第14話 「倒れた僕」
僕は救急車で運ばれた。
それは、チビと公園の砂場で遊んだ日のことだった。
砂場に足を踏み入れるのは久しぶり。久しく忘れていた沈む感覚は、ふわふわ雲の上を歩いているよう。炎天下でも、砂に手を差し込むとひんやり気持ち良い。
砂山を作り、2人両側からトンネルを掘り進める。山が崩れないように注意深く、指先で少しずつ削るように。
やがてベコッと柔らかくなったその瞬間、向こう側のチビと手が繋がった。湿ってざらざらした冷たい土から突如現れた、柔らかく温かいまるで何かの生き物のような感触だった。
その瞬間、ビビっと指先から意識が繋がったような気がした。チビも感じているであろうシンクロ感。一瞬だったが、鏡に映った僕のように、砂山の向こう側で手を突っ込んでいる僕自身の姿を見た気がした。少し頭がフラついた気もしたが、気に留めなかった。
お次は、泥だんごづくり。
水で泥をこね、掌でいたわるように包んで丸める。砂をかけながら表面の水分を抜いて、だんだんと手の中で固くしていく。何度も砂を振りかけ振りかけ、つるつるに磨いていった。
つい今しがたまでジャリジャリしていた獰猛な泥が、こんなにも洗練された人工物になるのかと今さらながら感動し、その滑らかな球体を愛でながら磨き続けた。
集中すると言葉少なくなる。黙々と繰り返すその行ないは、まるで山奥の寺院で何百年も脈々と受け継がれる写経のように、精神の落ち着く、尊い営みのようだった。
沈黙を破ったのはチビ。
砂をいじりながらなぞなぞを出題してきた。学校で流行ってるらしい。
「9つの色がある食べ物は?」挑戦的な笑み。
「なんだって?」
「9つの色の食べ物」
「9つ…」
「9つの色」
「ここのつ…んー…あっ、ココナッツ!」
「ブー」
「9…きゅう…キュウリだ!」
「ブー」
「ヒントは?」
「ヒントなし」
「ケチ。えっと、9つの色の食べ物だろ…?」
シンキングの時間稼ぎに、もっと乾いた砂を探そうと立ち上がった瞬間のことだった…。
覚えているのはそこが最後。そこからあまり記憶がない。
白昼、巨大な夜のカーテンが閉められたかのように、暗闇が急に押し寄せたような感覚。こういうのってドラマだとバタッといくものなんだろうが、自分の身に起こるとよくわからないものだ。
たっぷり寝すぎたようなけだるさを感じながら、気が付いた。
瞼が開けられないほど重く、頭も混乱していたが、固いシーツのクリーニングの匂いで、ここが知らない部屋であることが分かった。
少しずつ思い出されるのは、誰かに何度も名前を呼ばれたこと、見上げた天井が流れていく光景…。
ところどころ断片的に蘇ってきた。
病室、なのかな。ここ。
つい今しがたまで見ていた夢を思い返した。
泥だんごをいっぱい作らなきゃと焦っている夢。丸めても丸めても崩れていく…。
…そうだ。そういえば、チビと公園にいたんだっけ。
コソコソ響く聞き覚えのある声。
外の廊下で犬塚とヤギヒゲ教授がなにやら議論しているようだ。
猫ちゃんが報告する。
「MRIの結果を待ってですが、前回の検査より10ミリほど移動したようです。」
「たった数ヶ月で…。」
「あらあら、9年間おとなしくしてたのに。」
「クローンと会わせた途端に動き始めた、か。」
「不思議な縁を感じますわね。」
なんのことだろう。
目をやると、ばあちゃんがテレビのワイドショーをイヤホンで観ていた。
「目ぇ覚めたんか。」
「うん。」
「もうちょっと寝とき。寝るんが一番や。」
寝返りを打つと、チビと目が合った。
隣のベッドで同じく横たわりながら、僕を見ている。
「おう。」
「おう。」
「何があった?」
「兄ィ、バタッてなった。」
泥だんごを作っている途中で倒れたらしい。そして、なぜかチビも頭が痛くなったそうだ。倒れたのは僕なのに、なんでチビまで?
猫ちゃんによると、互いが生活を共にすることでシンクロ度合が高まってきているらしい。相手が体調を悪くすると、少しだけど影響を受けるのだという。
僕に似て極度の人見知りなのに、道行く人に「兄ィを助けて」と、泣いてすがりついたそうだ。無理してくれたんだな。
「ありがとな。」
「うん。もうすぐだったのに。」
「何が?」
シーツの中から腕を引っ張り出した。その手に握っていたのは、半分に割れた泥ダンゴだった。
僕らは声を殺して笑った。
犬巻が、心配しているかのようなわざとらしい表情をぶら下げて、部屋に入ってきた。体調を気遣うねぎらいの言葉を並べ、"貧血"というワードで理由めいたことを説明する。でも、僕がたまたま倒れたわけじゃないのは、さっきのコソコソでなんとなく察する。
「廊下で何の話してたんですか?」
「何も。」
「9年おとなしくしてたとか、なんとか」
「ああ…」(聞いてたのね、だけど)「別の案件ですわ。」
僕に何か隠しているのか。僕になにがあったというのか。
僕の生活にチビが現れたことと関係あるのだろうか。
病院のベッドってのは、いけないな。心が弱る電波でも出てるのだろうか。疑心暗鬼になってしまう。
「給食。」
いきなりチビが言った。
「給食?なにが?」
「9つの色がある食べ物」
「なにが?」
「9色。きゅうしょく。給食。」
なんか、ありがとなチビ。
気持ちが楽になったよ。面倒な話は今度にするよ。
それより、また作ろうな、泥だんご。
(つづく)
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