閑話~侍女シェリーの呟き③
「な、何だ!?てめえは!」
ボロボロのドレスを着た貴族の令嬢と思わしき女が裸足で迫って来る。しかも無表情で、だ。
ルナリアを抱え込んだ男は、そんな異様なシェリーの登場に顔を引きつらせた。
「こ、これ以上こっちに近付くな!コイツがどうなっても良いのかァ……!?」
男はナイフを構えてシェリーを牽制するが、シェリーは少しも怯まない。
怯む必要なんてなかった。男の動きはシェリーの兄達の足元にも及ばないほどに緩慢だった。
兄達よりも俊敏なシェリーには、男の繰り出すナイフを避けることなんて造作もない。……だからといって、油断をするつもりはない。
追い詰められた人間が秘められた力を発揮させることがあるのを、幼い頃から飽きるほどに父から聞かされていたからだ。
周囲への警戒を怠らないまま、シェリーはルナリアを羽交い締めにする男と対峙した。
「『にげて』って言ったのに……!」
ルナリアはシェリーを睨み付けた。
「……いえ。逃げません。……私はもう流されるままに生きたくはないのです」
シェリーは、こちらを睨みつけているルナリアを真っ直ぐに見つめ返しながら首を横に振った。
――『にげて』と唇を動かした時のルナリアの瞳の中に、シェリーは過去の自分の姿が見えた。
性別という自分ではどうしようもない理由で、騎士になりたいという望みは絶たれ、この国の理不尽な常識を押し付けられて生きてきたシェリーとは違い、夫婦仲の円満な公爵家の令嬢として生まれ、何不自由もなく愛されて育ったはずのルナリアの瞳の中には――『孤独』、『絶望』、『憎悪』という強い負の感情が浮かんでいた。
幼い子供が今の状況に恐怖し、泣き叫びながら助けを求めるのが普通なのに対して、ルナリアが泣き叫んだのは、侍女が傷付けられた時だけ。
男と交渉した時のルナリアは、まるで大人のように勇敢だった。
まだ子供のルナリア嬢が、どうしてそんなにも深い負の感情を知っているのか、シェリーには知る由もないが……他者とは相容れない孤独を感じ、理不尽な世界に絶望や憎悪を感じた者同士。
ルナリアを理解できるのは、シェリーだけだろうと感じた。
「私をあなた様の側に置いて下さい!」
何もかも諦めて流されようとさえしたシェリーとは違い、ルナリアは他者を案じて心を砕くことができる人だ。
力を持たないルナリアには、シェリーの力が必要なはずだ。
「お前らさっきから何を――」
「うるさい!黙ってて!」
シェリーは男を睨み付けた。
「あなたを助けさせて下さい!私にあなたを救う権利を下さい!」
私が一緒にいる限り、ルナリア様を二度とこんな怖い目には合わせない。
「……良いの?そんな我儘……」
「こんなのは我儘に入りません!お願いですから、ルナリア様の望みを口にして下さい!」
シェリーが懇願を続けると、ルナリアの瞳からスッと一筋の涙が流れた。
「……お願い。助けて。また死にたくない。痛いのは嫌なの……」
――また?
ルナリアの言葉に引っ掛かるものがあったが、シェリーにはそんなことはどうでも良かった。
「はい!絶対に私があなた様をお守りいたします!」
シェリーは騎士がそうするように、胸に拳を当てて大きく頷いた。
「お前らァ!いい加減にしろ!」
「……空気の読めない男は嫌い」
眉を潜め、怒鳴る男の目前にまで迫ったシェリーは、ピンと人差し指を跳ねさせて二つの小石を放った。
これは窓枠を飛び越えて外に着地した時に掴んでいた物だ。
一つ目は男の眉間に、二つ目は刃物を持つ方の男の腕に続け様に命中する。
ルナリアを抱え込んでいた男の腕が弛んだ隙に、そのまま間合いに入り込み、ドレスのスカートの中が見えるのも構わずに、男の頬を斜め上方向の角度で蹴り上げた。
「ぐあぁっ!!」
ルナリアと男の身長差があったからできた技あるが、シェリーの蹴りは的確に男の脳を揺さぶった。
「……ぐっ」
ぐらりと男の体が崩れた。
男の手から離れたルナリアの片手を取り、ダンスをするようにくるりと身体を回転をさせながら、男からも刃物からも距離を取らせる。
――万が一にも傷なんて付けさせてたまるものか。
「少し離れていて下さい!」
シェリーは背後に隠したルナリアにそう短く告げると、脳を揺さぶられ衝撃により、口元から泡を吹き、未だに焦点の定まらない合わない男に立ち向かって行く。
「ぐっ……ぐぅ……こ、このアマぁ!!」
寸前で意識の戻った男が自棄を起こしたように、刃物をぐるぐると大きく振り回す。
シェリーはそれを難なく避けると、男の手に手刀を打ち込んで刃物を落とした。
そのまま背後に回って男の腕を捻り上げながら地面に倒し、背中にシェリーの全体重を掛けて更に締め上げる。
近くに落ちていた刃物を拾い、男の顔の直ぐ横にドスッと思いきり突き刺すと、「ひぃっ!」という情けない声を上げ、男は意識を失った。
「ふう……」
護衛達に男を引き渡してから、シェリーは緊張を弛めて漸く一息を吐くと、
「ありがとう!」
ルナリアが背後からシェリーに抱き着いてきた。
「いえ、ルナリア様がご無事で良かったです」
シェリーが微笑むと、ルナリアは気まずそうに手をモシモジと動かし始めた。
「あなたのお名前を聞いても良いかしら?」
上目遣いにシェリーを見るルナリアの頬は真っ赤に染まっている。
「あ、申し訳ありません!私はアルダード男爵の娘のシェリー・アルダードと申します」
騎士がするようにルナリアの元で膝を着くと、ルナリアはパチパチと菫色の瞳を瞬かせた後に、
「ふふっ。シェリーは私の騎士様ね」
ルナリアはふわりと愛らしい笑みを浮かべた。
「女性は騎士になれないから、剣を授けることはできないけど……そうね。これを受け取って?」
ルナリアは侍女長が用意していた物をトレーごと受け取ると、シェリーに向かって差し出した。
「これは……?」
ルナリアが差し出して来たのは、黒のお仕着せと同じ黒色のパンプスだった。
「これは私の特別の証。専属侍女の服なのよ。襟のボタンが私の瞳と同じ菫色なの」
――専属侍女の服。
侍女長も黒を纏っているが、襟のボタンの色が違う。緑色なのは公爵の瞳の色なのだろう。
黙ったままトレーの中を見つめるシェリーの反応が思ったものと違っていたのか、ルナリアが慌てだした。
「ええと……迷惑だった?……私の側に置いて欲しいって、絶対に守るって……言ってくれたじゃない。私の専属侍女は……嫌?」
菫色の瞳がじわりと潤む。
――私がルナリア様を泣かせ……!?
「い、いえ!ありがたく受け取ります!」
焦ったシェリーが、ガシッとトレーを掴むと、ルナリアはキョトンと瞳を丸くした。
「よろしくね。私のシェリー」
ルナリアはまた愛らしい微笑みを浮かべた。
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