トクゼンは革命の理論を完成させ、雌伏の時を過ごし、帝都に舞い戻った。
それはまだ、オルゴニア皇帝が外征軍への大規模徴兵や貴族議会の解散、その他諸々の失策を犯すよりも前ことだった。
帝都大学図書館、立ち並ぶ書架の奥深く。隣り合った閲覧席に座った二人の男子学生は、それぞれ顔を相手の方へと向けて議論していた。
「しかしだな、トクゼン」根っからの皇帝派である学生のオンドジェイは皮肉気に言った。「きみのいう共和主義の理論を実践しようとすれば、その人民政府というものは──呪い師の連中でさえも参画させる必要があるじゃないか。どうだ、それこそがきみの理論が抱える矛盾だ! あの賤しい癲狂者どもが治世にかかわるかもしれないということを考えてみろ! そんな大それたことあってはいけないじゃないか」
「そうだな」とトクゼンは短く答えた。そしてしばらく考え込むようにする。
言葉に詰まったとみて、オンドジェイは勝ち誇ったように笑った。そして得意げに言う。
「どうだ、わかったか。結局、共和主義なんていうのは机上の空論に過ぎないということだ。
二重の意味で非現実的だと言えるな。一つは、仮に専制支配が廃されたとしても君が望むような理想社会は訪れるまい。もう一つは、そもそも革命が成功することはあるまい。
……君もいい加減、主義者の連中とは手を切るべきだな。いまはまだお目こぼしされているが、当局がいつ目をつけるかわかったもんじゃない。そうなったら将来の仕官に響くぞ」
トクゼンはおもむろに顔を上げ、友人をまっすぐと見た。灰白色の光彩は無機質な光をたたえている。彼はゆっくりと口を開いた。
「共和主義の理論にのっとれば、呪い師の代表も評議員として招集せざるをえまい。きみがさっきがいった通りだよ、オンドジェイ──ぼくはこれまで、考えるのを避けていたのかもしれない。けれどいま、きみに突きつけられたはっきりとした」
「……おい、トクゼン? なにを言い出すんだ」
「人民政府には呪い師を参画させる。──いや、それだけにはとどまらないな。それ以前の、革命の手段としても、彼らの持つ魔術の力は有用だし、必要なのかもしれない」
「トクゼン!」とオンドジェイは声を上げた。凄烈な、悲鳴のような声だった。
「きみは、きみは自分がなにを言っているのかわかっているのか?」
「きみのおかげだよ。この理論はまとまりそうだ──君の名をとって、オンドジェイ理論と名付けたいが、かまわないか?」
「やめてくれやめてくれ!」
オンドジェイは机をたたいた。たまらず立ちあがり、トクゼンを睨み下ろした。
対するトクゼンは、平然とした表情で友人を見上げる。
しばらくの沈黙があった。
「……冗談をいっているんでなく、本気で言っているんだな?」
「本気だよ。ぼくはいつでも本気で革命を考えている」
「そうか──」オンドジェイはゆっくりと目を閉じた。わなわなと震える両手を握りこみ、さらに力を込めた。鋭く細く息を吸い、そして吐き出した。
「──もうきみと話すことはない」とだけ言い残し、オンドジェイは立ち去った。
ひとり取り残されたトクゼンは、しかしもはや現実を離れ、革命理論に関する思索に耽っていた。
この時から数年後に、オンドジェイの予測は的中する。オルゴニア皇帝は帝都大学の学生団体への弾圧を開始したのだ。共和主義を奉ずる革命家たちはオルゴニア帝国内の根城を失い散り散りになった。あるものは獄に繋がれ、またあるものは官憲の手を逃れて地下へと潜伏した。
そして一部の革命家は帝国領外へと逃れた。
この大陸は、かつての魔術師王に反乱した士族を祖とする複数の王が大陸全土を分割支配しているため、本来ならば共和主義者の居場所というものは存在しないはずだった。しかし、オルゴニア帝国と対立関係にあるカルドレイン王国は、ある思惑からこのオルゴニア帝国の共和主義者の政治亡命を認め、庇護することとなった。
トクゼンもまた、カルドレイン王国にて雌伏の時を過ごすこととなる。
ところで、トクゼンは仇名にして筆名──さもなくば、当局を欺く偽名であった。当時の政治運動に身を投じた学生の習わしとして、複数の別名を使っていたのだ。
やがて、彼は政治工作の一環としてカルドレイン王国の支援を受け、オルゴニア帝国の帝都に舞い戻ることとなる。この時彼は人民政府の設立を決意しており、自身の名を『護民卿』と改めていた。
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