祝福のザッハトルテ

 私が3番目の展示室の前室に入ると、目の前に豪華客船の船室のような空間が広がった。窓の部分は塞がれているが、ホテルのスイートルームのような空間はこれまでの空間から見るとかなり異質だった。

「すごい……」

『かつてのくろがね市の象徴、戦艦から生まれ変わった豪華客船あさま』

 かつて世界最大の戦艦「信濃」として今治にあった海軍工廠で大日本帝国海軍が秘密裏に建造した本船は未完成のうちに終戦を迎え、その船内容積の広さと大きさのため戦後日本の復興のために徹底的に武装解除をした上で引き渡された。日本の技術者たちは、唯一残った帝国海軍の最新鋭戦艦を再構成し、客船として再生した。1985年引退した「あさま」は1986年くろがね市に係留された。しかし「あさま」は2015年に再就航し、ほとんど新造に近い改装の末今も世界の海を駆けているのである。

 説明文を読む私の視界の隅で、茂樹くんがスマホをいじっている。

「……そういえば昔、こんな船あったなあ」

「奥の部屋に10分の1の模型があるよ」

 そばにやってきた茂樹くんが言う。私は奥の本室に向かって歩きはじめた。

 私が本室に進むと、突然頭の上から紙吹雪が降ってきた。前には数人が並んでいて、その中にはなぜか私の叔父もいる。

「なな、何?」

「結婚、おめでとう」

 船員服のような商業博物館の制服を着た白髪の男と叔父がにこやかな笑顔で言った。

「……なんで知ってるの?」

「いやそっちかい」

「たしかに先週婚姻届に名前書いたけど……もしかしてサプライズってやつ?」

「はい、その通りです」

 白髪の男が言う。

「というか……どちら様ですか」

「私はこの商業博物館の館長、杉本千早です」

「生前父がお世話になってて、その繋がりで僕の面倒を一時期見てくれてたお方だよ。館長、琢郎たくろう叔父さん、ありがとうございます」

「礼には及ばんよ。茂樹くん、私の企画に乗ってくれてありがとう」

「館長、それにしてもすごい人脈ですね」

「一応茂樹君が生まれる前からここの館長をさせてもらってるからね。琢郎先輩、協力してくれてありがとうございます」

「なあに、優花が結婚すると言われて喜ばない方がおかしいですよ」

「茂樹くん、もしかして」

「僕は館長に結婚することを伝えただけだよ。館長が全て企画したんだ」

「館長……ありがとうございます」

「どういたしまして」

「さて、お好み焼きを食べましょうか。もう行きますか、館長?」

「叔父さんも来るの!?」

「俺たちは店には行かないよ、家で食べるのさ。心配しなくても邪魔はしないよ」

「早苗さんのお好み焼きですよね。早苗さんは元クッキング部でしたっけ」

 早苗とは、私の叔母の名前である。

「ああ。今も料理は絶品ですよ」

「えー……私も叔母さんのお好み焼きがいい」

「茂樹くんは置いていっていいのかい?」

「あのー……僕も行かせてもらっていいですか?」

「そう来るのかい?邪魔するかもしれないぞ?」

「家族とのコミュニケーションは大事ですからね」

「まあ、そうだな。じゃあ、みんなでお好み焼きを食べるとしよう」

「私は着替えとそれからスタッフにお礼を言ってくるので、少し待っていてください」

「はい」

 私は顔を赤くして、茂樹くんをペシペシと軽くたたきながら笑っていた。

「そういえば優花は昔お父さんをよくそうしてペシペシしてたな」

「……そうだったっけ?」

「ああ。記憶にはないかもしれないけどな」

 へえ……というありきたりで無味乾燥な応答が浮かんできたのは、このときだった。死んだ肉親に対して失礼すぎるかもしれない、そう思ってその応答を飲み込む。

「父さんってどうして死んだの?」私の口からは思わぬ問いが出てきていた。「お母さんは借金に追われて逃げた先で死んだって言ってたけど」

 叔父は一瞬悲しそうな顔をして、話を始めた。

「優花のお父さんは……逃げてない。ついでに言うなら借金もしてない」

「どういうこと?」

「今から話すよ。そんなに焦るな」

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