騎士ジョアンは修道女エリシュに随伴する。8
謁見を終え、王座の間から客室へと案内される途中、いつのまにか宰相がエリシュとジョアンのふたりに近づいてきた。彼は何の気ない風を装っていたが、すれ違いざまに、ジョアンにこっそりと耳打ちした。
「──騎士ジョアン殿。今夜わたしの手の者が『北側』からお邪魔します、とエリシュ様にお伝えください」
ジョアンは振り向くが、宰相はそのまま何事もなかったかのように歩き去っていった。
二人は王城内の客室へと通された。
白い天井につるされた品の良い飾り照明、艶やかに塗られた赤い壁、彫刻が施された木工調度品の部屋だった。
今夜は旅の疲れを癒やし、明日は一日かけて忌籠りとし、それから洗礼の儀式を行う予定となっている。
その晩、ジョアンは腕を組み、じっと壁を見つめていた。
もうすでに何度も検めていたが、その壁に仕掛けなんていう物はないはずだった。しかしその壁こそがこの部屋における北側に他ならなかった。
寝台に腰かけたエリシュは不思議そうに首を傾げた。
「宰相閣下は、本当に北側といったのですか?」
「ええ、間違いなく。あたしはてっきり、使いの者が人目を忍んで隠し扉かなんかから現れると思ったんですが……そもそも、気に入らん話ですがね。まるで誰かに見られたり聞かれたら困るみたいに、すれ違いざまに小声でこっそりと伝えてくるなんて」
ジョアンは、昨日の旅籠の手紙を思い出さずにはいられなかった。あのような風説に付き合う気はさらさらないが……しかし宰相になにか人目をはばかるような後ろめたいところがあるのは確かなようだった。
しかし、北側からお邪魔するとはいったいどのような意味なのだろうか? まさか、この壁を突き破って誰かが現れるわけでもあるまいに──
その声は、突然訪れる。
「夜分遅くに失礼いたします」
その声はあたかも壁を通り抜けたかのようだった。
まさか、とジョアンは身構えた。
壁の方を睨む。なんども念入りに調べたそれは、どこにも仕掛けなどないただの壁であったはずだが──
その平面を突き抜けて、一人の人間が部屋の中に飛び込んできた!
水の中に飛び込んだかのように、その人物は右手で口と鼻を塞ぐ仕草をしていた。目に痛い辛子色のとんがり帽子と外套。気味の悪い遮光器がその目元を覆っている。
その侵入者は床に着地すると、口と鼻を塞いでいた手を放し、ひとつ息を吐いた。そしてエリシュの方に向き直り、一礼した。
「宮廷魔術師のアトラクサと申します。宰相の使いで参りました」
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