閑話~侍女シェリーの呟き➀

 ルナリアお嬢様の婚約者であるアルフレッド殿下がお帰りになった後。

 珍しくルナリア様は、ぼんやりとしていらっしゃいました。


 ――無理もありません。

 今日のには、ルナリア様も驚いたでしょうから。


 ……まあ、私は気付いていましたけど。

 気付いていないのはルナリア様だけでしょうね。

 ルナリア様は良くも悪くも自己評価の低い方ですから。

 のご自分の姿が愛されるはずはないと思い込んでいらっしゃるのです。

 そんなはずなんてないのに……。


 心労を癒やして差し上げたくても、侍女の私ができることは少ないのです。

 できることと言ったら、こうしてルナリア様に気付かれないように、テーブルの上に色とりどりのお菓子をどんどん並べていくことだけ。


 オレンジ味のマドレーヌに、チョコ味のカヌレ、赤色や黄色、緑色のジャムの乗ったクッキー。三段のティースタンドには、スコーンやケーキ、口直しのためのキュウリのサンドイッチも用意してもらいました。


 テーブルの上の光景に気付かれたルナリアは、きっととても驚かれるはずです。

 菫色の瞳を大きく見開いて困惑の色を滲ませつつも、嬉しそうなお顔を見せて下さるはずなのです。


「シェリー……これは?」

 紅茶の準備を始めたところで、ルナリア様に呼び止められました。


 私の想像では、ルナリア様のお気に入りのティーカップに紅茶を注ぎ入れたところで、気付かれると思ったのですが……私の隠密行動もまだまだですわね。


「お疲れのようでしたから、気分転換をしていただこうと思いまして」

 ティーポットを片手に私は微笑んだ。


「……こんなに食べられないわよ?」

 ルナリア様は困惑しつつも、テーブルの上にところ狭しと並べられたお菓子達に、菫色の瞳をキラキラと輝かせながら釘付けになっています。


 意図した通りの反応をして下さるルナリア様に、思わず頬がだらしなく弛みそうになるのを堪えます。

 ……コホン。ルナリア様の嬉しそうなお顔を見るのが、私の生き甲斐であり幸せです。


「お好きな分だけ召し上がって下さい。残ったら使用人達で分けますから」

「そうなの?」

「はい。ご安心下さいませ」


 ふくよかであろうが、なかろうが、ルナリア様がこの量をお一人で食べ切れるとは思っていません。見た目のインパクトから癒そう作戦なのですもの。

 残った場合の話は侍女仲間と打ち合わせ済みなので、少しも無駄にはいたしません。


「ルナリア様のお好きなフォンダンショコラもご用意いたしておりますよ」

 パンパンと両手を打つと、タイミング良く別の侍女が現れました。


 彼女の持つお皿の上には、ルナリア様の大好きな熱々のフォンダンショコラが載っています。

 冷たいのも美味しいですが、中からトロリとしたチョコレートが流れ出てこそ、私の求める完璧なフォンダンショコラなのです。


「わー!美味しそうね」

 フォンダンショコラの載ったお皿を手に取ったルナリア様は、お顔の高さまで持ち上げると、瞳を閉じて匂いを嗅がれました。


「良い匂い……」

 うっとりと頬を弛ませるルナリア様の横顔は、年相応の令嬢の見せる可愛らしい表情そのもので、胸がじんわりと温かくなります。


「シェリー、いつもありがとう」

「いいえ。私はルナリア様にお仕えできてとても幸せなのですよ」

「ふふっ。私も側にいてくれるのがシェリーで嬉しいわ」


 ルナリア様は高位貴族の令嬢なのに、傲慢なところも気取ったところもない。

 使用人達にも分け隔てなく優しく接して下さるだけでなく、それどころか周りに気を使ってばかりいらっしゃるお方なのです。


 だからこそ私も大事にしたいと思います。

 ドロドロに甘やかしたいとも思うのです。


 ――死んだように生きていた私に、居場所を与えて下さった大切なお方だから。


 歴代の有能な騎士を輩出しているアルダード男爵家。

 騎士を輩出している家は数多くあるが、その中でもアルダード家は特に有名です。

『藍色の髪と瞳』という、この世界では稀有な色彩を持って生まれる上に、剣の才能に秀でた者が多い一族だからです。

 中でも特にその藍色が濃く現れた者は、強大なる力を宿しているとも伝えられてきました。


 私、シェリー・アルダードは、存命している一族の誰よりも濃い藍色を持って生まれてきたのです。


 一族の言い伝えの通り、幼い頃から桁外れの才能を発揮していた私は、騎士として働く二人の兄に力こそは少々劣るものの、それを上回るセンスと俊敏さを持っていました。

 私が男であったならば、国を支える騎士として、存分にその力を発揮したことでしょう。


 ――そう。

 私がです。


 この国ではどんなに優秀であろうが、女性は騎士にはなれない決まりがあります。

 それだけでなく、家を継ぐことさえもできない。

 現老王の決めた完全なる男性社会なのです……。

 女性は夫である男性を立て、夫の言うことは何でも素直に従わねばなりません。

 家を守りながら子供を育てるのが妻の役割で、政治に口を出すことは許されないのです。


 身の内に誰よりも強大な力を秘めていたとしても、血を紡ぐ為の道具おんなとして、私は自分よりも弱い相手と結婚しなければならない……。


 正義感溢れる父や兄達の背中を見て育ち、自分も騎士として同じ道を歩みたいと夢見た私には、それがとても屈辱的なことでした。


 誰かを守る力があるのに、女として生まれただけで、神から与えられた力を振るうこともできず、女騎士のいる他国に渡りたくとも、アルダードの血が濃い私には許されませんでした。

 強い力が他国に渡ると、国のパワーバランスを揺るがしてしまうからだそうです。


 ……では一体、私は何の為に生まれてきたのか。


 希望があるとすれば――老王の死でした。

 『老い先短い王が死したら、新しい時代がくるかもしれない。いつか私でも役に立つ日がくるかもしれない』

 ……そんな淡い希望を抱いているせいで、自ら命を経つこともできませんでした。

 生殺しの日々が、じわりじわりと私の心を蝕んでいく……。



 ――そんなある日。

 オルステッド公爵家から『娘の話し相手になって欲しい』という内容の手紙が何故か私宛に届きました。


 下位貴族の未婚令嬢を侍女として欲しがる高位貴族の家は多いのですが、どうして自分が選ばれたのか、私には分かりませんでした。

 貴族の令嬢が嗜むことは一通り身に付けさせられていましたが、刺繍やピアノより剣術の方が正直に言えば好きだった私です。

 天気の話はできますが、令嬢との会話が弾むとは到底思えませんでした。


 私が望まれた理由は分かりませんが、高位貴族からの申し出を無下に断ることはできません。

 かといって、私は普通の侍女にはなりたくありませんでした。

 ……私はまだ希望を捨て切れずにいたのです。


『一先ず話を聞いて、その上で穏便に断わろう』

 私はそう決めてオルステッド公爵家を訪ねることにしました。



 ――まさかそこで自分の人生を変える出会いを果たすことになるとは……この時の私は思いもしなかったのですけれど。

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