最後の証人
木場が取り調べ室から出ると、婦人警官2人の氷のような視線が突き刺さった。腕時計に視線を落とすと、すでに1時間が経過している。随分長い間話し込んでしまったようだ。へこへこと頭を下げながら2人の脇を通り過ぎた後、木場は自分がこれから為すべきことについて考えた。
小宮山は、ガマ警部の送検を明日まで見送ると言った。警察の取り調べ時間は被疑者の逮捕から48時間以内。つまり、明日の正午までに花荘院を逮捕しなければ、ガマ警部はそのまま有罪のベルトコンベアに乗せられることになる。
木場は再び腕時計に視線を落とした。時刻は18時。今から花荘院邸に行ったところで、証拠がない状況では空振りに終わるだけだ。公園内での捜査もし尽くした。もはや打つ手はないのだろうか。
いや、ちょっと待てよ――。木場は必死に頭を巡らせた。1人だけいるではないか。この事件と、誘拐事件の両方に関わっていて、まだ詳しい話を聞いていない人物が。
考えるより先に木場は走り出していた。廊下を突っ切り、今出てきたのとは部屋とは反対側にある突き当りの部屋に向かう。ノックもせずに扉を開けると、中にいた3人の刑事が驚いた顔で一斉に振り返った。その合間から、Yシャツ姿のガマ警部が見えた。連日の取り調べでさすがに疲れたのか、目の下にはうっすらと隈が出来ている。
「木場巡査? お前、何の権限があってここに……!?」
刑事のうち1人が木場に詰め寄った。よく見ると、昨日最初にガマ警部の取り調べをしていた刑事だった。名前を思い出そうとしたが、大所帯の捜査一課の中では全員の名前を覚えることは難しい。
「自分、小宮山刑事部長に許可をもらって捜査をしているんです。お願いします。少しでいいので、ガマさんと話をさせてもらえませんか?」
木場は懇願したが、刑事は聞き入れようとはしなかった。はっきりと渋面を作り、忌々し気に木場を睨みつける。
「お前、何様のつもりだ!?」刑事が叫んだ。「毎度毎度勝手な行動をしてはお咎めもなしで……! お前みたいな奴がいるから、警察の風紀が乱れるんだ!」
後ろの2人も神妙な顔で頷いている。木場は背筋を汗が伝うのを感じた。このままでは、すぐにでも部屋から放り出されてしまう。
「……悪いが、こいつの上司は俺だ」
誰かの重々しい声が聞こえた。見ると、ガマ警部が腕組みをして木場をまっすぐに睨みつけていた。研がれた刃のように鋭い眼光。連日の取り調べを受けてもなお衰えを見せないその視線を前に、木場は懐かしさがこみ上げてくるのを感じた。
「部下の監督不行き届きは上司の責任だ。罷免される前に、上司としてこいつに灸を据えてやりたい。悪いが、少し席を外してもらえないか?」
「蒲田警部……! あなたは自分の立場がわかっているのですか!?」
刑事の1人が声を荒げたが、ガマ警部はなおも落ち着き払っている。
「もちろんだ。俺は明日にでも送検され、殺人犯として裁判を受ける。だがその前に、刑事として、最後の職務を果たさせてもらいたい。それほど時間は取らせん。自ら犯罪者に成り果てた、哀れな老いぼれの頼みを聞いてやってもらえないか?」
ガマ警部が言った。被疑者という立場にあっても、そこにはなお、30年間のキャリアの中で積み上げてきた威厳と誇りが備わっている。
3人の刑事は顔を見合わせた。小声で何かを話し合い、気が進まなさそうに頷くと、ガマ警部に向き直って言った。
「……15分です。それ以上の時間は取らせません」
「それで十分だ。心遣い、感謝する」
3人の刑事はなおもぐずぐずしていたが、やがて苦い表情を貼りつけたまま取り調べ室から出て行った。1人が木場に向けてわざとらしく舌打ちをする。刑事達がいなくなると、取り調べ室は急に静かになったように感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます