騎士ジョアンは修道女エリシュに随伴する。10


 宮廷魔術師は辛子色のとんがり帽子を外し、エリシュに向かい、恭しく頭を下げた。

「わたしのような賤しい者がこの部屋に侵入した無礼をお許しください、修道女エリシュ様」

「いえ、なにか訳があってのことなのでしょう」

 魔術師を前にしてもエリシュは平然としていた。

 エリシュ様はさすがだな、とジョアンは思った。どのような状況にあっても動じたりはしない……しかし、護衛の騎士としてはこの状況は面白くなかった。

「そうだ、訳があるんなら、その訳をいえ訳を!」とジョアンはここぞとばかりに声を上げる。「エリシュ様に用があるのなら、どうして宰相閣下本人が正面の扉から入ってこないんだ? よりにもよって宮廷魔術師を使って壁の中から入ってくるなんて、まるで誰かに見られたら困るみたいじゃないか」

 宮廷魔術師は、疎まし気な視線をちらりとジョアンに向け、すぐにエリシュに向き直った。

「誰かに見られたら困る、というのはその通り……仔細は省きますが、宮廷政治というものでございます。閣下がエリシュ様と連絡を取ろうとしているのが誰かに見つかれば、そこから敵方に情報が洩れ伝うやもしれないので」

「王城の者が信用できないなんて、宰相閣下の人望も大したもんだな」

「……もう、騎士殿! さっきからなにさ!」

 いちいち口を挟まれることに耐え切れず、魔術師はジョアンを睨みつけた。

「ふん! どうも胡散臭いんだよなあ、おたくの宰相閣下は」ジョアンは額を突き合わせ睨み返す。「王城にいる他の誰も信用していないくせに、おまえみたいな魔術師に限って使いに出すほど信用しているっていうのも、なんか気に入らないんだよな……ん?」

 ふと遮光器の隙間越しの瞳が気になり、ジョアンは魔術師のそれをまくり上げた。

 不意を突かれ、呆けた若い女の顔──まだ少女といってもいいくらいだった。遮光器を付けている不気味な風体とは打って変わり、なかなか端正な造りをしている。そして、驚いたように見開かれた灰白色の瞳──

 魔術師は慌ててその手を振り払い、遮光器を付け直す。

「なにすんのさ! ……これは、邪視を封じるために、王城内では装着が義務付けられてんの」

「いや、おまえのその目」

「別に、珍しい色でもないでしょ。なにさ、文句がある?」

「たしか、宰相閣下も同じ色の目をしていたはずだが……ああ、そうか、わかったぞ!」

 得心したジョアンは手を打った。

「おまえ、さては宰相閣下の隠し子か、孫娘かなんかだな。血のつながりがある者に魔術師が出たっていうあの噂は本当だったわけだ。そして血のつながりがあるから、例外的に信用されているってことだろう。違うか?」

「……下衆の勘ぐりってやつだね」

 宮廷魔術師は目をそらす。

 歯切れが悪い魔術師を見て、ジョアンは自分の推測が図星であることを確信した。

「宰相が汚い手を使ったとしても洗礼の儀式は公正にやってくれ──って、あたしたちは旅の途中でお願いされたんだ。ただの憶測だと思っていたが、しかし、これではっきりとしたな。おまえはエリシュ様に、洗礼の儀式によって新生児が魔術の因子を持っていると判断したとしても、見逃してくれと頼みに来たんだ。違うか?」

 どうだ魔術師、とジョアンは思った。おまえの薄汚い腹の内を暴いてやったぞ、と心の中で勝ち誇った。

「──ふん、だから下衆の勘ぐりといったのさ」魔術師は不愉快そうにいった。怒りと軽蔑がこもった、低い声だった。「騎士殿、あんたがいったことは全然違う。むしろ真逆だ」

 魔術師は、改めて修道女エリシュの方を向いた。そして深々と頭を下げる。

「エリシュ様、洗礼の儀式においては、公正な判断をお願いいたします。もしも御子が王位に能わぬなら、情けは無用です。是非に、殺してやってください。それが宰相の願いです」

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