第2話 村の少年

「行くぜ、マギル! 今日こそてめぇとの決着をつけてやる!」

 オレとマギルの距離はおよそ十メートル。

 オレたちにとっては一瞬で詰められる距離だ。

「リヒトは今日も暑苦しいね」

 マギルが涼しそうな顔で長髪を掻きあげる。オレは男の長髪なんて、と思っているが、こいつのそれは嫌に似合っているから気に食わない。

「暑苦しいだぁ? それは―」

 オレは右手を挙げて手のひらを上に向け、勢いよく炎を噴出させた。

 見ての通り、体の末端から炎を出す。それがオレの異能だ。

 シンプルな能力で、複雑な縛りもない。しいて言えば体の末端からしか出せないことか。

 発現したのは十四の頃で、思ったことは「格好いい」だった。

 親や学校の先生は異能を悪いものとして扱っているし、オレ自身も使ってはいけないものだと理解はしているけれど、それと格好いいと思うかどうかは別の話だ。

 だって手から炎が出るんだぜ。

 昔から格闘技やバトル漫画を見ていて、こいつから炎とか水とかを操って戦ったら絶対面白いのに、と思っていた。

 事実人類に異能が発現する前まではそういう類の漫画が存在していたと聞く。

 幼い頃にそういう話をしていると、周りの視線が痛かったので、次第に思っても言ってはいけないと理解した。

 個人的にはこの反異能社会には反対で、しっかり向き合いうまく付き合っていくべきだと思っている。

 まあ、こんなド田舎の高校生がどんな主張を掲げようが世界に影響することはないのだけれど。

 総人口二百人弱の山奥にある集落。オレとマギルはそこで生まれ育った。

 最寄りの駅まで車で一時間。高校までは片道二時間半。小学校と中学校は複式学級だったのにも関わらず一クラス五人。

 そんな過疎地で育ったオレたちだったが、長い連休では何度か都会に出たこともあるので、自分たちが世間を知らないということを知っている。

 高校を卒業したら、オレたちは都会に出るつもりだった。

 十七年間この村でずっと一緒に生きて来たけれど、それもあと一年で終わり。

だからこそ。

「てめぇもおんなしだろうが!」

 オレは足から炎を勢いよく噴射させ、十メートルの間合いを一気に詰める。

 そのまま右手を振りかぶり、マギルの顔面目掛けて高い位置から打ち下ろしの右ストレート。

「うらぁ!」

 しかし、確実に顔面を捉えたと思った瞬間、マギルの顔が揺らめいてオレの拳が空を切った。

 そのままマギルはバックステップで距離を取り直す。

「はっ、そう焦るなよ」

 冷たく笑ったマギルの両腕が炎に包まれる。臨戦態勢に入ったようだ。

 体から炎を出す能力。

 そう。オレとマギルは同一の能力を持っている。

 厳密にいうと縛りは異なるだろうが。

 たった一人の男の同年代で、気が合い、異能も全く同じ。

 そんなオレたちは、いつしかこうして決闘を行うようになっていた。

 同じ環境で育ったせいか、マギルもオレと同じように異能に対しての忌避感が薄い。

 百三十三戦百三十三引き分け。

 未だに一度も決着がついていない。

 はじまりは覚えていないけれど、だんだんと勝ち負けに執着するようになってきて、いまではこいつとしっかり決着をつけないとお互い先に進めないと思うようになってきていた。

 期限はあと一年。卒業までにこいつと決着をつけて、オレは先に進む。

「余所見している暇なんてないよ」

 回想シーンで一瞬ぼうっとしていたオレの顔のすぐ横を小さな炎の塊が掠める。

「っぶね!」

 一息つく間もなく再び小さな火の玉が飛んでくる。今度は顔の正面。オレは膝の力をすっと抜いて即時に体勢を下げる。躱した体制のまま地面に両手をついて、四つん這いのまま獣のようにマギルの方へ跳ねた。

 進行方向と真逆に炎を噴出させることで、オレは文字通り人知を越えた超スピードを獲得する。

「だらぁ!」

 炎を纏わせた拳でマギルの左頬を打ち抜く。

 寸でのところでガードされたため、その攻撃は顔にはヒットしなかったが、マギルの左腕にオレの拳大の火傷痕が残った。

「ぐ……やるね」

「今日こそは勝たせてもらうぜ」

「馬鹿を言え」

「この間駅の改札で家の鍵出しちゃった」

「誰が馬鹿なことを言えと言った!」

「え」


 そのままオレたちは疲れ果てるまで戦い続けた。

 日が暮れてくると、どちらともなく臨戦態勢を解き、その日の決闘が終わる。

 今日は、序盤こそオレが優勢だったが、その後は結局マギルの新技に翻弄され、まともなダメージを与えることができなかった。

 オレも有効打は貰っていないので判定ならぎりぎり勝ちといったところだろう。

「『判定ならオレの勝ちだなー』とでも思っているんでしょ」

 背中にぴと、と冷たい水筒を当てられたオレは思わず「ひゃう!」と声を出した。

「……変な声出さない」

「へいへい」

 そのまま水筒を開けて麦茶を喉に流し込む。美味い。

 やっぱりやかんで入れた麦茶は最高にうまいよな。これペットボトルに詰めて売ったら天下とれるんじゃないか? やべぇオレ天才かもしれない。

「まだ僕には奥の手があるんだから、勝った気でいられるのも今のうちだよ」

「……なんでさっき使わなかった?」

「奥の手だよ。絶対にとどめを刺せる時か、刺されるとき以外に使うのは馬鹿じゃないか」

「まあ、それはそうだな」

 オレたちの間に数秒無言の時間が流れた。

「リヒトはさ。結局、村を出るつもりなの?」

「ん? ああ、そのつもりだよ。お前だってそうだろ?」

 隣に座ったマギルが、黙って空を見上げた。

 オレも釣られて上を向く。太陽はほとんど沈んでいて、薄黒い青色に染まった空にいくつかの星が存在を主張している。

 あれがシリウス、プロキオン、ベテルギウス。オレは冬の大三角形を視認した。

「ねえ、リヒト。プロキオンってこいぬ座だっけ」

 マギルはオレの質問を無視して別の質問をぶつけてくる。

 村を出るかどうかはかなりセンシティブな話だ。だからオレはマギルの意図を組んで、『質問を質問で返すな』などとは言わなかった。

「こいぬ座だな」

「あれって実質直線なのに、こいぬを名乗るのは烏滸がましいと思わない?」

「髪の毛座の方が複雑な形だが星座に関してそれは言わない約束だろ」

 白鳥座だってほぼほぼ十字座だろあれ。

「でも、村を出て都会に住むようになったら、きっとこいぬ座は直線ですらなく、プロキオンだけの星座に見えるんだよね」

「……そうだなあ。前東京にいったときも、星が見えなくてびっくりしたもんな」

「それが、ちょっとだけ寂しい」

 マギルは今にも消えそうなほど小さな声で、そう言った。

「……」

「リヒトはさ、この村が好きじゃないでしょ」

「いや、好きじゃないとまでは」

「僕も大好きってわけじゃない。何より未来がない。僕らの世代はもう片手で数えるくらいしかいないし、大半がリヒトみたいに出ていく。親父世代ですらほとんどいなくて、ここからは爺さんが爺さんを世話していく地獄みたいな村になると思う」

「それはまあ、いずれは日本全体がそうなると思うけど」

「やめて! 政治とJPOPの話は禁止!」

 JPOPに何の恨みが。

「そんな村に若い僕だけ残ったところで、貧乏くじみたいなものだし、それこそ僕が老いた時には誰も介護してくれる人がいないと思っていて」

「……」

「でもそれが、村を出る理由になるのかなあって」

「……」

 マギルはオレのほうを向かずに空ばかり見ている。

「僕はね。リヒトと違ってこの村を出てもやりたいことが何にもないんだ。リヒトは都会の大学に行って、もっといろんな人と触れ合って広い世界を知りたいと思っているでしょ」

「あ、ああ。でもそれはお前も」

 マギルはゆっくりと首を振った。

「やりたいことがないわけじゃない。でも、お世話になった人たちを放ってまでやりたいかと言われればかなり怪しい」

「……そんなこと言ったら、オレだってそうだよ」

 オレは思わずぐっと拳を握りしめた。

「でも、オレは! いや、お前もだよ!」

「……」

「閉鎖された村で、外からの刺激がない世界だからそんなことを思っちまうんだよ」

「刺激がない世界だから……?」

「そうさ。高校のクラスメイトにもやべーやつらがいるだろ? 外の世界にはあんなん比じゃないくらいおもしれーやつらがいるに決まっているんだ! こいぬ座を見ても俺はもうこいぬ座としか言えないけど。あれを見てサスペンダー座っていうやつもいるかもしれないだろ」

「ふっ……いや、それは狙いすぎて逆に面白くないよ」

「ひひ、うるせえ」

 マギルがやっとこっちを向いた。

 そしてオレとマギルは顔を見合わせて笑った。

「そういう外の世界を見に行こうぜ。オレと一緒に。そうしたら、お前のやりたいことが見つかるかもしんねーだろ」

「……でも」

「うだうだうるせえな。わかった、じゃあ四年だ。大学に入学してから卒業するまでの四年だけ都会に出ようぜ。それでもやりたいことが見つかんなかったら、その時は村に戻ればいいさ」

 話し終わったオレはふん、と鼻息を吐いた。

 数秒間見つめ合って。

 マギルが笑った。

「そうだね、それで―」

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