真相

敵地出陣

 翌日、午前9時過ぎ、木場は花荘院邸に向かって車を走らせていた。本来であれば出勤して書類仕事をする予定だったが、午前中だけ半休を取ることにした。小宮山から話が伝わっているのか、特に上から咎められることはなかった。後半日の命なのだから、好きに泳がせておけということなのだろう。


「……いよいよだね」


 助手席の茉奈香が呟いた。緊張のために顔が強張っている。必須アイテムであるはずのパイプも今日は持ってきていない。本当は連れてくる気はなかったのだが、どうせなら最後まで見届けたいと言って聞かなかったので、やむなく同行させることにしたのだ。


「でもお兄ちゃん、本当に大丈夫なの? 今日の正午までに花荘院さんを逮捕しないとクビになっちゃうんでしょ?」


「そうだね。100%大丈夫かって聞かれると自信はないけど……やれるだけのことをするしかないよ」


 木場は言いながらハンドルを切った。武者震いなのか、手が小刻みに震えている。


「花荘院さんには、家にいるように連絡してくれたんだよな?」


「うん。昨日のうちに久恵さんに頼んどいたから。今日は絶対に外出しないでください! って先生に伝えてほしいって。さすがにお兄ちゃんのクビがかかってるとは言わなかったけどね」


「……そっか。そこまで言われたら、あの人も何かを察するかもな」


 木場は前方に視線をやった。花荘院邸に続く住宅街が広がっている。最初にここを通った時には、2日後に彼と対決することになるなんて思いもしなかった。


「まぁ、もしクビになったらあたしの助手として使ってあげるから」茉奈香が気軽に言った。

「2年くらいは修行期間としてお給料はなしね。あと、毎週日曜日には高級スイーツを差し入れすること」


「勝手に話を進めるなよ。そもそも何の助手なんだよ」


「もちろん名探偵だよ。検事になるまではまだ時間がかかるからね。先に名探偵として一世を風靡して、その後で華麗に検事に転身するの」


「……好きに言ってろよ」


 木場はため息をついた。全くどこまでも呑気な奴だ。だが、その能天気さが緊張を緩和してくれた気がして、それはそれでいいか、と思い直した。




 それから10分後、木場は花荘院邸に到着した。長い塀の横に車を停め、漆塗りの門を潜る。すっかり見慣れたものとなった庭園が眼前に広がるが、今日はその秀麗さに心を動かされることはない。


「……お待ちしておりました」


 木場が邸内を見回していると、傍らから声をかけられた。見ると、初日と同じ青藍色の和服を着た若宮が立っていた。今日は竹箒を手にしていない。木場を見つめる切れ長の瞳は、猫が外敵を威嚇するような緊張感を漂わせている。


「先生に折り入ってお話があると、久恵様から伺っております。本来であれば今日は稽古の日だったのですが、事情を話して延期していただきました」


「すみません、助かります」木場は頭を下げた。「花荘院さんはどちらに?」


「茶室でお待ちです。ご案内いたしましょう。ところで……」若宮が声を潜めた。「そのお話というのは、やはり御友人の事件に関わることでしょうか?」


「はい。それに……13年前の誘拐事件にも関係しています」


「そうですか……」


 若宮が深々とため息をついた。端正な顔が悩ましげに歪められる。


「あ、そうだ。先生との話し合いなんですが、若宮さんも同席してもらっていいですか?」木場が思いついて尋ねた。


「私が……ですか?」若宮が切れ長の目を見開いた。


「はい。若宮さんにも、知っておいてもらった方がいいと思うんです。事件当日、本当は何があったのかを……」


 若宮は視線を落とし、逡巡する表情を浮かべた。今から師匠の身に何が起ころうとしているか、彼とて察していないわけではないだろう。

 しばらく考え込んだ後、若宮はゆっくりと顔を上げて言った。


「……承知いたしました。先生の内弟子として、外聞を憚るような話を不承知でいるわけには参りません。その会合、私も同席させていただきましょう」


 そう言って木場を見つめた若宮の顔には、どこか悲壮な決意が浮かんでいた。それは例えるなら、幼い子どもが暴漢の前に立ちはだかり、両手を広げて母を護ろうとするような、そんないじましさを滲ませていた。


 木場は眉を下げて若宮を見返した。若宮は15年もの間花荘院に仕えてきた。彼にとって花荘院は、肉親と同様か、あるいはそれ以上に特別な意味を持つ存在なのだろう。その師匠が殺人犯だと知ったら、彼は果たして平気でいられるのだろうか。ガマ警部を助けるためとはいえ、彼がこの先引き摺っていくであろう痛苦を思うと、木場は自分がとても冷酷なことをしようとしている気がしてならなかった。

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