Ⅰ-3 チューニング

パニックのカカオマス

 オフィスに着くと、始業前だというのに金森課長が頭を抱えていた。

「どうしたんです?」

「ああ、小林さん……大変だよ、生産ラインが止まった」

「またどうして……」

「わからん。ベルトコンベアが突然切れたんだ」

「修理に何時間ぐらいかかりそうですか?」

「それもわからん。交換できる部品がないんで、製造部の宇山部長が業者に連絡してる」

「じゃあ営業部は……」

「ああ、全取引先に納入遅延の可能性を伝えるぞ。業務が始まったらな」

「はい」

 私の勤める「MARテック広島」は、従業員500人の電子部品製造会社の本社だ。真空管やトランジスタ、ゲルマニウムダイオードなど、民生用では主にホビーに使われる――現代のラジオ社会になくてはならない必需品でもある――電子部品を生産している。主力商品のラジオの組み立ては各地の工場に任せ、精密さが要求される部品を本社の工場で全て生産しているのだ。

「ここはどうなってる?テストしてみろ」

「はい」

 階下のラインからは、慌ただしい会話が聞こえてくる。その会話に割って入るように、

「なんだって」

 という叫び声がオフィスまで聞こえてきた。すぐに作業服を着た中年の工員が階段を駆け上がってきた。そして宇山部長に耳打ちする。

「それは間違いない?」

 受話器を置いた宇山部長が言う。工員は黙ってうなずいた。

「社長、社長ーッ!」

 宇山部長は階段を駆け上がっていった。私は中年工員に何があったのかを尋ねた。

「何があったんですか?」

「モーターの線があべこべにつながれてたんです」

「ってことは……どういうことですか?」

「つまり、何者かによる破壊工作の可能性が濃厚です」

「こっわ……どどど、どうしましょう」

「どうする、と言われましても……警察に被害届を出すほかないと私は思いますがね」

「そうですよね……」

 そのとき、宇山部長が社長と一緒に階段を降りてきた。

「破壊工作か……まさかあれが本当だったとは」

「どういうことです、社長?」

「いや、この前差出人不明の手紙が届いただろ?」

「ああ、そんなこともありましたねえ」

「あれに『ラインが止まれば分かるだろう』とか書いてあったじゃないか」

「そうでしたっけ」

「あの郵便は切手を貼らずに、ここの住所を書いただけで投函されていた。筆跡を隠していたのも怪しい」

 と、そのとき。始業のチャイムとともに、営業部の電話のベルが鳴った。

「はい」

 中島さんが電話を取る。中島さんの手は、すぐにレコーダーに伸びた。

「……」

 中島さんは電話が切れると、ため息をつきながら言った。

「どうやら犯人直々のお電話のようですね」

「流してみてくれるか」

「はい」

 スピーカーから、ボイスチェンジャーを通した音声が流れてくる。

「君たち無意味な生産者の生産ラインは、もっと前に止めるべきだった。さて、何時間止まるかな?」

「……110番に通報したから、もうすぐパトカーが来るだろう。話はそれからだな」

 社長が苦虫をかみつぶしたような顔で言った。




 結局、その日の終業時間ぎりぎりになってもラインは動かなかった。定時になっても、鑑識とおぼしき警官がラインのあちこちを調べている。

「大変でしたね」

「中島さん、どこ行くの?」

「ちょっと寄っていきたいところがありましてね」

「どこ?」

「和徳さんもそろそろ仕事終わりなので」

「まさか病院?」

「……の近くのスーパーですね。待ち合わせ場所に指定してあるんです」

「何するの」

「何って……雑談ですよ」

「もしかして方角一緒なだけじゃなくて……」

「今日は駅まで同じだと思います」

「そうか、あいつ今鉄衛病院の医者か」

「そうです」

「私もちょっとついて行っていい?」

「良いですけど……どうしてですか?」

「話すことがあってね」

「なんでしょう」

「私がよく行くチョコレート専門店長の話」

「もしかして同級生ですか?」

「そうだね……腐れ縁というか」

「はええ……」

「で、今からなんの話する?」

「世間を恐怖に沈めている月曜停止魔か、はたまた怨恨犯か……とかどうです?」

「ライン停止の話か……私は月曜停止魔だと思うなあ」

「根拠はなんですか?」

「報道されているのと犯行の手口が酷似してるからね」

「ですが、わざと似せているという可能性もありますよ」

「でも脅迫状が届くあたりから一緒じゃない?」

「いえ、脅迫状の封筒が違いました。MARテックうちに届いた封筒はK社のものでしたが、月曜停止魔の封筒はA社のものです」

「なんでわかるの?」

「週刊パストの特報記事で実際の写真が出ていましたけど、あれはのり付けの仕方がA社です」

「へえ…」

「A社の封筒は少しずれが多いんですよ。今回届いた封筒は、ずれがなくぴったりとしている、K社のハイエンド長形三号です」

「なるほど」

「怨恨犯だとしたら、一方的な逆恨みでしょうね。うちの社長が恨みを買うとなると、相当ミスをしないといけませんから」

「そうだね……」

「まあ警察がどう結論するか気になりますね」

「そうだね」

 電車は黒鉄くろかね駅へと着いた。私たちは改札を抜けて、鉄衛病院の近くのスーパー「くろかね三号館」に向かった。


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