第2話 前世の記憶
※中盤以降に、血が出る、刺される、人が死ぬなどの凄惨なシーンがありますので、ご注意下さい。
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「んーー!今日も頑張った!私、偉い!!」
明日からは待ちに待った四連休だ。
田舎から上京し、憧れだったアパレルブランドに無事に就職することができたが、好きな接客業とはいえ、繁忙期に六連勤のフルタイムは流石にキツい。
今回は滅多に取れない四連休を条件に、六連勤を引き受けた。
従業員が足りず、ブラック企業並みに忙しくて休みが取れない時期もあるが、残業した分はきちんと対価として支払われる会社なので辞めたいと思ったことはない。
好きな仕事ができる満足感と仕事によって得られる達成感。
美月は、充実した毎日を送っていた。
充実していたのは仕事だけでなく、趣味の時間も存分に満喫していた。
大学時代の友達に勧められた【乙女ゲーム】にドはまりし、現実世界の恋愛そっちのけで乙女ゲームをやり込んだ。
縁があって付き合った相手が何人かいたが、乙女ゲーム達の攻略対象者達よりも良い人はおらず、誰とも長続きはしなかった。
それよりも趣味の時間が減るのが嫌で、誰かと付き合うのは止めた。
ドはまりしたのは乙女ゲームだけでなく、乙女ゲームの世界観を舞台にしたような恋愛小説にものめり込んだ。
特にヒロインのライバル的なポジションである『悪役令嬢』を主役にしたものが好きで、悪役令嬢と名前が付くものは何でも読み漁った。
この日もいつもの仕事帰りのように本屋に寄った美月は、悪役令嬢特集コーナーで新作を物色していた。
窪塚みー先生の新作!?
あやせK先生の続刊も出てる!
今日は徹夜で新作読み放題だー!ヒャッハー♪
「よっしゃー!」
予想以上の収穫にテンションが一気に跳ね上がる。
「……コホン」
思わず口から溢れた言葉を誤魔化すように、美月は真っ赤な顔で咳払いをする。
恐る恐る辺りを見渡してみたが、幸いなことに美月に注目している人はいなかった。
安堵した美月は、嬉々としながら気になった本を次々に積み重ね始める。
「フンフン~♪」
なんせ明日から夢の四連休だ。
本は読み放題だし、時間がなくてまだ手を出していなかったゲームもし放題である。
四日分の食料品を買い込んで、連休中はずっと部屋に引き籠もるつもりだ。
「あ、これ……」
手に取ったのは【愛の
「やっとコミカライズされたんだー」
懐かしさと嬉しさで自然と頬が弛む。
これは是が非でも買わなければファンが廃る!!
積み重ねた本の一番上に【愛の連鎖】を乗せた美月は、ウキウキとした気分でレジに向かった。
その時。
「きゃーーー!」
突如として店内にたたましい叫び声が響き渡った。
驚いて振り返った美月の目に、血に染まった腕を押さえながら、逃げるように走る女性の姿が飛び込んできた。
ナイフを持った男が、泣き叫ぶ女性の後を追い掛けている。
行き場を失い、壁際まで追い詰められた女性が涙でぐちゃぐちゃになった顔で男を振り返ると――男は笑いながら女性の背中に一気にナイフを突き立てた。
ザンという肉と骨を断つような鈍い音がした。
突き立てられたナイフが引き抜かれると、女性の身体はグラリと傾き、仰向けに床の上に倒れた。
ゴボッと泡のような血を口から吐き、白目を剥いた女性の背中から、大量の血が溢れ出し、あっという間に辺りが一面の血の海になった。
誰が見ても『もう助からない』と思うほどの出血量。
映画のワンシーンのような光景に、誰もが言葉を失い、ただ呆然と見ていた。
店内に流れるお店のBGMが、どこか他人事のように鳴っている。
錆びた鉄の匂いをドロリと濃くしたような独特な香りがツンと鼻をついた。
漸くここで、目の前で起こった光景が、夢なんかじゃなく現実のものであることを無慈悲にも突きつけられた。
ゴクリ。
美月はカラカラに渇いた喉を潤わせるように唾を飲み込んだが、喉の渇きは一向に治らない。代わりに吐き気が込み上げてくる。
「きゃーーーーー!!」
女性の悲鳴をきっかけに、今までその光景を呆然と見ていた人々が、蜘蛛の子を散らしたように一斉に逃げ出し始めた。
「ぎゃーー!!」
「逃げろーーーー!!」
「やばい、やばいって!!」
「だ、誰か!早く通報しろよ!」
「い、嫌ぁぁーー!!」
血塗れのナイフを持った男は、楽しそうに鼻歌を歌いながら、まるで指揮棒を振るかのように逃げ出す人々を背後から、正面からと、容赦なく次から次に切りつけていく。
むせ返るような血の匂い。
傷付いた人のうめき声や叫び声が店内に響き渡る。
ナイフを持った男は、徐々に美月のいる方向へ進んで来る。
早く逃げないと……!
頭ではそう思っているのに、目前に迫る死の恐怖にガクガクと身体が震えて足が動かない。
持っていた本がバサバサと大きな音を立てて床に落ちると、血の滴るナイフを手にした男は、舌舐めずりしながらニヤリと嗤った。
ゆらりゆらりと身体を左右に揺らしながら敢えてゆっくりと近付いてくる。
男は美月が逃げられない状態であることを分かっているようだった。
じわり、じわりと……獲物をいたぶる獣のように、ゆっくりと近付いてくる。
死への恐怖で顔を歪める美月に恍惚とした笑み見せつけながら。
腰を抜かしてその場に座り込んでしまった美月の目前にやって来た男は、
「つ・か・ま・え・たぁ~」
仄暗い瞳を細めながら、美月に視線を合わせるようにしゃがんで腰を落とした。
「……あ、……あっ……あ」
喉の奥が乾燥してヒリつき、叫び声すら上げられない。
両手を使って後ろに逃げようとするのに、震える腕には力が入らない。
涙がボロボロと次から次へと溢れ、男の姿を滲ませていく。
先ほど刺された女性の顔がふと頭に浮かんだ。
私もあんな風に殺される……!
「あーあ。こんなに涙を流しちゃってぇ~」
美月の目元を血塗れの男の手が優しく拭う。
ヌルッとした嫌な感触と鼻を突く鉄臭さに僅かに顔をしかめた美月は、今すぐに刺し殺されてもおかしくないはずの相手から与えられた行為に動揺した。
……助けて、くれる……の?
美月が抱いた僅かな希望は、無残にも直ぐに打ち砕かれる。
「うん。これで僕の顔がハッキリ見えるよねぇ?」
美月の肩を軽く押えながら視線を合わせた男は、嗤いながら鈍く光るナイフを振り上げた。
「それじゃあ~。はじめましてぇ? そして、さようならぁ♪」
ドスッ。
振り下ろされたナイフが、美月の心臓部分を深く抉った。
「か……はっ……」
今までに感じたことがないほどの痛みと熱さが美月を襲う。
痛い……熱い……痛い……痛い………………寒い。
ドクドクと熱い血がナイフの刺さる部分から溢れ出す。
血が溢れれば、溢れるほど、どんどん身体が冷たくなっていく。
「期待しちゃったでしょう?自分だけは見逃してくれるんじゃないか、って。そんなわけないのにねぇ~? 絶望から生まれたほんの僅かな希望……!それを挫くのって、すっごーく楽しいよねぇ~!?」
あはははと狂ったように大声で男が嗤う。
突き刺されたナイフが抜かれるのと同時に美月の身体は床に転がった。
美月の涙を拭ってくれたのは、優しさからなんかじゃなかった。
今から殺す相手の瞳にしっかりと自分の姿を刻み付ける為の残酷な行為でしかなかった。
男の仄暗い瞳には、恐怖で顔を引きつらせながらも、男の予想外の行動に希望を抱き、口元を少し弛ませた自分の姿が映っていた。
驚き、絶望する自分の姿まで……全ての表情がハッキリと映し出されていた。
……どうして、私がこんな目に遭わなくちゃならなかったの?
誰にも迷惑をかけずに、生きてきただけなのに。
悪いことなんてしたこともない。
お母さん……お父さん……最後に一目だけでも…………会いたかった。……ごめんね。
男の狂ったような嗤い声を聞きながら、美月は静かに瞳を閉じた。
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