枯れぬ怨恨

 木場は神妙な顔をして頷くと、パイプ椅子を引いて腰掛けた。薄暗い部屋の中で、テーブルランプ越しにガマ警部と向かい合う。黄色い灯りに照らされたガマ警部の顔は、単身で敵陣に特攻する武将のような悲壮さを帯びて見えた。

「……事件の3日前、総十郎から連絡が入った」

 ガマ警部が語り始めた。

「あの事件以来、俺は奴とは没交渉だった。それが突然連絡を受け、さすがに俺も驚いたがな……。

 奴は俺と話がしたいと言って、事件当日の22時に俺を呼び出した。だが、奴が単なる世間話のために俺を呼び出したわけではないことは明らかだった。そうでなければ、22時などという常識外れの時間を指定するわけがないからな……。

 それでも俺に行かない選択肢はなかった。だから俺は事件当日、退庁後、あの自然公園に向かった」

「ちなみに、その電話は携帯電話からだったんですか?」

「いや、奴は携帯電話を持っていない。家に電話はあったはずだが、その電話は公衆電話からだった。公衆電話からの着信など、普段は出ることはないんだが、その時は虫の知らせがしたものでな」

 木場は花荘院から聞いた話を思い出した。花荘院は、ガマ警部とはここ数年連絡を取っていないと言った。携帯電話の通話記録が残っていれば、花荘院の嘘を証明できると思ったのだが――。

「公園に着いたのは、21時30分頃だった」ガマ警部が続けた。「俺は正門から公園に入り、指定された東側の池へと向かった。公園内に人気は全くなかった。12月の夜なのだから当然だな。

 池までは歩いて15分ほどかかった。俺は奴を探したが、どうやらまだ来ていないようだった。俺は池の前にあるベンチに座り、奴を待つことにした」

 ガマ警部が公園に到着したのは21時30分。桃子とは入れ違いになったようだ。

「5分ほど待ったところで、誰かの足音がした。俺はすぐに奴だとわかった。会うのは13年ぶりだったが、奴はほとんど変わっていなかった。

 奴は俺の隣に腰掛け、俺達は話を始めた。とは言っても、長い時間じゃない。奴がこの13年間をどう過ごしてきたかを、一方的に語っていただけだ。

 話し始めてすぐに、俺は奴の様子がおかしいことに気づいた。俺は奴を問い質そうと身を乗り出したんだが……その時、首筋に痛みが走った」

「痛み?」

「あぁ、おそらくスタンガンでも使ったのだろう。俺も迂闊だった。奴が何かを企んでいることくらい、想像がついたはずだった。だが、俺は結局奴にやられ、そのまま気を失った。意識がなくなる直前、奴が俺を見下ろしていたことを覚えている。奴はとても暗い目をしていた……。まるで死神のようにな」

 木場は背筋がぞくりとした。その時の花荘院は、すでに黒川を手にかけていたはずだ。復讐の怨念に憑りつかれ、花を愛でるその手を血に染めた花荘院の姿が浮かぶ。

「目が覚めた時、俺はどこか暗い場所にいた。外から差す月明かりもなく、どこにいるのか、最初は全くわからなかった。

 俺は立ち上がろうとしたが、その時、手から何かが滑り落ちる感触がした。固いものが地面に当たる音がしたが、何かはわからなかった。

 俺はそのまま立ち上がり、手探りで壁を伝って歩いた。途中、電灯のスイッチらしきものを見つけたのでそれを押した。部屋の灯りがつき、錆びついたシャベルやら鎌やらが壁に立てかけられているのが見えた。

 だが……それよりも先に俺の目に飛び込んできたのは……」

 黒川の死体――木場は心の中で続けた。

「俺は自分の見ているものが信じられなかった。その男はうつ伏せに倒れていたが、身体の下には血だまりが出来ていた。

 俺はすぐに男の傍に駆け寄り、息があるかを確かめようとした。だが、その時に、男の傍にナイフが落ちているのが見えた。俺はすぐに、それがさっきの音の正体だということに気づいた。その時だ。俺が総十郎にはめられたことに気づいたのは……」ガマ警部が自嘲気味に息を漏らした。

「俺はその男の脈を調べようとして右手を取った。その時、男の手から何かが落ちるのが見えた。どうも何かの葉っぱのようだった。すぐに血だまりの中に落ちてしまったから、大して気に留めなかったがな。

 俺はもう一度脈を調べようとしたが、間に合わなかった。警察が小屋になだれ込んできたんだ。おそらく、俺が気絶している間に誰かが通報したんだろう。警察は直ちに俺を連行し、今に至るというわけだ」

「じゃあガマさんは、被害者が黒川だってことは知らなかったんですか?」

「あぁ、昨日の夕方頃に初めて知らされた。それでようやく、総十郎が俺を身代わりに選んだ理由に納得がいった。総十郎は黒川を殺し、その罪を俺に着せることで、二重に復讐を果たそうとしたというわけだ」ガマ警部はそこで大きく息をついた。

「これが、俺が事件当日に経験したことの全てだ。総十郎は俺が気絶している間に、俺を死体のある物置小屋まで運んだのだろう。

 だが、それを証明するものは何もない。あの公園に目撃者はいない。奴はそれを見越して、あの公園を殺害現場に選んだんだろう」

「くそっ……!」

 木場は頭を掻きむしった。確かに、事件当日に花荘院の姿を目撃した者はいない。桃子が聞いたのは被害者の叫び声で、大沼が見たのも後ろ姿でしかない。

 木場は腕時計に視線を落とした。残り時間は約3分。何か、何かないのか。ここで手がかりを見つけなければ、ガマ警部が有罪になってしまう――。

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