第34話 狂気と空回り
アルフレッドの制止を振り切って、カミーユの元に辿り着くと、
「……、…………。……!…………、………………!!」
カミーユは両手で頭を抱え込み、ボロボロと涙を流しながら、何かを呟いていた。
だが、カミーユの声が小さ過ぎて、何を呟いているのか聞き取れない。
……何を言っているの?
カミーユが何を呟いているのかを知りたかったルナリアは、何も考えずにカミーユの口元に耳を近付けた。
「ルナリア!」
何故か酷く慌てた様子のキースがルナリアの肩を掴んだ時には――遅かった。
「父さんは僕が嫌いなんだ、だから、ひどいことをするんだ…………やめて、やめて下さい……!言うこと聞くから……何でも聞くから!……あの部屋に入れないで……お願いだ、お願いだから!……分かってる、もう分かったから……!そんなこと聞きたくない……!」
……え?
ギクリと身体を強張らせたルナリアの耳には、悲鳴交じりのカミーユの呟き声が既に聞こえてしまっていた――。
「怖い、助けて……母さん!……そうか、僕が悪い子だから閉じ込めるんだね……開けて!……出して!」
早口で何度も何度も繰り返される絶望の言葉に、ゾクリと全身が粟立つ。
……こんな、こと……。
常軌を逸した目の前の光景は、ルナリアの心を大きく掻き乱し、酷く動揺させた。
涙が溢れる赤みがかった瞳は極限まで開かれ、ただ一点を見つめている。
あの目をこちらに向けられたら……?
想像するだけで全身が震えてしまいそうだった。
耳も目も塞いで何も見たくないのに、身体が思うように動かない。
「……だから言っただろ?情緒が不安定だって」
キースは苦笑いを浮かべた。
「お、にい……さま」
カミーユの様子は、ルナリアが予想していた『情緒が不安定』のレベルを遙かに超えていた。
――狂気の沙汰としか思えない。
「もう、大丈夫だから。お前は向こうで休んでいろ」
ルナリアの頭をポンポンと優しく叩いたキースは、カミーユの顔を下から覗き込むようにした。
「おーい。カミーユ。無事かー?ちゃんと見えてるかー?」
ヒラヒラとカミーユの目の前で手を振る。
ルナリアは目が合うのを想像しただけで、震えそうになるほどに怖いと思ったのに、キースは普通にカミーユと目を合わせて、涙を拭いてあげている。
……私は……。
「ルーナ、大丈夫かい?」
ルナリアの背後に立ったアルフレッドが、ふわりとルナリアを包み込むように抱き締めてきた。
「……アルフレッド様」
ルナリアはアルフレッドを見上げて、前に回されている腕の袖口部分をギュッと握り締めた。
こんな風にアルフレッドに甘えるのはどうかと思ったが、心細すぎて誰かに縋らないと――――泣いてしまいそうだった。
「私の言うことを聞かないからだよ」
アルフレッドは困ったような顔で笑った。
「……申し訳ありません」
ルナリアは俯いて唇を噛み締めた。
……こんなはずじゃなかった。
本当は、カミーユを思い切り引っぱたいてやろうと思っていた。
『いつ現れるかも分からないヒロインを待っていないで、洗脳くらい自分でどうにかしなさいよ!』――とか。『あなたならできるはずでしょう!?』――とか。
説教をしてやるつもりだった。
ルナリアは知らなかった。
カミーユの受けていた洗脳がどんなに辛く苦しいものなのか……。
何にも知らないくせに、あわよくば洗脳が解けるかもしれない――なんて夢を見た。
現実は全く違うというのに…………。
ルナリアは自己嫌悪から涙が溢れそうになった。
泣く資格なんてルナリアにはないというのに……。
そっと鼻を啜ると、アルフレッドがボソリと呟いた。
「……許さないよ」
「え?」
「『許さないよ』って言ったんだ。だから君は黙って私に運ばれるんだ。分かったかい?」
ルナリアが驚きの声を上げるよりも先に、アルフレッドはルナリアを抱き上げた。
「アルフレッド様……!?」
「……私は、『君は黙って私に運ばれるんだ』って言わなかったかい?」
アルフレッドにジト目を向けられたルナリアは、シュンと眉を寄せて素直に頷いた。
「素直でよろしい」
アルフレッドはそう言うと、ルナリアを抱いて歩き出した。
――何度経験しても慣れることはない。
いや、きっとルナリアが羽のように軽くならない限り慣れることはないだろう。
相当重いはずなのに……アルフレッドはルナリアの体重をものともせずに、颯爽と歩いていく。
ルナリアはアルフレッドの胸元にコテンと頭を預けた。
――アルフレッドの優しい声と暖かい温もり。そして、嗅ぎ慣れたフレグランスの匂いが、強張ったルナリアの心と身体を少しずつ解してくれる。
そんなアルフレッドが頼もしくて…………辛い。
****
「怪我をしているのに、どうしてこんな無茶をしたんだい?」
先ほどまで座っていたシェーズロングソファーに下ろされたルナリアはアルフレッドに、怪我の具合を確かめられていた。
「それは……」
ルナリアは言葉に詰った。
洗脳されているカミーユが、キースに辛い思いをさせていることが許せなくて、引っぱたいて目を覚まさせようとしたけれど、怖くて何もできなかっただけでなく、自分の無知と浅はかさに気付いて自己嫌悪で泣きそうになった挙句に、こうしてアルフレッドに面倒をかけることになりました。
――なんて、言えません。
「言えないのかい?」
「はい……」
「ふーん」
アルフレッドはチラリとルナリアを見てきたが、ルナリアはアルフレッドを見れなかった。
「ん。しっかり固定してあったから、思ってたよりも大丈夫そうだよ」
ルナリアの足首から視線を外したアルフレッドは、瞳を細めながら頷いた。
「次はないからね?」
こんな無茶は二度とするな――と、笑っていない瞳で釘を刺されたルナリアは、黙ったまま何度も大きく頷いた。
アルフレッドの手が器用に、ルナリアの足首へクルクルと包帯を巻いていく。
「……怖くなったんじゃないのかい?」
その様子をジッと見つめているルナリアに、アルフレッドはふと真面目な顔で問い掛けた。
「……それは何に対してのことでしょうか?」
ルナリアは首を傾げた後に、パチパチと瞳を瞬かせた。
――『怖くなった』ではなく、『怖い思い』ならしたばかりだ。
ルナリアにとって、カミーユは地雷そのものだった。
……もう二度と進んで近付きたくはない。
カミーユを救う役目は、シナリオ通りヒロインにお任せします。
「ルナリアの言葉を借りるなら、『腹黒狸親父共』かな」
……なるほど。
ルナリアは内心で大きく頷いた。
アルフレッドは、カミーユをあんな風に洗脳している神殿長達をルナリアが怖がっていると思ったようだ。
残念ながら、ルナリアが怖いのは『腹黒狸親父共』ではない。
「いいえ。全然ですわ。寧ろ、やる気が増しましたわ」
ルナリアは心配そうな表情のアルフレッドに向かって、ニコリと微笑んだ。
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