バンクロフトは呪いに苛まれ、治安局に告訴する。2


 バンクロフトは、顔を血膿に濡らしながら、むしろ周囲の様子にあっけに取られていた。

 俺が魔術師だって? 違う、そんなわけがない。俺はただ、魔術師に呪いをかけられてこうなってしまっただけなんだ──

 弁明しようと口を開くと、途端に吐き気が沸き起こった。こらえる間もなく、のどの奥からは飛蝗の大群が飛び出していく!

 庁舎の中で飛蝗が嵐のように飛び交った。バンクロフトの体内から出てきたときにまとっていた粘液を、羽ばたくごとにまき散らしながら、それらは猛然と人々にとびかかる。いつしかそのおぞましい大群は、庁舎の中を埋め尽くさんばかりに増大していた。

 逃げ遅れた人々は一瞬で飛蝗の群れに取り込まれる。無数の大あごが人体を齧り取っていく。

 人間の絶叫と羽音の嵐──その中心にいながら、バンクロフトはどうすることもできず、ただ唖然とするしかなかった。

 一方で、頭の中に這いずり回っていた苦痛の塊が放出されたことで、空虚な安らぎも感じていた。血の味がする痛痒は名残だけを残し、いまやそのほとんどが体の外へと逃げ出していったのだ。ある意味では、解放されたのは飛蝗の群れでなく、バンクロフト本人の方だった。

 とつぜん、庁舎の中に稲妻がひらめいた。

 焼け焦げた昆虫の死骸がつぎつぎと床に墜落する。それらの残骸はすぐに蒸発し、マナへと還元していく。

 庁舎に現れたのは、騒ぎを聞きつけた審問官だった。黒い帽子と黒い外套、鋭い双眸を覗かせる金糸細工の仮面、そして抜き放たれた剣──

 剣身に沿って放たれる稲妻の呪文は、次々と飛蝗たちを焼き払っていく。

 靄が晴れるように、庁舎の中の凄惨な光景があらわになった。逃げ遅れ、無惨な姿となった人々と、その中心にたたずむバンクロフト──

「──助けてくれ!」とバンクロフトは我に返って、審問官に向かって叫んだ。彼は自分のことを心底憐れんで、救いを求めて声を上げる。「俺は呪われたんだ! どこかの魔術師が、俺をこんな風にしやがったんだ──」

 しかし、相対する審問官の目は冷ややかだった。バンクロフトの言い分を聞き入れる風でもなく、その手の剣の切先は、まっすぐとバンクロフトの方へと向けられる──

 考えるよりも先に、バンクロフトの身体が動いていた。後ろを振り向き、弾かれたように逃げ出した。

 稲妻の魔術の衝撃が背中をかすめた──バンクロフトはよろめきながらも必死になり、庁舎の外へと向かう。

 どうして審問官が俺を攻撃するんだ? バンクロフトは混乱の中にあった。討つべきは魔術師であり、俺はただ呪いをかけられた被害者であるのに──

 その時、バンクロフトの頭の中に一つの仮説が思い浮かんだ。

 ──まさか、審問官が俺に呪いをかけたのか?

 そうであれば、すべての説明がつく気がした。つまり、呪いをかけられた俺が苦痛にたまらず治安局へ訴え出るところを、あの審問官は待ち構えていたのだ。そうに違いない。そうであれば、すべての辻褄が合う。

 この仮説は即座にバンクロフトの信念へとなった。

 バンクロフトの頭の中には、ふたたび、あの感覚がよみがえってきた。チクチク、イガイガ、ガサガサ──

 彼は怒りがこみあげてくるのを感じた。確信に基づいた、本当の怒りだった。そしてその怒りは、いまやこの頭の中と喉の奥を這いずり回る異物感と別ち難く強固に結びついていた。

 バンクロフトが庁舎から転がり出ると、外は治安兵によって包囲されていた。

 逃げ場なんて見つからなかった。しかし、審問官が背後から迫りくるのを感じていたバンクロフトは正面へと突っ込んだ!

 取り押さえようと迫りくる治安兵たちに向かい、バンクロフトは──口の中から、怒りを吐き出した。

 

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