紅の告発

「……なるほど、君の策が読めたようだ」

 花荘院がふっと息を漏らした。木場が途端に不安そうに眉を下げる。

「この屋敷に出入りしているうちに、君にも多少植物の知識がついたらしい。だが、付け焼き刃の程度の知識で、この私を降伏させようなどとは思わないことだ」

「どういうことですか?」

「簡単なことだ。君がいう珍しい品種とは、イタヤカエデのことなのだろう? 黄葉する楓。確かに珍しい品種と言えるかもしれない。だが、国内でも数ヶ所しか見られぬほど希少な品種というわけでもない。たとえ都内には生息していなかったとしても、他府県にまで捜索の範囲を伸ばせば、12月でも黄葉しているイタヤカエデの木が見つかるはずだ。

 先の言葉を繰り返そう。他の場所で付着した可能性がある以上、その葉だけで私の犯行を示すことにはならない」

「そんな……!」

 声を上げたのは茉奈香だった。座布団から腰を浮かせて花荘院を見つめる。

 これまでの兄の論証は見事なものだった。論理を駆使し、相手を追いつめていく様は名探偵、もしくは検事さながらだ。法廷で同じ答弁を繰り広げたとしても十分通用するだろう。

 だが、相手も一筋縄ではいかない。花荘院の言うとおり、イタヤカエデだけで彼を犯人と断定することは出来ないだろう。やはり植物の知識が武器では、華道の家元には敵わないのだろうか?

 茉奈香は弱り果てて木場の方を見た。花荘院邸に来てからすでに1時間半は経過している。正午まではいくらも時間がない。この絶対絶命の状況を、兄はどう乗り越えるつもりだろうか。今頃大量の冷や汗をかいて、退職後の生活が頭を掠めているのではないだろうか――。

 だが、茉奈香が実際に見たのは意外な光景だった。兄は全く狼狽えた様子がなく、むしろ安堵さえ浮かべて花荘院を見つめていたのだ。

「花荘院さん……ようやく認めてくださったんですね」

 木場がゆっくりと息をついた。強張った肩から力が抜けていく。長きにわたった対決にも、ようやく終止符を打つ時が来たようだ。

「……君は何を言っている?」花荘院が怪訝そうに言った。「私は何も認めてなどいない。ただ、君の知識が付け焼き刃に過ぎないことを指摘しただけだ」

 花荘院の立場からすれば当然の反論だ。だが、木場は知っていた。今の告白こそが、彼が罪を犯した何よりの証拠であることを。

「その指摘こそが、あなたが殺害現場に行ったことの証拠になるんですよ」

 木場はそう言うと姿勢を正した。花荘院を正面から見据え、噛み締めるように続ける。

「確かに現場にはイタヤカエデの葉がありました。昨日、ガマさんからその話を聞いた時、茉奈香の髪にイタヤカエデが付いた時のことを思い出しました。だから現場にあった楓の葉も、

この庭の木から落ちたものに間違いない……。最初はそう考えました。でもあなたは、イタヤカエデはそこまで珍しい品種じゃないと言った」

「そうだ。例え現場にイタヤカエデがあったとしても、それだけでは私の犯行の証明にはならない」

「確かにそうかもしれません」木場は頷いた。「ただ……重要なのは、現場にイタヤカエデがあったことじゃないんです」

 花荘院が不可解そうに眉根を寄せた。木場は3秒ほど間を置いてから続けた。

「重要なのは、。自分は確かに『珍しい品種』だとは言いましたが、イタヤカエデだとは一言も言わなかった。あなたは何故、現場に落ちていたのがイタヤカエデだと思ったんですか?」

「それは……」

 花荘院が口ごもった。木場の言わんとすることにようやく気づいたようだ。

「……最初にこの屋敷に来た時、君自身が言っていたではないか。奴の近くに楓の葉が落ちていたと」

「確かに自分は、被害者の近くに楓の葉が落ちていたと言いました」木場も頷いた。

「でも自分はその時まだ、イタヤカエデという品種があることを知りませんでした。あなたにも、単に楓の葉だとしか言わなかったはずです。普通、楓と聞いたら赤を連想しますよね? なのにあなたは、珍しい品種と聞いて、わざわざイタヤカエデを持ち出した。現場に落ちていたのが黄色い葉だとは一言も言っていないのに、です。

 花荘院さん……。あなたはいつ、どこで、現場に落ちているのがイタヤカエデだという事実を知ったんですか?」

 花荘院は答えなかった。表情に変化は見られないが、それでも頬の僅かな引きつりから、焦燥と動揺を感じているのがわかる。

「……ニュースだ」不意に花荘院が呟いた。

「あの男の近くに落ちていた葉の写真が、テレビの画面に映っていた。だから私は……」

「それはあり得ません」

 木場が発言を跳ね退けた。花荘院がはっと息を呑む。

「花荘院さん……あなたはご存知なかったかもしれませんね。黒川の手から見つかった葉は、黄色じゃない。

「何!?」

 花荘院がかっと目を見開いた。まじまじと木場を見つめる表情には、今やはっきりと動揺が見て取れる。

 やるなら今しかない――。木場は畳に手を突いて身を乗り出した。

「あなたに小屋に置き去りにされた後、ガマさんは目を覚ましたんです。そして黒川の脈を取るために手を取ったところ、その手から葉が落ちた。葉は血だまりの上に落ちて赤く染まった……。

 もし、あなたが本当にニュースで葉の写真を見たのだとしても、それは黄色じゃない。赤い葉だったはずです。だけどあなたは、黒川が握っていたのはイタヤカエデだと言った」

 木場は一気に言うと、自分を落ち着かせようと呼吸を繰り返した。花荘院をひたと見据え、興奮が収まるのを待ってから続ける。

「花荘院さん……もう一度聞きます。

 花荘院は答えなかった。眉間に深く皺を刻み、喉の奥で唸り声のようなものを上げている。その様子は追い詰められた獅子を思わせた。

「答えは明らかです」木場は畳みかけるように言った。「あなたは事件当日、黒川を殺害した後で、黒川の手にある黄色い楓の葉を見たんです。それ以外に、あなたが黄色い楓の葉を目撃するタイミングはありません。現場にあった葉がイタヤカエデだと断定した時点で、あなたは自分が殺害現場に行ったことを認めたんです。

 あなたの『大切な思い出』が……あなたの罪を告発してくれたんですよ、花荘院先生」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る