第ニ考 欲望論・性欲編
あなたは心の赴くままにセックスをしたことはあるか。大好きな人と気の済むまでセックスをしたことがあるか。
僕は、とあるインターネットの掲示板でとても興味深い記事を読んだ。
回答者が愛する人と一日中セックスをしたというのだ。
時折休憩を挟みながら、朝から晩までくたくたになるまで愛し合ったという。
これを見た当初、僕は相当驚いた。
こんなにも先進的な人が、この現代日本に存在したのか、という感動を得た。
こと性欲において特に言えることだが、「ここでは誰といくら交わっても良い」という場におかれると、どうしたらいいかわからなくて困る人がいる。
そうした環境に置かれると、昔ながらの人はや、不慣れな人は、欲の楽しみ方というものを分からないから、欲を雑に扱ってしまう。
いい意味でも悪い意味でもきつく、体に負担のかかるスポーツのようなセックスをする人もいる。
性行為というのは本来、適切な訓練が必要なものだ。技術、心構え、人との向きあい方。
それらすべてが関わってくる。
適切な訓練を受けていないがために成功を辛く苦しいものだ、面倒だと感じる人が多くいて、それには本当に心が痛む。
この国では性というものがかように虐げられているのだ。
そのせいか、性に関する書籍は自己啓発の棚の脇に追いやられ、それら娯楽作品はどれも性を卑下する安っぽいものばかりだ。
「アヘ顔」「快楽堕ち」「淫語」。
このどれを見ても、やるせない思いがしてきてとても辛い。
これでは、性交について正しい知識が得られないことも無理はない。
無論自分の中の愛欲というものに目覚めたこともないから、他人に踏み込まれるのを怖がって距離を取ったり、逆に愛欲の代わりに支配欲やストレスをぶつけてしまう人もいる。
それでは決して人は幸せにならならないだろう。
性欲というものを正しく活かすことができれば愛欲となる。
読んで字のごとく愛したいという欲望のことである。そして欲望とは、そのまま望み欲することを指す。
つまり性欲、もとい愛欲は、愛すること愛されることを、望み欲することを指すのだ。
まずは己の欲望に正直になることから始めてみてほしい。
暴れたり壊したりしたいのであれば、皿をいくら壊してもいいというサービスを利用する。
思う様食事がしたいのであれば、食べ放題に行ってたくさん食べてくる。
パートナーを得るために、気になった友達に目をつけ、じっと振る舞いを眺めて惚れ惚れとする。あとは思いを寄せるなり正直に話を打ち明けて好意を伝えるといい。
なんにせよ欲望を叶えるのに色々なしがらみが付いて回ることと思う。
今あげたのはその対処の一部でしかないが、これを行うのにも壁があるという人もいると思うのだ。
だが幸いにもこれらが可能な人に対して、
中でも性欲について提案したいことがある。
ゆっくりと、噛み締めるように性を味わってみないか、と。
絶頂することに固執せず、ただ快感と愛情に身を委ねる。本来性交というものはそうした心情と共にある行為なのだと思う。
あなたの中で最も古い記憶に母親に愛されたことはなかったか。
今の時代、ない人も多いだろう。
疲れた時、弱っている時、苦しい時、辛い時。甘えると母がいつも愛してくれる。可愛がってくれる。
優しく抱きしめたり、頬を撫ぜたり、肌を寄せたりしてくれる。
あの感覚が性交の本来の心地よさである。
その時の気持ち良さをおもいだせば、性行為へというものは、必ず穏やかで安らかなものになるはずだ。
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