騎士ジョアンは修道女エリシュに随伴する。17


 燭台には火がともされている。ぼんやりとした光が、聖堂の中に幕を下ろそうとする暗闇をなんとか押し分けていた。

 聖堂の内部は、荘厳な古様式で飾られていた。砦の修道会の教学にのっとり正しい方角に配置された祭壇とそのそばに立つ聖女像が照らし出される。

 その白磁の像が現わしているのは、兜をかぶり剣を携えた女性の姿だった。あたかも目の前に存在している敵を睨みつけるかのようなその厳しい表情は、聖なる精神、聖なる力による調伏の具現である。戦いに赴く姿勢でありながら、その甲冑の下の服装は古代の修道服の形をしている。

 聖女エレイン。伝説の六人の修道女の中でも筆頭的存在であり、武勇に優れた彼女は解放戦争における解放軍の総大将でもあったという。彼女は砦の修道会における中心であると同時に、砦の修道会と諸王権の繋がりを体現する存在でもあった。

 彼女は兵士の守護聖女であり、修験騎士の守護聖女であり、そしてなにより、諸王権の王族の守護聖女とみなされている。

 そんな聖女エレイン像が見守る中、ミラシア王は祭壇に歩み寄る。そして祭壇上に寝かされている赤子を一瞥し、目を細めた。嗅がされた薬が切れてきたのか、赤子はすやすやと穏やかな寝息を立てている。

「この子は幸いだ。魔術の因子を受け継がなかったらしい」

 その言葉を聞き、近衛隊長は顔を上げた。

「魔術師の因子! ……やはり、そうでしたか」

「お前はなにか勘違いしているな。違うぞ。魔術師の因子を持っていたのはこの子の母の方ではない──」

 ミラシア王は、ややためらったが、やがて続けた。

「魔術師の血が流れているのは、余の方だ」

 そこからミラシア王は、訥々と語りだす。

 もともと、いくつかの点で疑いがあったのだという。

 ひとつは、生前の修道女メリーラと最後に会ったときの、深々と頭を下げた修道女がしわがれた声でこぼした言葉にあった。

『陛下、あなたを生かしたわたしの判断は間違っておりませんでした……』

 実際、かつての洗礼の儀式を執り行ったのはこのメリーラである。彼女の言葉は文字通りの事実ではあるが、どうもその言い方が気になったのだという。あたかも、生かさないという選択がありえたかのように感じられたのだ。

 その後まもなくしてその老いた修道女は病に没し、その言葉の真意を確かめる機会を永久に失ってしまったのだという。

 もしや自分は王位にあるまじき因子を抱えているのではないか? ミラシア王はいつしか、その疑念に囚われていた。それでも、自分ひとりの秘密ならば、自分ひとりで抱えることもできただろう。

 しかし折悪しく、王妃の懐妊が判明した。

 王は焦った。もしも疑念の通りに自分の血の中に魔術師の因子が混ざっており、そしてそれがこの子に引き継がれてしまったのならば、それは大事件になるだろう。

 そして王は、その苦悩を宰相へと打ち明けた。

 そこで宰相は一計を案じた。

 宰相はもともと政敵の多い男であり、誹謗中傷の風説が流れていた。宰相は逆にその風説を利用した。つまり、宰相自身が、宰相とその一族の血にいかがわしい点があるという風説を、隠密によって広めたのだ。その謀は功を奏し、王妃が出産するまでの間に、その疑いは国中へと広がっていた。それを耳にするすべての者が信じるわけではない。それどころか、熱心な尊王主義者を除く大多数の人民は話半分にも受け取らないだろう。しかしそのような噂を聞いたことがあるという点が重要だった。

 そうすることで、万が一に王の子に魔術の因子が混じっていた場合、それは父である王の血によるものでなく、あくまで宰相の娘である王妃の由来であると錯覚させようと試みたのだ。

 とはいえ、実際には、その子に魔術の因子は引き継がれていなかった。幸運にも、宰相の保険的な策は、その効果を発揮せずに済んだのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る