涼くんといつもの店で 1

 ひととおり店内を回ったが、美奈子は結局何も買わずに店を後にした。自分だったら、せっかく来たのなら何かひとつくらい買ってしまいそうだ、と直史は思った。美奈子はそういったことはしない。今日目当てのブツがなければ無理して財布を開くことはない。美奈子は直史を見上げて言った。


「お腹もすいたし、そろそろギグに行かない?」

「俺も腹減った。今日は涼くん、来てるかなぁ」

 雑居ビルを出た2人は、歩道へ出て再び繁華街方面へ足を運んだ。ギグは、名前の通り音楽通なオーナーが開いたカフェバーだ。夕方からひっそりオープンし、酒やコーヒー、自慢の料理をふるまっている。


 地下へ続く木造の階段を降りると、同じような素材の分厚いドアが現れる。一歩中に入ると、ブラウンを基調とした店内に吹き抜けの天井が広がり、落ち着いた電球色に照らされた空間が出迎えてくれる。


 ほどよくコーヒーの香りが充満する店内には、オーナー自慢のレコードが日替わりで流れており、今日のこの曲調はブラックミュージックだろうか。音楽に疎い2人にはさっぱりわからなかった。まれにミュージシャンが演奏をする日もある。


 店内を見まわすが涼くんの姿は見えなかった。直史がオーナーに尋ねると、どうやら昨日は店にフラっとやって来たようだ。涼くんも涼くんで、同じようにオーナーに2人のことを尋ねていたらしい。オーナーは笑っていた。


 2人はカウンター席に座ろうか少し迷ったが、中二階席が空いてるとわかり、そこに腰掛けた。開店したばかりで店が空いていたからラッキーだった。ここなら後で、仮に涼くんがフラリと現れても大丈夫だろう。オーダーを済ませると、自然に彼の話題になった。


「最近、涼くんと連絡とったの?」

 グラスに唇を添えて美奈子が訊いた。少し声がこもっている。

「ああ、ちょうど一週間前に電話があってさ。近々街に帰る予定だって言ってたんだよ。だから来てるかなって思ったけど、昨日だったか。相変わらず気まぐれな奴だよな」

「これから来るかもよ」


 美奈子はそう言って、店の入り口に視線を向けた。すると、扉がゆっくりと開くのが見える。彼女の口元が少し上がったのを見て、直史も振り返った。すると、オーナにやんわりとした笑顔で挨拶をしている彼の姿があった。彼はこちらに気づいて手を振りながらやってくる。


「噂をすればってやつ」

 美奈子は悪戯な笑みを浮かべた。一番、素の状態に近い笑みだが本人にその自覚はない。直史は片手を挙げて、涼くんに合図をした。

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