第31話 待っていたのは追求ではなく…

 何も知らないアルフレッドの前で、キースと散々意味深なやり取りをしてしまったルナリアは、とても緊張していた。


 ――キースが部屋からいなくなった後。

 アルフレッドは、シェーズロングソファーに座るルナリアの腰の辺りのすぐ横に顔を埋めた。


 ルナリアからは、後頭部しか見えない状態なので、アルフレッドが今、どんな表情をしているのか分からない。

 先ほどまでひしひしと感じていた冷たい雰囲気は感じないが、キースとのやり取りを問い詰められるであろう状況には変わらないのだ。


 緊張して落ち着かなかったせいか、気付けばルナリアの指はアルフレッドの髪を梳いていた。無意識の内に癒やしを求めていたらしい。

 やらかしたと思ったが、アルフレッドが嫌がらないのを良いことに、黙って触り続けている。


 絹糸のようなサラリとした触り心地の良い髪を何度も梳いていると、緊張が解れていくような気がした。何度触っても飽きることのない手触りは癖になる。


 くっ。羨ましい……。

 黒く綺麗な髪をしているルナリアだが、手入れを怠るとすぐに痛んでしまうという欠点がある。

 シェリーが一生懸命に手入れしてくれるので、ずっと綺麗でいられるのだ。


 恐らく最低限の手入れしかしていないだろうに、ここまで極上の髪質を保持できるアルフレッドが羨ましくて仕方がない。


 時折、頭を撫でながら、アルフレッドの髪の毛を思う存分に堪能していると……

「……ルーナは、私の髪が好きだよね」

 うつ伏せになっていたアルフレッドが顔を横を向き、上目遣いにルナリアを見た。


 アルフレッドと目が合ったルナリアは、思わず身体を強張らせた。

 今までずっと黙っていたアルフレッドが、口を開いたということは――遂に恐れていた瞬間がやって来たということだろう。

 何を聞かれるのかと身構えながら、アルフレッドの言葉を待つ。


 ――すると、ルナリアを見ていた空色の瞳がふと柔らかくなった。


「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」

 クスクスと笑いながら顔を上げたアルフレッドは、ルナリアから距離を取るように、ゆったりと足を組んで椅子に座った。


「私は別に鈍感じゃないから、ルーナが何かをかかえていることに気付いている。……それが私に言いにくいことだってことも」


 ――ルナリアも全てにおいて鈍感なわけではないので、アルフレッドの行動の意味をすぐに理解した。


 アルフレッドがシェーズロングソファに座らずに、足を組んで椅子に座っているのも、両手の指を組んで自らの膝の上に乗せているのも……アルフレッドからは、ルナリアに危害を加えないという意思表示であるのだ。距離を取ったのは、ルナリアの警戒を解くためである。

 そうした姿勢を見せた上で、優しい声を掛けてくれているのだ。


「言いにくいことを無理に聞くつもりはないけど……私よりもルーナのことを知っている男がいるのは我慢ならないんだ。それが相手が兄妹とかは関係ない。ルーナには余裕のない格好悪いところばかり見せたね」

 アルフレッドは苦笑いを浮かべた。


「……そんなことは、ありませんわ」

 ルナリアはブンブンと首を横に大きく振った。


 キースと言い合いをしているアルフレッドには驚いたし、困ったのも確かだが……嫌だとも格好悪いとも思わなかった。


 本当は色々と聞きたいだろうに、全てを飲み込んでルナリアの意思を尊重してくれるところは……


「……嫌いじゃありませんもの」

 ルナリアは眉を下げて笑った。


『好きだ』とは絶対に言えない、精一杯のルナリアの言葉だった。


 アルフレッドは、一瞬だけ驚いたように瞳を見開いた後に、視線を逸した。


「……そうか」

 そう呟いたアルフレッドが、ルナリアの言葉をどんな風に解釈したのかは分からない。


 ――ルナリアが口にできる精一杯の言葉。


 本当は隠し事なんてしたくない。

 だが、『前世の記憶がある』と説明してみたところで、誰が信じてくれるだろうか?

 キースにだって、心の底から理解される保証もないのに、アルフレッドなんて夢のまた夢だ。


 乙女ゲームの世界においての攻略対象者は、ヒロインを愛するためだけに存在しており、略対象者が悪役令嬢を愛するルートはない。

 、悪役令嬢は悪役でしかない。

 ヒロインが幸せになるための当馬として存在しているのだ。……悪役令嬢たるルナリアが、乙女ゲームの例外になるはずがない。


 ルナリアがこんなことを思うのは、アルフレッドに絆されかけているのが原因だ。

 強制力だろうが、何だろうが……大好きなから、優しい声や甘い顔を向けられるだけでなく、『可愛い』だの『愛しい』だの言われ続けたら、心が動かないわけがない。


 ――ルナリアは、アルフレッドに拒絶されるのが怖かった。


「ルーナ」

 ルナリアを呼ぶ声と共に、シェーズロングソファーのスプリングが微かに軋んだ。


 考え事をするのに、うつ向けていた顔を上げると、すぐ目の前にアルフレッドの綺麗な顔があった。


 先ほどまでの距離が嘘のように、アルフレッドはルナリアにピッタリと寄り添うようにして、腰を下ろしている。


「……!?」

 驚き過ぎてピシリと石のように固まってしまったルナリアの手を握ったアルフレッドは、ルナリアの額にチュッと唇を落とした。


「先ずは、一つ目」

 細められた空色の瞳には、悪戯めいた光が混じっている。


「一つ目!?……『一つ目』って何ですの!?」

 顔を真っ赤に染めたルナリアは、額を押さえながら叫んだ。


 しかも、ということは――まだ続くということだ。


 慌てふためくルナリアを他所に、アルフレッドはルナリアを思い切り抱き締めた。


「これで二つ目だね。ええと、次は……」

 アルフレッドは、リナリアを覗き込むようにしながら、頭を撫でた。


「これが三つ目」


 ――ここまでされれば、流石のルナリアでも気付く。


 アルフレッドはキースがルナリアにしたことを全て真似するつもりなのだ。


 どうしてかと問えば……


「そんなの消毒に決まっているだろう?兄とはいえ、気安く触らせたルーナが悪い」

 アルフレッドは悪びれもせずにしれっと答えた。


「ルーナは私が嫉妬しているのを見ても幻滅しないのだろう?だったら、遠慮をする必要はないよね?」

 ルナリアの顎に指を添えて持ち上げると、満面の笑みを浮かべながら首を傾げた。


 ……ルナリアはそこまで言ったつもりはない。

 ただ、『余裕のない格好悪いところも――

「嫌いじゃないんだろう?」

 アルフレッドは、ルナリアの思考を読んだかのように絶妙やタイミングで、耳元でそう囁いた。


「……っ!」

 甘く蕩けるような声音に、全身に痺れが走り、腰が砕けそうになる。

 アルフレッドに縋り付くようにして掴まっていなければ、倒れ込んでしまいそうだった。


 ……何なのこれは……。

 アルフレッドのペースに心が持っていかれそうになる。


「ふふっ。これで四つ目だね。五つ目――キースに抱き上げられていたけど、それは怪我が治ってからにしようか」

 アルフレッドの視線がチラリとルナリアの足首に向けられた。


 視線を向けられただけなのに、ルナリアの身体がビクリと跳ねる。

 身を捩ってアルフレッドの腕の中から逃れようとするが、いくらぽっちゃりしていて、普通の令嬢よりも力のあるルナリアでも力強い腕を押し退けることは無理だった。


「六つ目……ルーナは、キースの胸元をまさぐったりもしていたよね。私という婚約者がいるのに、いけない子だね……」

 ルナリアを覗き込む瞳にドス黒い圧が滲んで見えた。


「そ、それは誤解ですわ!」

「……誤解?」

「そ、そう。誤解ですので、落ち着いて下さいませ!」

 ルナリアはただ単にキースを心配しただけなのだ。

 ぽっちゃりのルナリアを抱き上げたキースの身体を。


「兄の筋肉を確かめただけですもの!」

 魔術使いと言えばひ弱なイメージしかなかったのだ。結果的にはしっかりと筋肉が付いていて問題はなかったのだが……って、あら?


 ルナリアが自らの失言に気付いた頃には、時すでに遅し……。


「へー……。ルーナがそんなに筋肉に興味があるなんて知らなかったな」

 アルフレッドは冷ややかな空気を纏いながら、微笑んでいた。


「そんなに好きなら私のを触れば良いよ。ルーナならいつでも触ってくれて構わないから」

 そう言うと、アルフレッドはルナリアの手を自らの胸元に押し当てた。


「ちょ……、アルフレッド様!?」

「服越しでなく、直接の方が良い?」


 ちょ、直接!?

 そんなことをしたら恥ずかしすぎて死んでしまいそうだ。


 それでなくとも、アルフレッドは怒っているせいか、こうして触れているだけで心音が伝わってきているのに、直に触れるなんてことになったら……。


 顔は暑いし、恥ずかしいし、頭の中はパニックになっていて、どうして良いか分からないこんな時にも、気を失えない自分が恨めしい……。


 アルフレッドはキレているのか、なんと首元のタイを緩めると、シャツのボタンを外し始めた。


「もう二度と兄には触りませんから、許して下さい!」

「三十分経ったぞ!」

 きつく目を瞑ってルナリアが叫んだのと、キースの声がしたのは同時のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る