自供
痛いほどの静寂が茶室を包み込んだ。鹿威しが思い出したようにかこんと音を立て、それが合図となったかのように、張り詰めた空気がたちまち解放されていく。
終わった――。
安堵と疲労がどっと胸の内から押し寄せ、木場は大きく息を吐き出して畳に両手を突いた。腕時計を確認する。11時32分。ギリギリの戦いだったが、何とか首の皮が繋がったようだ。
隣を見ると、茉奈香が座布団から中途半端に腰を浮かせたまま、呆けた顔をして自分を見つめていた。さすがの名探偵も、この結末は推理できなかったのだろう。ようやく兄の面目を保てた気がして、木場は照れくさそうに笑った。
若宮はぽかんと口を開けて花荘院を見つめていた。「驚愕」という言葉をお面にしたらきっとこんな顔になるのだろう。そして花荘院はと言えば、視線を下げた格好で黙りこくっていた。その様子は落ち着き払っていて、とても今犯罪を暴かれた人間とは思えない。
「……見事だ」
花荘院がおもむろに呟いた。面を上げ、毅然とした表情で木場を見据える。
「さすがは次郎の部下、といったところだな。最初に君を見た時には、次郎もさぞ苦労しているのだろうと思ったが……どうやら杞憂だったようだ」
花荘院がふっと息を漏らした。心なしか、憑き物が落ちたように見える。自分が彼に認められたとわかっても、木場は全く喜びを感じなかった。本当は心のどこかで、別の結末を望んでいたのかもしれない。
「花荘院さん……あなたはどこで黒川のことを知ったんですか?」
木場が眉を下げて尋ねた。もし、花荘院が黒川と再会しなければ、この悲劇は起こらなかったかもしれないのだ。
花荘院は再びしかめつらしい表情になると、言葉にするのも忌々しいといった口調で続けた。
「……奴の存在を知ったのは、1週間前ほどのことだった。この屋敷に盗人が入ったのだ。
夜半を過ぎた頃だった。私が物音で目を覚ますと、隣の部屋から、何かを漁っているような音が聞こえた。私は障子を開け、そこで抽斗を物色している奴の姿を見つけたのだ。13年の月日が経っていたが……私には一目で奴だとわかった。奴の方は、私が誰か気づいていなかったようだがな……。
私は奴を詰問した。奴は1ヶ月前に刑期を終え、工場で就業しているとのことだったが、安月給のために生活が立ち行かないのだと言った。そこで手っ取り早く財を成そうと、私の家に目をつけたのだそうだ……。
私はそれを知って愕然とした。奴は12年もの間服役していながら、何の罪の意識もなく新たな犯罪に手を染めた。このような男を生かしておいたところで、害悪でしかない……。私はそう考えた」
「そこで騒ぎを聞きつけたのか、小吾郎が部屋に来た。私は小吾郎に事情を話した。奴が何者かということも含めてな。
小吾郎は血相を変え、即刻警察に通報しようとしたが、私は押し留めた。考えてみれば、これは千載一遇の機会なのだ。本来であれば、奴が出所後にいかにして生活しているかなど、私は何一つとして知ることが出来ない。だが今回、奴は自ら私の懐へと飛び込んできた。これを利用しない手はない……。
私は小吾郎に、奴に猶予を与えるように言った。一週間様子を見て、改善の余地が見られないようであれば警察に突き出すと言ってな。小吾郎は納得しなかったが、私は説き伏せた。そして私は奴に向かって、1週間後、あの公園に来るように命じたのだ」
若宮の顔に苦悶の色が浮かんだ。もしかしたら彼は、本当は何が起こったかをずっと知っていたのかもしれないな――。師匠を信じたいと願いながらも、疑念を抱かざるを得なかった彼の心境を思うと、木場はやるせない心地がした。
「私は奴から運転免許証や保険証を取り上げ、1週間後にそれを返すと約した。約束を破れば、防犯カメラの映像を警察に提出すると言ってな。根が小心だったのだろう。奴は窮鼠のように怯えながら頷いていた。あのような男に楓が絶命させられたのだと思うと……遣りきれんな」
花荘院が深々と息をついた。復讐を遂げた今もなお、愛娘の命を奪われたことへの無念と義憤は消えずにいるのだろう。
「後は君の話した通りだ。小五郎が部屋を立ち去った後で私は家を出た。公園までは電車を使った。万が一、車がないことに気づかれたら困るのでな。
公園には21時過ぎに到着し、15分ほど歩いて小屋に行った。奴はすでに来ていた。その時はまだ、自分がそこで死を迎えることなど、予想もしていなかったようだがな。
私が楓の父であると名乗ると、奴はたちまち顔面蒼白になった。その場に膝を突き、泣いて命乞いをしたが、私の目には道化程度にしか映らなかった。
私は懐からナイフを取り出した。奴はよろめきながら立ち上がり、私を押しのけて逃げようとしたが、私は間断を許さず、奴の胸にそれを突き立てた。奴は瞠目し、唇をしばし戦慄かせた後……人形のように動かなくなった」
花荘院の口調は淡々としていて、自らの起こした犯罪について語る人間のものとはとても思えなかった。だが、淡々としているがゆえにかえって生々しさが増して思え、木場はだんだん気分が悪くなってきた。
「あの……夕食前に生けた花は、やっぱりアリバイ作りのためだったんですか?」茉奈香がおずおずと尋ねた。
「アリバイ作り、などという明確な意思があったわけではない。元々、警察の手が私に届けば、その時は自首するつもりだったのだ。
だが……稽古をつけている間、弟子の顔を見回しているうちに、ふと思ったのだ。私がいなくなれば、誰がこの花荘院流を守っていくのかと。あの虫けらのような男のために、私の積み上げてきたものを水泡に帰するわけにはいかない。そう考えると、計画を中止した方がよいのではないかという気にもなった。一方で、あの男をこの手で抹殺したいという、抗いがたい欲望が湧き上がってくるのも感じていた……。
その日1日、私は葛藤に苛まれていた。そして私は……負けたのだ。我が身はおろか、私が愛してきたものまでもを穢してしまった……。報いを受けるのは当然のことだ」
花荘院は深々と息をついた。その表情には、戦いに敗れ、首を落とされる時を瞑目して待つ武将のような悲壮さが漂っていた。
木場は胸が痛くなってきた。この人はずっと戦っていた。家元としての誇りと、自身の心に巣食う復讐心との狭間で。
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