それぞれの道

 パトカーと連れ立って、木場も自家用車で署に向かうことにした。花荘院が逮捕されたことで、自分の解雇も白紙撤回された。午後からはいつも通りの勤務が始まる。署に戻れば、2日半で溜まった書類の山が自分を待ち受けていることだろう。木場は少々うんざりしたが、それでも署に戻りたくないとは思わなかった。またあの人の罵声を聞く日常が始まるのだと思うと、高揚感さえ湧いてくる。

 道中、茉奈香は珍しく黙っていた。パイプを咥えて思案に耽ることもなく、両手を膝の上で重ね、ぼんやりとフロントガラスを眺めている。

 木場は妹を横目で見やりながら、少し心配になっていた。躾のいいお嬢さんのように大人しく座っているだけの茉奈香なんて、断じて茉奈香らしくない。いつも呑気でやかましくて、強引な上に無鉄砲で、お節介で何かと首を突っ込みたがる。それこそが自分のよく知る茉奈香だ。なのに今、こうして人形のように鎮座して黙りこくっている姿はまるで別人だ。殺人事件の悍ましさを目の当たりにして、ショックを受けているのかもしれないが――。

「茉奈香、大丈夫か?」

 木場が尋ねると、茉奈香がはっとして木場の方を見た。慌てて取り繕うような笑みを浮かべる。

「あぁごめん。ちょっとぼーっとしちゃって。なんか、すごく濃い3日間だったなぁって思ってさ」

「まぁ……確かに濃かったな」木場も頷いた。「ガマさんが逮捕されて、奥さんや娘さんが出てきて、昔の誘拐事件まで絡んできて、おまけに真犯人はガマさんの親友で……。何だかすごく濃密な人間ドラマを見た気がするよ」

「うーん。それもあるけど、あたしが言いたいのはそういうことじゃなくて……」

 茉奈香はいつになく歯切れが悪い。木場は不思議そうに妹の方を見た。

「……あのね。あたし、お兄ちゃんが警察でちゃんと仕事できてるか、ずっと心配だったんだ」茉奈香が言った。「ほら、お兄ちゃんって見た目も中身も頼りないし、どう見ても刑事って感じじゃないでしょ。だからみんなの足引っ張ってるんじゃないかと思って」

「……悪かったな。見た目も中身も頼りなくて」

 木場が苦い顔をした。自覚はあるが、面と向かって言われるとさすがにグサリとくる。

「でもね、今回一緒に捜査して、ちょっとお兄ちゃんのこと見直したんだ」茉奈香がふっと表情を緩めた。

「お兄ちゃん、ちゃんと刑事してるじゃんって思ってさ。いろんな場所に行って手がかりを探して、あちこちで聞き込みして、そこから犯人を推理して、追求して自白させて……。まぁ、後半は刑事っていうより探偵っぽいけど。

 でもどっちにしても、お兄ちゃんのそういうとこ、あたし全然知らなかったからさ。普段はヘタレなのに、決める時はちゃんと決めるんだってわかって……正直、ちょっとカッコイイって思ったんだ」

 茉奈香が照れたように笑った。そこで信号が赤になったため、木場は車を停止させた。そのまま隣に視線を動かす。いつも自分を足蹴にしている妹が、今は自分を褒めている。木場は咄嗟に窓の外を見たが、空は快晴で、雨が降り出す気配はない。

「……あたしね。ホントはずっと、検事になるかどうか迷ってたんだ」

 茉奈香が穏やかに続けた。自分の発言により、兄が天気の急変を心配していることにはまるで気づいた様子がない。 

「現実の世界に名探偵はいない。それはわかってるはずなのに、どっかで名探偵になる夢を捨てきれない自分がいる。今回のお兄ちゃんみたいに、ビシッと事件を解決した人を見たら余計にね。

 でも、お兄ちゃんが事件を解決できたのは、揺り椅子に腰掛けてパイプを吹かせてたからじゃない。自分の足で現場を歩いて、証拠や証言を集めたから解決できたの。

 それを見て……あたし思ったんだ。この事件を経験したあたしだからこそ、出来ることがあるんじゃないかって」

 茉奈香はそこで言葉を切った。笑みを引っ込め、真面目な顔になって続ける。

「検事の中には、警察を駒くらいにしか思ってない人もいるって聞く。でも、あたしはそうは思わない。検事が犯罪者を有罪に出来るのは、警察の地道な捜査があるからなんだよ。あたしはそのことをみんなに伝えたい。

 だから決めたんだ。あたしは名探偵じゃなくて検事になる。それでお兄ちゃんと一緒に事件を解決するの!」

「茉奈香……」

 木場が感極まったように呟いた。茉奈香が木場に笑顔を振り向ける。いつも呆れ顔を向けることしかなかった妹が、自分を刑事として、兄として、そしてパートナーとして認めてくれた。その事実に、胸の内から奔流のように熱いものが込み上げてくる。

 そこで信号が青になったため、木場は慌てて前方に視線を戻し、車を発進させた。視界が滲んでいたので、片手で目をごしごしと擦る。手の甲にいくつか水滴がついていた。外はやっぱり雨みたいだ。

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