第18話 まだ嵐は終わらない③

「大事なのは兄様だけで、僕とは話す価値がないって思ってるんでしょ?……昔からどんなに頑張っても、兄様には何一つ勝てたことがない。生まれた時から出来損ないの僕だから……」

 ノエルはルナリアをジッと見つめた後、口元を歪ませながら視線を逸した。


「まあ、ある意味一緒だよね?この国で嫌悪される外見のあんたと、さ」


 美月の知る『ノエル』という人物は、こんなキャラではなかった。

 人に弱みを見せるのが苦手で、いつも精一杯虚勢を取り繕っている。社交性でいえばアルフレッドなんかよりもずっと愛想が良くて王子らしい。

 気を許した相手に弱音を吐いても、気に入らないルナリアに弱音を吐くキャラではなかったはずなのだ。


「本当は嬉しかったんだ。綺麗でも可愛くもないあんたが婚約者だと知ってさ。生まれて初めて兄様に勝てることができたと思った。それなのに、あんたが婚約者で兄様はとても幸せそうなんだ。……意味が分からないよね……」

 アルフレッドと同じ空色の瞳からポロリと涙が溢れた。


「はっ。こんなところ、嫌いなあんたに見せたくなんかないのに……!」

 ポロポロと溢れる涙をノエルは必死で拭っているが、止まる気配がない。


 今まで激おこだったシェリーも、泣き出したノエルに堪らない気持ちになったのか、そっとハンカチを差し出した。

 ノエルは黙ってそれを受け取ると、泣き顔を隠すように、ハンカチを押し当てた。



 ……ノエルがおかしい。情緒が不安定過ぎる。

 普通ならばツンを発揮して、ネチネチとイビリ続ける状況のはずだ。

 それなのに、こんな風にルナリアの前で泣き出してしまうほどに…………追い詰められている?


『……全く、どこのどいつだ。ノエルにあんなことを吹き込んだ馬鹿は……』――ふと、アルフレッドの言葉が頭の中で蘇った。


「殿下。誰かに何か言われましたか?」

 ルナリアがそう尋ねると、ノエルの身体がビクリと小さく跳ねた。


 はい、確定。

 ハンカチで顔を隠したままカタカタと微かに震えるノエルを見れば分かる。


 根が素直なノエルに、戯言を吹き込んで不安定にさせている奴がいる。

 第二王子のノエルを自分の思い通りに操って、甘い蜜を吸おうとしているのか、それとも……ノエルを傀儡にして、王位の簒奪でも考えている?


 ……ああ、もう。

 私はただ穏便に生きていたいだけなのに……。

 知ってしまったら見過ごせないじゃないか。


 まだヒロインが登場していないのに、このまま負の感情に支配されて、ノエルが戒に取り込まれたら洒落にならないことになる。

 ノエルを操ろうとしている奴が、既に戒に取り込まれている可能性だってある。


「それは、誰ですか?」

「……っ」

 ルナリアの問い掛けに、ノエルはブンブンと首を横に振る。


「殿下を困らせているのは誰ですか?……そんなにも苦しめているのは何者なのですか?」

 すぐに答えが帰ってくるとは思っていないルナリアは、何度も同じ問い掛けを繰り返す。


 その度にノエルは『言わない』とばかりに首を横に振り続けた。


「殿下が答えられない理由は何ですか?弱みでも握られているのですか?それならお兄様に……」

「それは駄目だ!」

 今まで何も言わなかったノエルがカッと瞳を見開いた。


「兄様には言わない!絶対にだ!!」

 ノエルがそう力強く声を上げながら勢いよく立ち上がった。


 ――その瞬間。

 ガタンと、馬車が大きく揺れた。


「うわぁっ……!」

 立ち上がったノエルがバランスを失う。


 ぐらりと傾くノエルの身体に――頭で考えるより先にルナリアの身体が動いていた。


「ルナリア様!」

 近いはずのシェリーの悲鳴が、どこか遠くに聞こえていた。


「……っ!」

 体重は違うが、自分と同じくらいの身長のノエルを無事に受け止めたルナリアは、そのまま床に尻もちをついた。


「いたたた……っ」

「ルナリア様!大丈夫ですか!?」

 ルナリアの背後からシェリーの心配そうな声がした。


「私が付いていながら、ルナリア様を危険な目に合わせてしまうなんて……、大変申し訳ございませんでした」

 シェリーはそう言って頭を下げるが、ルナリアが尻もちをついただけですんだのは、シェリーのお陰だ。

 二人分……特にルナリアは重かっただろうに、ルナリア達が頭や背中を打ち付けたりしないように、咄嗟に庇ってくれていたのだから。


「シェリーが謝ることじゃないわ。ありがとう。私は大丈夫。シェリーにはいつも助けてもらってばかりね」

「ルナリア様……でも」

 笑い掛けてみるが、シェリーの顔色は冴えない。


 ……シェリーには気付かれているのだ。

 尻もちをつく時にルナリアが足首を捻ったことを。


 今すぐに介抱しようとするシェリーを無言で押し留めたルナリアは、視線を正面に向けた。


 私よりもノエルの方が先だ。

 さっきからずっと黙っているノエルの方が心配かもしれない。


「……大丈夫ですか?」

「…………」

 ルナリアが尋ねても返事がない。

 それどころか、何故か赤い顔をして視線を背けてしまう。


「殿下、どこかお怪我でも?」

 怪我をしないように庇ったつもりだが、ルナリアが負傷しているのだから、ノエルも完全に無事とは言い切れない。


 ルナリアが心配そうな顔で首を傾げると、遂にノエルが声を上げた。

「僕は大丈夫!怪我一つない!だから離れてくれない!?」


「……あっ」

 ここでルナリアは、ノエルを抱き締めたままだったことに気付いた。


 シェリーもシェリーとて、ルナリアのことが心配でノエルなんて眼中になかったのだ。


「た、大変失礼をいたしました!」

 ルナリアが急いでノエルを離そうとした時。



 ――ガチャリ。

 馬車のドアが開いた。


「…………何をしている?」

 突然開いたドアの外から、全身に鳥肌が立つような低い声が聞こえてきた。


 声の主に気付いたルナリアとノエルは、ビクリと身体を竦ませた。


「馬車の中で二人で抱き合って、一体何をしていたんだ、と聞いているんだが?」

 細められた空色の瞳からは、堪えきれないほどの怒りが滲み出ている。


 ……最悪のタイミングだ。

 いつの間にか王城に到着していたなんて……。


 仁王立ちのアルフレッドの後ろでは、レオが頭を抱えていた。

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