第19話 まだ嵐は終わらない④

「馬車の中で二人で抱き合って、一体何をしていたんだ、と聞いているんだが?」

 細められた空色の瞳からは、堪えきれないほどの怒りが滲み出ていた。


「兄様、これは違うんです!」

「何が違うと?しかも、私の質問の答えになっていない。疚しいことがないなら、さっさと答えられるはずだ。…………それに、いつまで抱き合っているつもりだ?」

 説明をしようとするノエルをジロリとアルフレッドが睨み付ける。


「これは事故なんです!」

 ルナリアから離れたノエルは立ち上がり、馬車から降りると、縋り付くようにアルフレッドの上着の裾を掴んだ。


「……事故?」

 顔を顰めたアルフレッドの眉間にシワが寄る。


 アルフレッドの上着を掴んでいるノエルの手首を握ると、ズイッとノエルに顔を近付けた。


「大体、どうしてルナリアのために手配した馬車に乗っている?謹慎を命じたはずのお前の同行を許可した覚えはないのだが?」

「そ、それは……!」

「大方、昨日の暴言だけでは飽き足らず、ルナリアに直接物申すために馬車に忍び込んだのだろうが――」


 蛇に睨まれた蛙のように、アルフレッドに睨まれたノエルの身体はブルブルと小刻みに震え出した。

 蒼白の顔面には汗が浮かんで見える。


「よくも勝手に私のルナリアに触れてくれたな?」

 ノエルの耳元でそう囁いたアルフレッドは、上着を掴むノエルの手を振り払った。


「お前の言い訳は、後からじっくり聞いてやる」

 アルフレッドに言い捨てられたノエルは、呆然とした顔でその場に崩れるように座り込んでしまった。


 ――そして、馬車の床の上に座ったままのルナリアの方へ、ゆっくりとアルフレッドが近付いて来る。


「……ねえ、ルーナ。私は今、とても怒っているんだ」

 ルナリアの視線に合わせるように床に膝をついたアルフレッドは、ルナリアを見つめながら微笑んだ。


 口元は弧を描いているが、空色の瞳が氷のように冷たい。


 ――『痩せようと思っている!』と発言した時に、怒らせたのとは比較にならない。


 ルナリアは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。



「……アルフレッド様、先程のことは事故ですので、落ち着いて下さい」

「へえー、事故。君もノエルと同じこと言うんだね」

「ほ、本当のことですもの」

「そうか。ルーナは事故で、私以外の男と抱き合えるんだね」

「……え?」

「そんなに私に見せつけたかったの?」

「そんなことありませんわ!」


 会話が微妙に噛み合わない。

 ルナリアは状況の説明をしようとしているだけなのに、アルフレッドがおかしなことを言い出すのだ。


 ――――今のアルフレッドは嫉妬をするあまりに、周りが見えなくなっていた。

 ルナリアが言葉を重ねれば重ねるほど、ノエルを庇っているようにしか聞こえないのだ。


 愛しいルナリアが馬車という密室で、アルフレッドに見せつけているように、他の男と抱き合っていたなんて、はらわたが煮えくり返りそうだった。


「……チッ」

 ルナリアの柔らかい身体に触れて良いのも、彼女の柔らかさを知るのも、アルフレッドだけで良かったのに、ノエルも知ったのかと思うだけで不愉快な気分になる。


「来て」

「……ア、アルフレッド様!?」

 アルフレッドはグイッと乱暴にルナリアの腕を掴んだ。


「痛っ……!」

 急に腕を掴まれて立たされたルナリアはバランスを崩して、負傷した方の足に全体重を掛けて踏ん張ってしまった。


 ビリリと電気が走ったように、全身に鋭い痛みが駆け抜けた。熱を持った足首がギシリと軋む。


 苦痛に顔を歪ませ、上手く力の入らない足をもつらせるルナリアに構わずに、アルフレッドは腕をしっかりと掴んで馬車から引き摺り下ろす。



「ルナリア様!」

 シェリーが悲鳴を上げた。


「殿下!どうか、ご無体はお止めになって下さい!ルナリア様は足を――」

「邪魔をするな」

 追い縋ろうとするシェリーをアルフレッドが一瞥する。


「……っ!」

 鋭い殺気の籠もった眼差しに、シェリーは無意識に心臓を押さえた。


 王族の威圧は、心臓を止める威力があると言われている。シェリーは、それを身をもって実感した。

 アルフレッドが本気になればシェリーなんて簡単に殺せるだろう。



「殿下、どうか、どうか……!私の話を聞いて下さいませ!」

 そうだとしても、シェリーは自分のことよりも、痛みに耐えながらどうにか歩いているルナリアの方が心配だった。


「しつこい!」

 馬車から少し離れたところで、苛立ったアルフレッドが、追い縋るシェリーを振り払った。


 アルフレッドに振り払われたシェリーは、バランスを失って後ろに向かって倒れてしまう。


「シェリー!?」

 咄嗟にルナリアは手を伸ばしていた。

 ルナリアと倒れるシェリーの間には距離があって、どう考えても届かないことが分かってはいたが、それでも手を伸ばし続けることを止められなかった。


 全ての動きが、まるでスローモーションのようにゆっくりと見えているのに、ルナリアの手はシェリーを捕まえることができない。

 ルナリアの瞳には、痛みのせいではなく、悔しさからの涙が溜まる。


 シェリーの身体が地面に強かに打ち付けられたと思った瞬間――


「……っと、セーフ」

 シェリーと地面の間に滑り込んできたレオが、無事にシェリーを抱き止めてくれた。


 レオに抱き止められたシェリーは、ぱちぱちと瞳を瞬かせている。

 驚いているようだが、レオのお陰でシェリーに怪我はないようだ。


 ……良かった。本当に良かった。


 ルナリアは心から安堵したと同時に、どうしようもないくらいに腹が立った。


 ギュッと唇を噛み締めながら、リナリアは手を振り上げた。


 パンッ。

 乾いた音が響く。


「アルフレッド様。私のことはどうでも良いですが、私のために大切な人が傷付くことだけは許せませんわ!」

「ルナリア……?」

 アルフレッドは叩かれた頬を呆然とした表情で押さえている。


「何か色々と勘違いされているようですが、事故だったって言っているではないですか!他意はありません!」

 涙を溢れさせながら睨み付けると、ルナリアの腕を掴んでいたアルフレッドの手がするりと離れた。



「ルナリア様!」

 シェリーがルナリアの元に駈け寄って来た。


「大丈夫ですか!?」

 ルナリアの頬を包み込むようにしながら、ルナリアの顔を覗き込む。


「シェリーは大丈夫?」

「私はハローウェル様に助けていただいたので無傷です。……ああ、こんなに真っ青なお顔をされて……」

「ん。正直に言えば、もう一歩も歩きたくないわ」

 ルナリアは苦笑いを浮かべた。

 痛めた足は少しでも動かすと激痛が走る。


 シェリーはポケットから綺麗な刺繍のされたハンカチを取り出して、ルナリアの涙や汗を拭ってくれる。


 馬車の中でノエルに渡したのとは違うものだった。

 今思えば、あれはハンカチと言うよりも、ただの白い布……?


「……ルーナはどこか怪我をしているのか?」

 今まで呆然としていたアルフレッドが、ハッとした顔になる。


「ルナリア様は足首を痛めていらっしゃるのです!相当痛いはずですわ!それなのに、ろくな治療もしていない状態で、殿下が無理に歩かせたのですからね!?」

 シェリーは藍色の瞳でアルフレッドを睨み付けながら、相手が王子なのにも構わずに食って掛かる。


「馬車でよろけたノエル殿下を身を呈して庇った時に、お怪我をされたのです。……気付いていらっしゃらなかったようですが、私がずっとお二人と一緒におりました。殿下の嫉妬心をルナリア様にぶつけるのではなく、言うべきことがあるのではないですか?」

 容赦のないシェリーの言葉が続く。


「ルナリア様のことを本当に大切に思われるのであれば、もっとしっかりなさって下さい!」


「……弟を庇ってくれてありがとう。ルナリアもシェリーも本当にすまなかった」

 アルフレッドは真摯な顔で、ルナリア達に向かって深々と頭を下げた。


 外という人目のあるところで、アルフレッドに頭を下げさせた――と、ルナリアは焦ったが、既に人払いがされていたようで、レオしかいなかった。


「……良いでしょう。今回は許します。ですが、次はありませんのでしっかり覚えておいて下さい」

 偉そうにそう言ったのは、ルナリアではない。


「シェリー……」

「殿下。いつまでも怪我人のルナリア様をこんなところに立たせていないで、さっさと運んで下さいませんか?」

「……了解しました」


 ――激おこのシェリーは、アルフレッドよりも強かった。

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