騎士ジョアンは修道女エリシュに随伴する。19


 秘儀を終えた修道女は、数日の休養を取るのが通例である。秘儀とはすなわち、修道女の智慧による高度で莫大な演算処理である。やわらかい肉の身体、肉の脳髄を持つ人の身でそれを行うには、大きな負担が伴うことになる。大陸中に蔓延している悪しき魔術の因子を検めるこの秘儀が、限られた一部の人間に対してしか行われないのは、この実際的な制約に原因があるのだ。

 秘儀を執り行った翌日。精根が尽き果てた修道女エリシュは、客室の寝台で仰向けになっていた。聖堂からこの部屋に戻ってきてから、ずっとその身を横たえている。

 まったくはた迷惑な王権もあったものだ、とそばに控える騎士ジョアンは思った。身内のごたごたのために、こんなになるまでエリシュ様に負担をかけやがって。

 結局、昨日の義挙については、無かったことになったらしい。反乱した近衛隊による聖堂前の占拠は黙殺され、公的には、洗礼の儀式はつつがなく執り行われたとだけ記録されたのだ。無かったことになったのだから、それに加わった近衛隊の兵士も当然お咎めは無し。反宰相派の頭目であった近衛隊長も、いまではすっかりと矛を収めたという。

 また、あの聖堂の中で明らかにされたミラシア王の血に好ましからざる因子については、公にはされていない。ミラシア王の名誉にかかわるということでそれは機密とされた。本来は王権の命令に従う義務のない修道女エリシュと騎士ジョアンについても、念入りに口止めがされた。

 とはいえ、修道女エリシュは元から口外するつもりはないらしく、また騎士ジョアンもそれに従うつもりではあった。そもそも、砦の修道会からしても、現役の王の血に魔術の因子が混じっていたと報告されても対処しかねるだろう──というのがジョアンの見立てではあった。そのような場合ははなから想定されてはいないはずだ。

 大陸諸王権は砦の修道会によって承認されるという名目ではあるが、実際の世俗権力との関係はそう単純なものではない。

 理論的には、砦の修道会は諸王に対する罷免権を持ってはいるが、それは濫用できるようなものではない。過去に行使された例を見てみれば、それは砦の修道会が一方的に行使できるものではなく、国内外の支持と信用を完全に失した王を排するための追認措置でしかないのだ。

 それに、そもそものことの始まりは修道女メリーラにあるとも言える。もしも彼女が期待されていた通りの処置をとっていたのならば、今回の問題は起こらないはずだった。その点で、砦の修道会にだって全く責任がないこととは言えないだろう。

 だから何も気づかなかったことにする、それが落としどころだろう──とジョアンは思った。

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