閑話〜妹を溺愛する理由

【キース・オルステッド】は、七歳の時に父親に付いて行った領地の視察先で、魔術を初めて発動させた。


 父が領民達と話している間、暇になってしまったキースは崖の下に綺麗な花が咲いていることに気が付いた。

『母様と妹のお土産にしよう』

 そう決めたキースは、父に内緒で花に向かって手を伸ばした。

 手を伸ばせば、届きそうな距離だと思ったのだ。


『あと少し、もう少し…………あっ!』

 身を乗り出したキースは、体を支えていたはずの手を滑らせて、崖の上から転落してしまう。

『キース!』

 大人達が気付いた時には、キースの姿はそこには無く、キースの父親以外の誰もが息を飲んで恐る恐る崖の下を見た。

 ……血だらけで横たわる子供の姿を想像して。


 しかし、キースは大人たちの想像を良い意味で裏切った。

 ――崖の下の地面ギリギリの所でのだ。


 命の危険に瀕して、キースの魔術が発動したのだった。


 目撃したのがキースの父だけならどうにか隠し通せたが、目撃者が多すぎた。

 キースは、家族の元から引き離され、その身柄を神殿で保護されることに決まった。


 この世界で魔術使いはとても稀有な存在で、人身売買の組織や争いの道具にしようとする輩などを始めとして、強大な力を私利私欲のために使おうとする奴等から守るため――――と、表向きはされている。


 神殿は魔術使いを自らの懐内に取り込むことで、王族と同等の権力と発言力を手に入れた。

 その気になれば『いつでも国を滅ぼせる』という最強のカードである。


 神殿内には、敬虔な信徒達が数多くいるとされているが、心から神を敬う信徒はごく僅かだ。

 私利私欲に溺れている彼等は、魔術使いを利用することしか考えていなかったのだ……。


 神殿は、保護されたばかりの魔術使いにな教育を施す。

 特に、キースのような家族の元から離されてきた者や、今まで危険な目に合うことなく生きてきた者にはに。


 ――清潔な真っ白い部屋の中に閉じ込めて、毎日、毎日、教会の教えを説く。

 神殿の外の世界がいかに危険な場所であるかを。

 神殿に守られたからこそ危険な目に合わなくて済んでいるかを。

 実際に危険な目に合った者達の悲惨な死や体験を語られることもあった。


 神殿以外は、例え家族であっても信用してはならないと、神殿以外に魔術使いに居場所はないと――繰り返し、繰り返し何度も説いていく。


 反対に、危ない目に合ったところを保護された魔術使いには教育をせずに、ただただ優しく接する。それだけで危ない目に合った魔術使いは、自分達に優しくしてくれる神殿に、忠誠を誓うようになる。


 ……つまりは、どちらとも洗脳である。


 教育が終了するまでは、死なないくらいに最低限の食物しか与えてもらえず、反抗的な態度をすればその僅かな食事さえも抜かれる。


 暴力を振るわれることはなかったが、代わりに昼夜を問わずに繰り返しされる教育によって、睡眠時間が削られた。


 少ない食事が体力を、睡眠時間が思考力を奪っていく。意識は朦朧とし、何も考えることができなくなったら――だ。


 部屋から解放し、『頑張りましたね』と彼等を思い切り抱きしめてあげるだけで良い。

 それだけで、神殿を決して裏切ることのない魔術使いが完成する。


 ――キースは母親と同じ年頃の女性信徒に抱き締められていた。


 がされている中、キースの頭の中には不思議な映像が流れていた。


『白いローブ姿の男が墓標を見下ろしている』という、不思議な映像だ。


 ローブで隠れていて男の表情が見えていないのに、何故か男の感情だけがどんどん流れ込んでくる。

 その過程で、墓標が男の妹の物だと知った。


 実の妹の墓標を見つめているというのに、男の中に渦巻く感情は、悲しみなんかではなかった。


 一言で表すのであれば――『失望』だ。


 男の妹は、醜い嫉妬心から負の感情に飲み込まれ、取り返しのつかない事態を招こうとした。

 そのために、殺された。……自業自得である。


 幼い頃に家族から引き離された自分とは違って、家族の元で不幸も知らずに、ぬくぬくと生きていたはずの妹。

 男に依存する人生しか歩めなかった妹が、愚かに思えて仕方がなかったのだ。


 ――同時に、愚かな妹を諫めることすらできない状況に置かれて自分にも、今まで信じて疑っていなかった神殿にも反吐が出そうだった。


 全てが分かった時には、全てが終わっていた。

 取り返しのつかない状況だった……。


 ギリっと唇を強く嚙み締めた男は、踵を返して墓標を後にした。


 墓標に刻まれた言葉は、『L/O〜君を忘れない』。


 白いローブ姿の男の妹の名前は…………

】だった。



 ――キースはそこでハッと覚醒した。

 心臓が早鐘を打っているようにバクバクと大きく鼓動していた。

 今まで朦朧としていたはずの意識が、何故かはっきりとしている。


 ……今のは夢?

 まさか妹があんな目に合うはずが……。


「どうかしましたか?」

 ねっとりと絡み付くような声が不愉快だった。


 その声音の持ち主が、キース自身を抱き締めていると思うだけで、堪らなく気持ちが悪い。

 突き飛ばしてしまいたい衝動に駆られるのを……キースは必死で堪えた。


 ……ここで抵抗したら、また教育のやり直しになる。


 キースには、先ほどに見た映像が、どうしても夢には思えなかった。

 神の悪戯か何かは分からないが、あの白いローブの男は自分であると、キースは何故か確信していたのだ。


 あれが未来ならば、キースの関われないところで妹のルナリアは死ぬことになる。

 ……キースが神殿に保護される時に、誰よりも泣いて別れを惜しんでくれた可愛い妹が、だ。


 洗脳されて神殿に良いように操られるつもりもなければ、妹をみすみす殺される状況にもしない。


 今のキースにできることは、洗脳されている魔術使いを演じること。

 洗脳されたフリをして神殿内を……探る。


 洗脳されているていを装うのは簡単だった。

 周りにいる誰かを真似れば良かったから。

 自分と家族を守るのだと考えれば出来ないことはなかった。

 ……いつかは心を囚われて仲間も開放してやりたい。


 そう思いながら必死に生きている時に、たまたま視察に現れたアリシテーニア王国の第一王子のアルフレッドに出会ったのだ。



 ****


 ――正直に言えば、協力関係になったとはいえ、キースは未だにアルフレッドのことを警戒している。


 何故なら、アルフレッドはルナリアを捨てて、違う女を選ぶ未来を、キースは白ローブの男と一緒にからだ。


 教育が済んだ魔術師は、神殿の信頼を得られると外に出られるようになる。

 キースは神殿の信頼を得るために、気の進まないことも洗脳されているフリをして引き受けてきた。


 ……全ての証拠は残してある。

 万が一にキースの計画が失敗しても、一人では消されない。共倒れになってでも…………潰す。



 …………ルナリア。

 もう少しで君に会えるよ。


 キースは、魔術で作り出した鏡の中に映る妹に向かって、そっと手を伸ばした。


 これは【遠見】という――見たいと思った光景が映し出すことのできる、キース最大の魔術の内の一つである。

 勿論、神殿には秘密だ。

 神殿は、キースの使用できる魔術を、物体を浮遊させる術と、移動させる術だけだと思っている。


 遠見の術を使用して、キースはずっとルナリアを見守ってきた。

 ルナリアが誘拐されそうになった時は、その場にいれない自分を呪いたくなったが、どうにか堪えた。


 ……全てはあの未来を起こさないためにあるから。


 キースが見た未来のルナリアと、見ているルナリアは少し違う。

 キースがこうして影で動いていることが、何らかの影響を与えているのか……妹はふくよかな姿になった。この国では忌み嫌われるという、ぽちゃっとした体型だ。


 ……だが、忌み嫌われるほどに醜いか?

 骨と皮しかなく、見分けがつかない者よりも、今のルナリアの方が百倍も愛らしいじゃないか。


 …………ずっと見てきたキースだから分かる。

 流石に理由まで分からないが、ルナリアが何かに抗おうとしていることを。

 もしかしたら、自分と同じように神の悪戯にあったのかもしれない。


 他人から嫌われるような姿に変えてまで、現状を変えようと頑張る妹には、とても好感が持てる。

 健気で可愛いじゃないか。


 ……あ。

 アルフレッドの野郎が気安く妹に触りやがってる。

 妹が優しいのを良いことに、膝枕までしだした。

 くっそ……。俺の妹なのに。


 今すぐにあの害虫を消してしまいたいが……時折見せる幸せそうなルナリアの顔を目にしてしまったら、何もできなくなる……。


 ……取り敢えず。

 妹に会えない今はひたすらに筋トレに励むだけだ。

 再会した時に、妹の一人や二人、軽々と抱き上げられなければ兄の名が廃るというものだから。



 ――運命に抗おうとしている妹は愚かではない。

 とても『誇らしい』存在だ。自慢の妹である。

 俺失望しながら墓標を見る未来は絶対に訪れない。


 もう一度、あの時の白いローブ姿の自分に会えたなら、そう伝えたい。

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