お菓子とお局
「会社にさ、いるの。隣の課に。高慢ちきなお局が」
飲んでいるのはジュースだけなのに、なぜか酔ったような口調になったのは雰囲気のせいだろう。美奈子は少し疲れたような顔をつくって話を始めた。
「うち、不動産系の会社でしょ? だからまぁ、隣の課が問い合わせ窓口なんだけど、まずお局さんの声が大きいから、説教も嫌味も全部筒抜けなのよね」
「そのお局さん、まだいたの?」
直史は呆れ声で返事をした。彼はカバンからポーチを取り出した。リップバームを薬指で拭い、唇にのせる。再びビールを口にする。少し顔が赤い。
「そう、まだいたの。どうにもならないけど、どうにかしたいのよね。毎年春には新入社員いびり、自分は電話にでないけど、周りには出ろっていう。説教の声は大きいし、ウワサ好きで社員のあることないこと言いふらす。でも仕事はできる。優秀な人だから」
「それ、優秀っていう?」涼くんが聞いた。
「さぁね、数字の上では優秀なのよ。私が一番気になってることは、お局と課長が不倫してるってことかな。課長の立場もなくてさ、うちの営業所の実権はお局が掌握してるの。おかげでうちの営業部まで気を使う羽目になっちゃって」
「それ、なんとかならないのォ?」直史が呆れたように言う。
「最近悪化した。なんでもお局の課にいる郵便担当が、うっかり課長宛ての書留を開封したって。台帳つけててさ。入居者からの書類回収したりするからね。その返信用封筒と、課長宛ての書留の封筒のサイズと色が同じだったから、彼女、いつものように開封して内容をしっかり確認していたら……」
「なになに??」涼くんが身を乗り出した。
「なんとその中身、課長あてに裁判所が出した通知。発端はお局のダンナ。ついにダンナにもバレたみたい」
「きゃー」これは直史。両手を口にあて、目を見開いている。彼の同僚が目撃したら誤解を産むだろうと美奈子は思った。
「当然、書留開封事件はお局と課長の耳にも入って。なにが起きたというと」
「いうと?」
「お局の、郵便担当へのお菓子外し…」
「なにそれ」涼くんは、キョトンとした顔をして直史の方を見た。彼もピンときていないようだ。
「巷で聞いたとこはあるけど、都市伝説みたいなもんかと思ってたよ。お菓子外し」
「それが実在するのです。あれはね、やっているの見てるだけで心が乏しくなる」
「お菓子外す?」涼くんは繰り返した。どことなく間違っていたが誰も気にしなかった。直史がフォローする。
「お土産のお菓子、配ったりするだろ。特定の人にだけ渡さないんだよ。意図的に」
「なんていうか、いやがらせだね」
「そうなの。いたたまれない気持ちになるよ。不倫するのも勝手だけどさ、職場は巻き込んじゃダメよねぇ」
美奈子はそう言って、ポケットから取り出した煙草に火を着けた。ライターの明かりに照らされるフワっとした頬と細長い瞳が、とてもクールに見えた。
「お局に、シャトーのご夫妻の爪のアカ煎じて飲んでほしいな」
「こんど会ったらもらってこようか」
「…お願い」
美奈子は大げさに笑みを浮かべた。冗談だとわかっている笑みだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます