解かれた鎖
「あまり長話をしているのも申し訳ない。私はそろそろ行くことにしよう」
花荘院が言った。その一言で役割を思い出したのか、同じように涙ぐんでいた警官達が一斉に背筋を伸ばした。腰紐を握り、花荘院を署内に連行しようとする。
ガマ警部は黙ってその光景を見つめていたが、不意に思い出したように花荘院を呼び止めた。
「……総十郎!」
花荘院が足を止めて振り返った。ガマ警部は再びポケットに手を突っ込み、少しだけ逡巡した様子を見せた後、口の片端を軽く持ち上げた。
「……俺の部下は、ああ見えて、なかなか優秀だろう?」
花荘院は珍しい花でも見るようにガマ警部の顔を見返した。だが、やがて自分もふっと表情を緩めると、小さく頷いて言った。
「ああ。今はまだ芽すら出ていないが、いずれ大輪の花を咲かせるだろう。開花を見られないのが残念だ」
「心配するな。俺がお前の代わりに見届けてやる。何しろ俺は、奴の成長を最も間近で見られる立場にいるからな」
「ふっ……羨ましい限りだな」
花荘院は口元を緩め、そのまま地面に視線を落とした。沈黙が辺りに漂う。だがその沈黙は、最初とは全く違った意味を伴って2人を包み込んでいた。
そこにあったのは、裏切りの代償としての確執でも、傷を隠すための皮肉の応酬でもない。警官と殺人犯という立場の違いを超えて、ほんの束の間蘇った、かつての絆の欠片だった。
花荘院は再びガマ警部に背を向けると、警官に囲まれて署内へと去って行った。ガマ警部は何も言わず、彼の姿が自動ドアの向こうに消えるまで、その背中を見送っていた。
「ガマさん……」
気がつくと木場は呟いていた。その声でようやく他に人間がいることに気づいたのか、ガマ警部がはっとして振り返った。木場の姿を認め、ばつが悪そうな表情になる。
「……何だ、いたのか、木場」
「ガマさん!」
木場は思わず駆け出していた。今度は茉奈香も制止しなかった。警部の眼前まで来たところで立ち止まり、ぜいぜいと息を切らす。釈放されたばかりだというのに、ガマ警部の顔は相変わらず不機嫌そうだ。それがかえって木場には嬉しかった。
「うう……ガマさん……」
こみ上げる思いを堪えることが出来ず、木場の目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。何度袖口で目元を拭い、鼻を啜り上げても涙は一向に収まらない。
「……まったく、刑事がこんなところでみっともなく泣くんじゃない。一般人に見られたらどうする気だ?」ガマ警部が忌々しそうに舌打ちをした。
「うう……だってガマさん、自分は、うう……」
言葉にならず、木場は何度もしゃくり上げた。心にあるのは嬉しさだけなのに、どうしてこんなに涙が溢れて止まらないのだろう。
ガマ警部は後頭部を掻き、少女のように泣きじゃくる木場を呆れ顔で見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「……今回は、お前に助けられたようだ。一応、礼を言っておく」
木場は一瞬泣くのを止め、目をぱちくりさせてガマ警部を見返した。だが、すぐにぶんぶんと首を振ると、再び鼻水混じりの声で言った。
「止めてください……。お礼なんて、ガマさんらしくありません……。ガマさんがお礼なんて言ったら、火事と地震と洪水がいっぺんに起こります……」
「……木場、お前、俺を何だと思っている?」
ガマ警部がじろりと木場を見やった。あぁそうだ。この冷水のような視線だ――。再び感情が決壊し、木場はまたしても激しく泣きじゃくり始めた。
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