完全のカカオビーン

 チョコレートを冷やし固めたものが出来上がったのは、土曜日の午前10時だった。

「大丈夫かな?」

「……データはどうなってるの?」

「ああ、もうすぐ広島大学からサンプルのデータが届くはずだよ」

 正午になって、広島大学からの使者がドアを叩いた。

「どうでした?」

「こちらを」

 使者は封筒を渡すと、帰っていった。茂樹くんは渡された封筒を開けて、中の書類を取り出した。

「おお……素晴らしい」

 書類を覗き込むと、そこには「一致」という文字が踊っていた。

「食べてみようか」

「そうだね」

 私たちはチョコレートを食べてみた。確かな追憶の味が、私の心を揺さぶる。

「この味だよ」

 私は泣きながら答えた。

 しばらくして余韻から覚めると、私は茂樹くんに話しかけた。

「今何時?」

「午後4時だね」

「おやつには少し遅いね……そうだ、今夜何にする?」

「お好み焼きとか……?」

「いいね、茂樹くんが焼いてくれるの?」

「ううん、市内の店に食べに行こうかなと思って」

「あー、いいね」

「じゃあ片付けてから少し違うところへ行こうか」

「どこ?」

「ひみつ」

 私たちはスイートラジオの工房を片付けて、茂樹くんの運転する車で海の方へ向かった。

「着いたよ」

「商業博物館かあ」

「僕は子供の頃、よくここにいたんだ」

「それで放課後は見つからなかったのか」

「スイートラジオで店を手伝ってたこともあったけど、ほとんどここにいたみたいなものだからね」

「で、ここで何するの?」

「この前改装されたから、久しぶりに童心を取り戻してみようと思って」

「なるほど?」

「……ってのは冗談。本当は、優花さんに見せたい展示品があるんだ」

「なに?」

「それは見てのお楽しみ」

「えー」

 茂樹くんは私を連れて、博物館のエントランスから中へと入っていった。

「大人二人です」

「こちらチケットになります」

「すみません、管理課の杉本課長はいらっしゃいますか」

「いえ、出張に出ておられます」

「では伝言をお願いしてよろしいでしょうか」

「かしこまりました。どうぞお話しください」

「豪華客船あさまのスケールモデルの受け取り日時は来週の土曜日、3月4日でお願いします……以上です」

「承りました。ではごゆっくりご覧ください」

 私たちはエントランスを過ぎると、1番目の展示室に入った。

「あの船はなんだろ」

「遣明船として用われた2500石船だね」

「何トンぐらい積めるの?」

「2500石だから……375トンかな」

「思ったより少ないね」

「当時としては最大級の大型船だけどね」

 縄文時代に開かれたとみられる瀬戸内海航路は記録に残る限りでは7世紀に律令が定められた頃すでに存在しており、九州北部と近畿地方の西側をつなぐ物流の大動脈だった。そこでは7世紀の時点ですでに数多くの港が栄え、海賊と船員が攻防を繰り広げていたという。平安時代末期になると平清盛の影響で瀬戸内航路は整備され、大きな港が完成した。また、室町幕府は瀬戸内海航路を明との貿易航路に使用した。その間、風待ち港や潮待ち港としてたくさんの小さな港町が発達した。江戸時代には瀬戸内航路は黄金期を迎え、帆船による海運はこの地方に巨万の富をもたらしたという。しかし明治20年頃に汽船や機帆船が導入されて風が関係なくなり、また山陽鉄道が完成するとこの地方は「水から引き上げた切り花のようにしぼんだ」と言われるほど衰退してしまった。

「そこで立ち上がったのが港の商工業者である。明治21年、彼らはこの地域に多くある港を利用して原料や部品を輸送するという方式で、手工業的に金属製品の生産をはじめた。明治27年に日清戦争が勃発し、明治28年にその賠償金が入ってくると、この地域にも投資が行われた……ところで今治にある海軍の工場っていつできたの?」

「明治20年頃にはできてたよ。最初はここに設置する予定で少し造船所もできてたんだけど、本州側は民間船舶が多すぎて機密が保てないことから今治に移転したんだ」

「なるほど」

「この展示室には終戦までの内容があるんだよね」

「まあ2番目に広いからね」

「たしか3番目の展示室が一番広いんじゃなかったっけ」

「そうだよ。迫力の模型が置いてあるからね」

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