第6話 トマトな報酬、カエルの逆襲

 辺境でお化けガエルを駆除している兵士たちは、普段は地元で作物を育てている兼業農家の若者たちである。

 辺境伯と名前がついている家系の者もいるし、たまに蛮族と誤解されている者もいるが、収穫の合間を縫って出稼ぎに来ているのに変わりはない。

「実家は大丈夫かなぁ。そろそろ芋掘らねぇと」

「芋はまだ早いべ?」

 王都の紳士淑女は誤解しているが、勤勉な農家の若者たちの不満は海辺でのんびりできないことではなく、収穫した作物を手ににっこりできないことである。

 彼らとて、お給料をもらっている以上カエルを駆除するのはいい。そうではなく、そろそろ待ちに待った収穫の秋が来るのに、実家の畑に帰れないのは大変なストレスなのだった。

「いっそ、せーので実家帰っちまうか?」

 麦わら帽子と手袋、長袖長ズボンという完全農作業姿で兼業兵士たちが集団脱走プランを口にしていた頃、丘の上からやって来る一行が見えた。

「なんだ?」

 黄金のワシの紋章が刻まれた白い制服の兵士たち、彼らに囲まれた金髪の青年はたぶん身分の高い人なのだろうと、それくらいは兼業兵士たちにもわかった。ただ王都の紳士淑女は夏場になると「ばかんす」と称して辺境に出没するので、そのことはそんなに気に留めなかった。

 しかしその一行の中に、一人だけ様子の違う来訪者がいた。一見すると少年のようで、一人だけサイズの小さい制服を着ていた。少年にしては髪が長いようで、暑さをしのぐために頭に巻いた布からこぼれた黒髪が見えていた。

 近づくとわかる、線の細さとしゅっとした綺麗な灰色の瞳。男性物の仕官服に身を包んだ少女の不愛想な顔を絵姿で見た覚えがあって、兼業兵士たちは思わず声を上げていた。

「……エリザ嬢だ!」

 兼業兵士たちは一気に色めき立って、麦わら帽子と手袋を投げ捨てた。さすがに長袖長ズボンを投げ捨てては大問題だとすぐに気づいたが、あたふたと服と長靴から泥を落として畑のあぜ道にのぼる。

「ほ、本当にエリザ嬢が辺境に来たさ?」

「そんな、叱られる心の準備ができてねぇべ!」

「しっ! こっち来る!」

 偉い人と思われる金髪の青年が、農家のおじさんにしか見えない上一緒に作業もしている年配の隊長に声をかけると、隊長は真っ青になって号令をかけた。兼業兵士たちはあぜ道に整列して、その前で来訪者の一行が馬から降りる。

 白い制服の兵士の中から一歩前に出てきたのは、エリザ嬢と思われる男性物の仕官服の少女だった。頭に巻いていた布を外すと、案外女性らしい豊かな黒髪が流れ出た。

 彼女は腰を折って一礼すると、凛とした声で切り出す。

「私は仕官部統括課総務室長のエリザベート・ロッテ・エル・オーギュスト。みなさん、今年は特に暑い中、お化けガエルの駆除作業ご苦労さまです」

 流れるような言葉と身にまとう気迫はさすがというべきだが、この時点では、兼業兵士たちはまだエリザ嬢の偽物の可能性を疑っていた。エリザ嬢は筆頭仕官でありながら折につけ各地を巡回して指導と労いの言葉を残していくらしいが、さすがにエリザ嬢その人に直接会ったことがある兵士はこの中にいなかった。

「今日は、駆除作業の実際を見せていただくつもりで来ました。その前にお渡しするものがあります。……ここへ」

 彼女が振り向くと、護衛らしい兵士たちが木箱を持って彼女の横に立った。彼女は木箱のふたを開けて、何かを一つ取り出す。

「急で予算がつかなかったので、私の実家の作物で恐縮ですが、みなさんで召し上がってください」

「これは……!」

 兼業兵士たちが息を呑んだ先には、ほのかな少女の赤い頬を思わせるトマトがあった。

 トマトは必ずしも大きくとも美味しいとは限らず、赤く熟したように見えても酸味が強いこともあるが、エリザ嬢の実家オーギュスト伯領のトマトは違う。他の産地のトマトに比べて小さめで、色も真っ赤ではないが、癖になる甘酸っぱさを持っている。

 プリンセス・エリザ。辺境に住まう者なら誰もが一度は食べたことがあるトマトは、ちょっときつめのところがいいと評判のエリザ嬢の名前で勝手に呼ばれている。

「しばらくトマト煮込みには困らないくらいは持ってきました」

 そのトマトを無造作に木箱に詰めて大量に持ってきた令嬢、確かにそれはエリザ嬢に違いない。

 事実を知って震えた兼業兵士たちの中で、トマトを受け取った隊長は少し涙ぐんで言った。

「……ありがたい。じいさまの墓前にそなえます」

「すぐ召し上がってください。血肉になってもらうのが生産者の願いです」

 にこりともせずにトマト農家の誇りを口にした彼女を、偽物と疑う者はもういなかった。

 解散してカエルの駆除作業に戻った若者たちは、がぜんやる気を取り戻して事に当たり始めた。

「へへ……。俺、今夜はプリンセス・エリザを生で食っちまうんだ」

「なんだと!? 馬鹿言え、エリザは俺のもんだ!」

「お前、エリザの柔らかいとこ知らねぇくせに」

 この暑いのに疲れも知らずに働く兼業兵士たちを、ミカエルは若いなと目を細めて見守っていた。

「どうされました?」

 トマトの引継ぎを終えてミカエルの隣に戻ってきたエリザは、首を傾げて上司に問いかける。

「大したことじゃない。トマトの名称をどう変えようか考えていたところだ」

「は……。トマトは美味しければ名称はいかなるものでもよろしいかと」

 真面目に応じてから、エリザはふと気になっていたことをたずねた。

「それより、王子の名乗りをなさらなくてよろしかったのでしょうか」

 兼業兵士たちはミカエル王子を「たぶん偉い人」と認識しているだけではないか。エリザの懸念は当たっていたが、それはミカエルも承知でうなずいた。

「君が結婚という名前を恐れているなら、他の方法があるのではないかとも思っていた」

 とっさにエリザの瞳が揺れたのを見て取って、ミカエルは少し考えたようだった。

「……行こう。君はまだ実際にお化けガエルを見たことはないと言っていたな」

 先に歩き出したミカエルにエリザは慌ててうなずいて、後に続く。

 カエル事変で問題になっているお化けガエルは、一時に大量に発生して畑に襲来し、軍隊のように整然とどこかに去っていくのだという。今日兼業兵士たちが従事しているのはお化けガエルが産みつけていった卵を取り除く作業で、見たところ畑にお化けガエルの姿はなかった。

「お化けガエルには女王蜂ならぬ女王ガエルがいるようなのです。それを駆除しない限りは、カエル事変は終息しないでしょう」

 エリザはこの夏、仕官たちと事細かに検討を重ねて、この辺りに問題の根源である女王ガエルが生息しているという事実までは突き止めた。ただお化けガエルは襲来から撤収までの時間が非常に短く、カエルの捕獲に慣れている兼業兵士たちを投入しても、未だ女王ガエルの駆除には至っていなかった。

「女王ガエルをおびき寄せる方法さえあれば……」

 エリザはミカエルの背中に言いかけて、はっと息を呑んだ。

 振り向いたあぜ道の陰、何かがこちらを見ていた。犬ほどの大きさがあるのに、巧みに水路の音を利用して足音を隠して、こちらに近づいている。

 エリザはまるでへびに睨まれたカエルのように動けなかった。「それ」には知性があって、エリザの怯えを舌なめずりして食べている気がした。

 引きずるような身じろぎは一瞬で、黒い影がエリザの視界を覆った。

「王子、危ない!」

 エリザは王子を突き飛ばしてその場に立ちすくむ。

 襲来したものの姿を目で捉える前に、意識を失っていた。

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