Ⅰ-2 ガリオーム
癇癪のアラザン
茂樹くんと再会してから3ヶ月経った11月、秋が終わろうとしている。土曜日の午後、私は少し行きづらかった、スイートラジオに行ってみた。
「8月30日ヲモチマシテ、閉店サセテイタダキ〼」
古風な書き方で書かれた「閉店のお知らせ」が、閉まったシャッターを揺さぶる北風にはためいていた。
「嘘でしょ……」
8月30日は、たしかに私が茂樹くんに電話をした日だった。
「帰ろ」
私はスイートラジオをあとにしようとして、ふと思いとどまった。
「私、なんのためにスイートラジオに行ったんだっけ」
そう、自分に問いかける。
「お母さんのチョコレートがほしかったから……」
そう思い出した私は、携帯電話を取り出して茂樹くんに電話をかけようとした。今更謝っても無駄かもしれない。でも、私はあの味が愛しい。不純なのには違いないし、私のための願いだけれど、私はお願いしたい。あのチョコレートを、復活させてほしい。
静かな発信音のあと、プルルルという呼び出し音が流れた。
「出て」
そう心の中で祈る。しかし、電話からは
「呼び出しましたが……」
という機械的な音声が聞こえてくるのみだった。私は何度も何度も電話をかけた。
「……お願い、出て」
まさにそう言ったときだった。
「何……してるんですか?」
聞き覚えのある声が、後ろから聞こえた。
「茂樹……くん?どうして」
「今日からリフォームの工事が始まるんで見に来たんですけど……」
「リフォーム?」
「ええ。そのための休業です」
「でも今日でおしまいだって……」
「ええ、あのときその場の思いつきで、リフォームするのを早めました」
「なんで?」
「それぐらい察してくださいよ……」
「ええ?」
茂樹くんは、レンズの大きな眼鏡を取り出した。
「これの初の出番があんなことになったんですから」
「……でも」
「レビューの件は明日説明します。明日の20時に、くろがね通り商店街の『アイアン鼻唄』まで来てください」
「……そうじゃなくて」
「どうしたんですか?」
「チョコレートの再現は続けてくれるの?」
「ええ、もちろんです。協力していただけるなら、ですけどね」
「はいはい、協力するよ」
「では、また明日。今から打ち合わせがあるので」
茂樹くんはそう言うと、スイートラジオの中に入っていった。
翌日の午後6時、私は「アイアン鼻唄」の店先に立っていた。焼肉屋特有の脂っこい空気が冬の風に乗って、私のお腹にアタックをかける。私が二時間も早くここにいるのは、とある事情による。
「いまどこ?」
会社の後輩の中島さんにLINEすると、既読はすぐについた。中島さんは大学でプロパガンダや成功したコマーシャルを研究して注目され、その成果を引っ提げ10倍の倍率を無視して入社してきた才女だ。個人的な主義で昇進を辞退し続けているため役職上は私と同じ本社営業広報部の平社員にとどまっているが、本人曰く昇進を蹴っても会社が勝手に権限をくれるらしい。羨ましいものだ……といつもの感想を反芻していると、LINEに新しいメッセージが表示される。
「くろがね通り商店街の入り口看板の前にいます」
「わかった」
私はアイアン鼻唄の店先から、くろがね通り商店街の入り口看板に向かった。
「あ、小林先輩!」
「中島さん、ありがとう」
「いえ、先輩を実け……違う、お手伝いできる貴重な機会ですから」
「いま実験台って言わなかった?」
「いえ滅相もない」
「で、どこのブランドがいいと思う?」
「想い人さんのご趣味は?」
「想い人じゃないから」
「想い人みたいなもんじゃないですか」
「なんでよ」
「無自覚な先輩も可愛い……まぁいいや、プレゼントを渡す相手の趣味というのは……」
「まだ渡すって決まったわけじゃないからね?」
「そうですか」
「軍とか……時計とか……刀とか……あと小説とか?」
「本はダブる可能性があるのでやめたほうがいいですし、刀は高いのでアウトです。時計とミリタリーを合わせるならば米軍か自衛隊の払い下げが一番……ですね」
「なるほど……ミリタリーと時計で行こう」
「ならミリタリーショップに行きましょうか」
「どこにあるの?」
「徒歩2分です。『行進曲くろがね』という店ですね」
「すごいなこの商店街」
「そうですね」
私たちが「行進曲くろがね」に入ると、払い下げ品が並んでいた。
「時計はフルチタンバンドか布バンドに限ります。ゴムバンドの場合は蒸れるのでだめですね」
「へぇ……」
「で、例えば米海軍仕様のこれとかどうでしょう」
中島さんはガラスケースに入った腕時計を指差した。
「すごいな……」
「まぁ2万円するんですけども」
「普通に同じような時計を買うと?」
「3万はしますね」
「じゃあこれキープで」
「他には……これとか?」
「腕の周りはどうですか?」
「とりあえず一番長いのでいこう」
「他にはロシア軍のボストークとか?」
「これは安いね」
「1万円しませんからね」
「そういえばロシア好きだったなぁ……」
「じゃあこれで決まりですね
「そうだね」
私はボストークを持って、レジに向かった。
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