閑話~侍女シェリーの呟き➁

 オルステッド公爵家にやって来たシェリーは、侍女長だという女性に客室に案内された。

 ここで公爵夫妻達を待つようだ。


「……っ!?」

 客室に入ったシェリーは、天井に取り付けられたシャンデリアの美しさに、一瞬にして目を奪われた。


 薄い緑色の陶器を主軸に、幾つもの赤い薔薇の花が咲き誇るような形をしたライト。そのライトに部分から垂れ下がっているのは……クリスタルとルビー?黄緑色の石はペリドット?


 シェリーは切れ長の瞳を大きく見開き、ポカンと口を開けたままシャンデリアに魅入っていた。


 邸の中に置かれた調度品の数々は、『流石は公爵家』と思うほどに洗練された一級品ばかりであったが、このシャンデリアはその中でも別格だった。


 ――天井に咲き誇る煌びやかな薔薇。

 神々しいまでの美しさに、シェリーは涙が出そうになる。

 こんなに心を揺さぶられたのはいつ振りだろうか……?

 今まで感覚がなかった指先に血が通ったような気がして、シェリーはギュッと強く両手を握り締めた。


「さあ、座ってお待ち下さい」

 背後から侍女長の声が聞こえてきた。


「……あっ」

 シェリーの頬がカアッと赤く染まる。


 美しいシャンデリアに目を奪われたために、客室の中にはシェリーだけでなく侍女長も居たことを今の今まですっかり忘れてしまっていたのだ。

 しかも、呆然と立ち尽くした状態で。


「申し訳ありません……!」

「ふふっ。大丈夫ですよ。ここに通された方は皆様、同じような反応をされますから」

 侍女長は瞳を柔らかく細めながら微笑んだ。


 ソファーに座ったシェリーは、熱を持った頬を両手で冷やすように押えながら、また天井を見上げた。


「こんなに綺麗なシャンデリアは初めて見ました……」

 ついつい魅入ってしまう。


「奥様が職人達に混じって一緒にデザインまでなさった一点ものですからね。どうぞ」

 侍女長はシェリーの前にティーカップを置いた。


 紅茶には詳しくないシェリーでも、その芳しい香りから特別な紅茶であることが分かる。


「……ありがとうございます。……え?」

 シェリーはティーカップに伸ばしかけた手を止めた。侍女長の言葉の中に信じられない言葉が混じっていたからだ。


「公爵夫人がデザインを……?公爵様ではなくて、ですか?」

「ええ。旦那様は奥様を影ながら見守っていらっしゃいました。一生懸命に頑張る奥様がとても可愛らしかったのは分かるのですが、旦那様の終始デレデレされている姿は見るのは堪えがたいものがありましたわ」


 オルステッド公爵が愛妻家だと噂で聞いたことがあるが、客間という大事な場所に飾るシャンデリアを妻に任せるほどだったとは。

 結果的に誰もが魅了されるような物に仕上がったが、妻にそれを許す男性は少ない。妻は余計なことを考えずに、夫に付き従っていれば良いのだと……。


 ティーカップを傾けながら、シェリーはチラリと侍女長を見た。


 この邸では自分の仕える主人に対し、不敬とも取れる発言をしても、咎められることないようだ。それどころか――許されている?

 侍女を奴隷のように扱う高位貴族もいるのに、ここで働く女性達は侍女長を筆頭に、皆生き生きしているように感じた。


 ……オルステッド公爵家でなら、何か変われるだろうか。


「あ、あの――」

 シェリーが侍女長に向かって口を開いた瞬間。


「きゃあああー!」

 窓の外から、けたたましい女性の叫び声が聞こえてきた。


「……今の声は、何!?」

 侍女長は不安そうに視線をさ迷わせる。


 カップを少々雑にテーブルに戻し、ソファーから立ち上がったシェリーは、侍女長より先にに気付いた。


「外です」

 カーテンの影に身を潜ませながら、侍女長に完結に伝える。


 瞳を細めて警戒するように窓の外を見ているシェリーの側に侍女長が近付いて来る。


「大きな声や物音を立てないで下さい」

 シェリーはシーッと口元に指を立て、もう片方の手で窓の外を指差した。


 シェリーの令嬢らしからぬ行動に困惑しつつ、シェリーの指先を辿るように窓の外を見た侍女長は、ヒュッと息を飲んだ。


「ル、ルナリアお嬢様……!?」

 侍女長の口から悲鳴めいた呟き声が漏れる。


 この状況で叫び声を上げなかった侍女長は、その地位を勤めるに値する人物なのだと、シェリーは感心したが、同時に侍女長のもたらした情報がシェリーの内心を動揺させた。


 窓の外――シェリー達の視線の先には、男に羽交い締めにされながら、胸元に刃物を突き付けられている少女の姿があった。


 ……あの少女がオルステッド公爵の娘のルナリア嬢、か。


 近くには地面に尻餅を付いている侍女がいた。

 先ほどの悲鳴を上げたのは恐らく彼女だろう。

 ルナリア嬢が上げたにしては少し低い声だったから。

 その侍女は恐怖のあまりに腰を抜かしてしまっているようだった。


「……あの男は、誰!?どういうことなの!?ど、どうしましよう……。ご、護衛は一体何をしているの!?」

 青ざめた侍女長は口元を両手で覆いながら、カタカタと身体を小刻みに震わせる。

 流石の侍女長もこの状況には軽いパニックを起こしかけている。


 シェリーは窓の外を睨み付けるようにしなから思考する。


 ――先ほどの叫び声は、どこまで届いているのだろうか。叫び声を聞きつけた護衛が駆け付けて来る様子はない。


 ルナリアが一生懸命に足を踏ん張って抵抗していることから、男がこの場から彼女を連れ去ろうとしているのが分かる。

 必死に抵抗しているが、少女と大人の男の力の差は明白だ。連れ去られてしまうのも時間の問題だろう。

 仲間と合流されたりでもしたら厄介だし、何よりも連れ去られてしまうのがまずい。

 身代金目的ならまだ良い方だが……少女達を売買するような最低な奴らも数多く存在する。


 ルナリア嬢ほどに容姿が整った少女ならば特に……。

 公爵家の力の及ばない国外に連れ出されてしまったら、助けることも出来ないのだ。


 ――シェリーが、すぐにあの場に飛び出して行かなかったのには、二つの理由がある。


 一つは、ナイフを持った男に対抗する武器を持っていないこと。

 二つは、剣を握らなくなってからのブランクがあること。仮に武器があったとしても自由に身体を動かせるか、シェリーは自分に自信がなかった。


 下手に動けば、更に状況を悪化しかねないのだ。


 シェリーはギリッと唇を噛み締めた。

 口の中に錆びた味が広がるが、そんなことはどうでも良かった。

 己の無力さに、ただただ涙が出そうになる。


 ――その時、状況が動いた。


「きゃああー!!」

 静寂を切り裂くように、子供の甲高い叫び声がした。


 腰を抜かしながらも主人を守るために、男の足元に縋り付くようにして掴んだ侍女の身体を男が足蹴にしたのだ。

 舌打ちしながら男が何度も侍女を蹴っている。


「止めて!酷いことしないで!」

 ルナリアは泣き叫びながら、侍女に向かって手を伸ばそうとするも、虚空を掻くだけで届かない。


「私が目的なら、早く連れて行きなさい!その人は関係ないでしょう!?」

 涙で濡れた瞳をぐいっと拭うと、自分を羽交い締めにしている男を振り仰ぎながら睨み付けた。


「あァ?……お、お前らが無駄に抵抗するからだろうが!」

 ルナリアの剣幕に押された男は、また舌打ちをすると、少女を片腕に抱え込むようにしながら踵を返した。


 男が踵を返した時に、シェリーはルナリアと目が合った。


 菫色の濡れた瞳を大きく開き、何度かパチパチと瞬かせたルナリアは、菫色の瞳を微かに細めながら小さな唇を動かした。


「…………『あなたも』?」

 シェリーは、読唇術を学んだこともある。


 読み違えでなければ、小さな唇が紡いだ言葉は『たすけて』という自身の救いを求める言葉ではなく――他者を案ずる言葉だった。


 シェリーに正しく伝わったのが分かったのか、ルナリアは、コクリと小さく頷いた。



 ――プツン。


 その瞬間に、シェリーは自分の中で何かが大きく弾けた音を聞いた。


 前屈みになって、着ていたドレスの裾を掴むと、一気に引き裂いた。


「え……ちょっと、あなた!?」

 急にドレスを破きだしたシェリーに、侍女長が困惑の声を上げる。


 シェリーはそれ構わずに、数か所ほど裾を破り終えると、バンと両手で勢い良く窓を開け放った。

 ヒールの付いた邪魔なパンプスを適当に放り投げたシェリーは、窓の縁に手と足を掛けると、ビリビリに破れたドレスの裾をなびかせながら、軽々と窓枠を飛び越えて外に躍り出る。


 危なげもなく地面に着地したシェリーは、視界に男の姿を捉えると、重心を低く走り出した。


 ――絶対に助ける。


 ごちゃごちゃと余計なことを考えていたはずのシェリーの頭の中は、『ルナリア嬢を助けたい』という思いしか残っていなかった。

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