第16話 「理由教えて!」
”小さな僕”に強く当たってしまう。
チビはなんのことか分かっていない。が、ただならぬ何かを感じ、僕から遠ざかって、ばあちゃんにまとわりついた。ばあちゃんは、よしよしとなだめる。その眼差しは僕に向けるそれと同じ愛情に満ちたものだ。
ばあちゃんにとって、僕が死んでもこいつがいるってことか。
僕、死ぬの?ほんとに?
僕は消えていなくなるというのに、チビはずっと生きていける。”新しい僕”として。何とも言えぬ嫉妬心が芽生えた。神様は僕じゃなくて、こいつを選んだのか。
今日は、月1回の検査デーだ。
またはるばる多摩の奥、遺伝子工学臨床実験研究所に足どり重くやってきた。
「ちょっとチクっとしますよ」
猫ちゃんに採血されていても、ちょっと気まずい。直視できなくて横を向くのは、針が怖いせいだけではない。あれ以来初めて会うから何を話していいのか、よそよそしくなってしまう。
「こないだは…」
勝手に言葉が出てしまった。
「え?」
猫ちゃんは少し驚きながら針を抜く。
なんて言えばいいんだろ。次に続く言葉を探さなきゃ。なにか言わなきゃ…。
「なんか…えっと、すみません。」
「あ、いえ…、どういたしまして。」
ぎこちない返事で、丸い絆創膏を貼る。
今日はゼナーカードテストにも集中できなかった。
〇▢☆、十形や波形などのマークを頭の中でイメージして、隣部屋のチビに伝える。初日にチビが嫌がって逃げた例のテストだ。
最近はなかなかの上達ぶりだった。先月は調子が良くて、5回のうち3回は、僕のイメージする図形をチビが当てるようになっていた。徐々に成果が出始めている。逆に怖いけど。
ところが、今日はさっぱり当たらない。ヤギヒゲ教授たちはさらなる成長を期待していたようで、ガッカリしている。
わかってるよ。でもね、あなたたちの実験に素直に加担する気分になれない。
休憩中、オフィスフロアのデスクでキーボードを叩く犬巻に「ちょっといいですか」と切り出した。
犬巻に問いただしても、僕の命についてはなにも解決しないだろう。
そんなことはわかってる。でも、知らないことが多すぎる。少しでも知っておきたい。
小気味よくリズムを刻むタイピング音が止んだ。鼻に乗せた老眼鏡のフレーム越しに僕を覗く。
「検査に集中できていないようですわね。先月の方が数字が良かったと記憶してますけど。」
僕が話しかけることなど予想してたようにサラリと言った。マウントをとって、ペースを引き寄せるのはいつものとおりだ。
「あんなこと聞いてしまったんで。」
「もう協力したくなくなった、とかおっしゃる?」とメガネを置く。
「秘密が多すぎて」
「教えないわけじゃございません。あなたには適正なタイミングで適正な真実を知らせる。設計されたスケジュール通りよ。」
あくまで友好的な笑み。
「教えてください。なんでもいいから」
「すべてをお答えできるかどうかはわかりませんが…」
思い切って核心を突く。
「あとどれくらい生きられますか?」
「残念ながら、そんなに時間は無さそうです。」
さらっと言うなあ。
自分で尋ねておきながら、答えを受け入れたくない。でも、怖いもの見たさで、知りたくないことをさらに聞く。
「チビは、僕のバックアップとして生まれたんですか?」
「わかりません。お父上が勝手にされたこと。正直困惑しています。私たちは、あなたじゃなくて、もっと優秀な遺伝子でクローンをつくりたかったのに。」
失礼な。言い方あるでしょ。死を宣告されたばかりの人間に。
「じゃあ、どうして?」
「日本初のクローン人間の実験対象に誰を選定すればいいのか、当初は、政府としても苦慮しました。人権問題にもなる。
これが映画だと、人体実験は名もなき死刑囚にしたりするのがお決まりのセオリーなんですけどね。凶悪犯罪者なんてもう一人増やすわけにもいかないでしょ。
そうこうするうち、お父様、汐妻教授の事故があって…」
「僕が実験台になった」
「汐妻教授の独断でした。
どうして突然、ご自身の息子さんに決めたのか?その理由だけは、最後まで教えてくださいませんでした。しかし、事故の直後おチビちゃんが生まれたことを考えると、先の無い…いや失礼、あなたの代わりと考えるのが自然でしょうね。お父様は、クローンでもどんな形でもいいからあなたを生かしたかったのかもしれません。」
パタンと薄いノートPCを閉じ、「さ、そろそろ再開しましょ」小脇に抱え、「よっこらしょ」と立ち去る。
父を信じたい。
でも信じられる事実が出てこない。死への不安。何かにすがりたい。
知りたい。材料が欲しい。
余計に事情を探りたくなって、
「犬巻さん」
銀色のエレベーターに乗り込むぽっちゃり丸い背中に問いかける。
「あなたたちはどうしてクローンを作りたいんですか?」
「これ以上は、またいつか。」
つれない言葉とともにドアがゆっくりと閉じる。
だから思わず言葉を投げつけた。
「じゃあ、もう協力はできません。死ぬ人間に怖いものなんてありませんから。」
ガツッ、ネイルの素手でドアをつかむ金属音がした。
犬巻の満面の笑みが現れる。
「まあまあ、穏やかに。」
濃い口紅の口角を無理に引き上げている。
「どうしてクローンを作るんですか?」
「しょうがないですわねぇ。」
ふうっとため息をついてガラス窓のもとへ。
下のフロアが見渡せ、検査室が並んでいるのがわかる。ヤギヒゲ教授や白衣を着た助手たちが準備を行うため行き交う姿が見下ろせた。チビ用に設けられたキッズエリアの遊具でチビと猫ちゃんが楽しそうに遊んでいる。
「国民の未来のためです」
「はぁ?未来?クローンなんて人を不幸にするだけじゃないんですか?」
「どう考えるかは見方によるんじゃないでしょうか。
この国にはもう人が足りません。このままじゃ経済活動が破綻してしまう。深刻な少子化問題を克服する打ち手が必要なんです。
そこで国が行きついたのが…クローンなんです。」
犬巻は、僕を別のフロアに連れて行った。
液体の入った大きなガラスの水槽チューブが並ぶ。そばには小さな子犬が数匹ケージの中でじゃれ合っている。皆、同じ姿だ。
彼女によると、ONEONE保険は、表向きはただのベンチャー保険会社。実は政府が、人間のクローンを社会に導入するために、政府系金融機関と東京大学に作らせた実験的な合弁会社だという。
ペットの保険はあくまで隠れミノ。人間のクローンを作るための土壌づくり。最初は動物のクローンで世論を慣れさせ、やがて人間にスムーズに移行するプランだ。
いよいよヒトに導入するときは、例えば悲しい事故で我が子を失ったご夫婦などを対象にスタートする。ニュースで話題になったその気の毒なストーリーに世間の同情の声が高まったところで、人道的な特別処置として初めて公式にクローン人間作成に乗り出す。社会的な意義。そうやって徐々に世論を慣らしていきたいらしい。
「こんなことしていいんですか?」
「むしろ日本は遅い方です。」
「他の国でも?」
「ええ。まあ…。あんまり言えませんけど。」
やるせなくて子犬に手を差し伸べるとペロペロなめた。
なんてことだ。クローン実験がここまで進んでいるとは。
「そりゃそうですわ。技術的にはとっくに可能でしたから。クローン羊のドリーちゃんだって1996年ですからね。すっかり前世紀です。」と笑い「ヒトのクローンは、移民に頼らず国力を増強できますからね。世界的ビッグビジネスになります。」
「そんなに…」
「でもね、倫理的な問題がありますでしょ。」
「だから、チビのことは秘密にし、普通の子供として育てている。」
「そんなところです。」
オリジナルの人間とクローン人間が互いに与える影響についてはまだ何もわかっていない。とんでもなく悪いことだって起こるかも…。
だが慎重だった政府も、チビの誕生から9年経ってようやく動き出した。2人を一緒に暮らさせることで、何が起こるのか?確認すべきというフェーズにきたのだと犬巻は説明する。
そう、僕がもうすぐいなくなるかもしれないから。
だからって、なぜ僕なんだ?
僕のクローンを作る必要があったのか?
「お父様はあなたで実験がしたかったのか、あなたの代わりが欲しかったのか、本当の理由は、もう誰にもわかりません。」
犬巻に尋ねても、
今一つ納得できる答えは得られなかった。
(つづく)
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