遣ってくれているのか、本当のことが言えないのか。




「私が…聞いているのは…」




父はクローンのチビを育てるために、僕から離れて生きることを選んだという。


「何故かは…わかりません。でも、ユタカさんを捨てたんじゃないと思います。きっと…、うん、これしか方法がなかったんじゃ…ないでしょうか」




オリジナルとコピーが互いの存在を知ったり、一緒にいることは、固く禁止されていた。同じ人間が2人同時に存在すべきではないという倫理的な問題はもちろん、そばにいることで、互いの心身にどのような悪影響をもたらすかもわからなかったためだ。




「誕生させたおチビちゃんの命を放っておくことはできなかったんじゃ…。お父様としては、自分が死んだことにしてチビちゃんを引き取る唯一のチャンスだった。事故を体験して、突然の別れは起こり得るということを実感したんでしょう。2人を守るためにお父さまの苦渋の決断だったんじゃないでしょうか。」


そんな風に言ってくれる優しさは充分理解できた。でも、今の僕には響かなかった。死を宣告されたこと、今まで黙っていたこと、僕たちが実験材料だったこと。すべてがショックだった。




「そりゃ、新品の方がいいだろうさ。壊れた欠陥品じゃなく」


「そんなことは…」




ばあちゃんは、何も知らされず、事故後の経過検診として毎年僕を研究所に連れて来てくれていた。孫の命について知らされないなんて。いくらなんでも可哀想すぎる。




「あなたたちは知ってたんでしょ、僕の寿命を。最近急に進行したことも。だからチビを連れて僕の前に現れた。もうすぐ死ぬ僕とチビの人生を入れ替えさせるために。」


「それは…」




猫ちゃんが口ごもった。核心を突いてしまったのか、今まで見せたことのない悲しい表情で目をそむけた。言い過ぎた僕も後悔に気まずくなった。




「兄ィ?」




チビが二階から目を擦りこすり降りてきた。


学校から帰って疲れて眠っていたのだが、ただならぬ声に目を覚ましたのだろう。


「あ、猫ちゃん」


嬉しそうに声を上げた。彼女は無理に笑顔で、


「おチビちゃん、いたんだね。起こしちゃった?」と楽しい雰囲気を取り繕う。


チビは僕の表情を察したのか、


「どうしたの?」


「一人にしてくれ」


つい強い口調に。チビに当たってしまう感じもなんか嫌だ。自己嫌悪。




死への恐怖。


怖くて、悲しくて、悔しくて、喪失感。なんとも表現できない感情でもあり、一方でどこか他人事のような現実感のなさもあった。どう受け止めていいのか。整理できない。




次の日もしばらく布団から出られなかった。いや、ちゃんと寝られさえもしない。夢と現実のはざまで行ったり来たりしていた。




3日間はどう過ごしたか覚えていない。


僕はこれからどうすればいいのだろう?








(つづく)

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